●学園長のひとり言

平成17年4月21日

 (毎週1回)

 

子供の成長、兄弟の成長

 

風邪で熱っぽい上、まだ眠気も覚めずボーっとしていた私の目に、母の読みかけの朝刊の記事が飛び込んできた、「もう一つの“戦線”親向け就職セミナー」

「親向け」という言葉に惹かれ、「これは何?」と思わず新聞を手にした。

「わが子をフリーターにはしたくない!」こんなサブタイトルがついた読売新聞の記事。読み終わって「そうなのよね、現在の教育問題の多くは親に原因があり、そして子供をフリーターにするのもきっと親の問題だと思っていたけど、そうなのよね、不登校もフリーターも問題は同じだわ」と、思わず声に出して独り言を唱える私に「何を一人でぶつぶつ言っているの?新聞に何か出ていた?ライブドア−のこと?私はどうも好きじゃないわね、あのライブドアの社長は。お金があれば何でも出来ると思い違いしているし、経営者として世間を納得させられるだけのきちんとしたビションがないものね」

「ビション?ああビジョンね」思わず94歳の母の顔を見ながら、笑い出したいのを堪えて私が気になった新聞記事の内容を説明した。

記事は言う、自分の子供をフリーターにしたくないと危機感を抱いている親向けの就職セミナーが、大学やNPO法人等が主催して各地で開かれていると。そして、そのセミナーを通して親がどう子供の就職に関与するかを学ぶのだと。

本当に現代は不思議な時代だ。大人と子供の間、年上と年下の間、生徒と先生の間、色々な人間関係の間に境界線もなければ尊敬しあい信頼しあうための距離もキチンととられていない。色々な意味での「勘違い」は大手をふって歩く。それを「オカシイ」と思う人より、思わない人の方が多い。その最たるものが、自分が出来なかったからと、自分に出来なかったことを堂々と子供に押し付ける。そして残酷なことに、子供の能力以上の成果をあげることも要求する。

経済的な問題で出来なかった、それが残念だったので子供がやりたがるから金銭的にしっかりサポートしてあげようと考えるのは、理解出来る。しかし、能力的な問題で出来なかったことを、自分の遺伝子を受け継いでいる子供に押し付けても出来るようになるとは思えない。それを一番分かっているのは押し付けられている、子供だ。だから子供は、親や学校を拒否するのだ。能力があれば、親が何も言わなくても子供はやっている。

その反面、経済的に豊かになったからといって、好きな仕事が見つかるまで親が面倒をみてやるとからと、フリーターでいることを容認する。

フリーターになることは恐れるが、フリーターを選択できる環境においておくことをオカシイとは思わないことが、おかしい。本当に自分の仕事がみつけたくて「時間が欲しい」という子供は、フリーターを選択せず、何かをしている。

新聞記事の中に、就職支援会社の社長があげる悪い親の分類が出ていた。

@ 無理に就職を迫らない「ペット型」
A 知名度ばかり気にする「口出し型」
B 子供に関心がない「無関心型」
C どうしていいかわからない「おろおろ型」
この4タイプで、「いずれも父親の影響が薄い」と言う。

事実、学生向けの就職セミナーに母親が同伴したり、親の反対で内定を辞退する学生もいるという。確かに人の話でも新入社員の親が「うちの子は片付けが苦手なので」と会社の引き出しの整理に通ってくる親がいるそうだし、「残業が多い」と、子供の会社に文句の電話をかける親もいるそうだ。そんな親の行動をオカシイと思わずやらせている子供も子供だが。

子供の就職問題に親の意識改革を求める動きについては、「そもそも本人の問題。親には関係ない」と反対する意見も根強いという。本当にそうだと思う。

親にしても教師にしても、誰も自分以外のことに責任のとれることは、ない。就職ということに、働くということに、何を求めるのか。お金か、生きがいか、単なる生活手段か。個々で考えて選択をしなければいけない問題だ。それだけに、親も教師も周りにいる大人も、それを考える資料をたくさん提示し、アドバイスをしっかりしたらいいと思う。但し、最終決定は本人にさせなければいけないと考えているが。

藤チャではないが、Eスポーツを仕事にしていきたいという。しかしまだ新しい分野なので、この分野を開拓している先輩たちと同じように、あらゆることを犠牲にして努力しても、自分の時代も、まだこの分野の基礎作りをしている段階だろうから、食べていくのも大変だと思う。「それでいい」と考えていると言う。その為にも、今年一年はしっかり上田学園の勉強をし、来年から数年間Eスポーツからはなれて、Eスポーツを違った角度からみられるようにして、数年後にEスポーツを「仕事としてやって行きたい」と言う。

そこまでしっかり考えているのなら、反対する理由は全くないし、反対していいとは思えない。これは法律を犯すのでも何んでもない。親の期待から少し距離が出来るかもしれないが。

女手一つで彼と彼の妹さんを育てているお母様は、頭が下がるほどけなげに、でも一生懸命真摯に生きている。そんな親御さんをしっかり見ている藤チャ。頭もいいし、年齢以上によくものを考えている。おまけに性格もなかなか魅力的だ。そんな彼は正義感も強いし、その道でひとかどの人間になるだろうことを、全く疑っては、ない。優秀な上田学園の先生たちにしっかり授業をお任せしているので、私が彼にできることは、考えられるかぎり彼にプラスになるように色々な方のアドバイスを頂きながら一生懸命応援していくだけだ。

生き方も含め、子供がどんな仕事をしていくのか、その仕事に対しどんな姿勢で望むのかの決定は、親や周りの大人の「仕事に対する考え方」や「生き方」がサンプルになると考えている。それだけに仕事に対し、親や周りは真摯な態度で臨み、それをただ口で説明するばかりではなく、実際に見せたり、感じさせたりする必要があると、考えている。

新聞の記事ではないが、ことあるごとに失敗談も含め、働くということを自分達がどう考えているか、自分の経験談を交えて話すと同時に、子供を部下として考えて、マナーなど足りない点を指摘したり指導したりしながら、本人が受けたい会社や学びたいことを否定するのではなく、彼らを信じ、応援するくらいな気持ちでいるのが、丁度いいと考えている。

事実上田学園では、業種や規模が違うだけで、私も含めてどの先生も会社を経営していたり、部下を何人も持っていたりする現役の仕事人間。それだけに自分の失敗談、それもテレビや新聞で読んだり聞いたことがあると思える実際に起きた実話も含め、仕事に対する考え方、仕事をする上でのマナーなども、ことある毎に話して聞かせ、注意しなければいけないことはしっかり注意し、実践させている。

新聞記事には確かに例外もあるが、でもそのまま学校へ行きたがらない子供達の親にも当てはまってしまう。

子供を単に可愛いがり、何か問題が起きると「可哀想だから」と、庇うか、その問題から遠ざける。

その問題を「グッドチャンス」と捉え、それから何かを気づかせたり学ばせたりすることもせず、子供を駄目社会からプロテクトしているという自己満足に終始する。

子供が親から離れて一人で生きていかなければならないことや、好きか嫌いかに関係なくいつかは社会の荒波を一人で乗り越えていかなければならなくなることなど、全く考慮していない。その結果モットかわいそうなことが起きることさえ、思い浮かばない。

どうして学校を拒否するのか、根本的問題を把握する努力もせず、原因を学校や先生や社会や他人に押し付けて、子供をペットのように扱う。

世間に対し一番みっともないことをしている本人が、一番世間体を気にし、子供の能力を無視し、知名度ばかりを追いかけ、意味のない口出しをする。

何故子供が学校に行かなければならないのか。勉強をすることが子供にとって何に役立つのかなども全く考えたこともなく、考えようともしない。まして自分には大切な大切な自分の分身の子供がいることなど、全く興味も関心も持てない、子供に無関心な親。

子供が泣いても笑っても心配する。子供から嫌われることだけを恐れ、子供が自分達を見限ることを、恐れる。

「やっていいこと、悪いこと」など、親しか教育できないことを完全に放棄して、何とか子供に嫌われないようにと、それだけを気にしながら「こんな状態で将来だいじょうぶですかね」と心配して、オロオロしている。

自分の考えを変えるたり、行動したりすることで子供の持っている大きな問題が解決できることや、それが結果、子供の人生のプラスになるということなど、そんな忠告には絶対というほど耳を傾けず、オロオロしている。

勿論、100%そうでないこともたくさんあるのだが、つくづく思う。不登校の問題もフリーターの問題も、根っ子の部分は同一であるということを。

子供は親の所有物ではない。子供と親は血こそつながり、遺伝子も100%受け継いでいるが、子供と親は一心同体ではない。まして子供は一年一年成長を続ける。しかし大人は一年一年歳をとり、人生の終焉に向けて気が付いたら守りに入る準備を始めている。

守りに入る、即ち体も心も成長することを辞めようとするのだ。一時的に止めるのではない。リタイア−しようとするのだ。

成長しているときは毎日の積み重ねの経験や知識などで、物を理解したり判断したりする力が大きく動く。視野も自然に広くなり、想像力や推測力も豊かになり、それらが生きる上で「おおいなる味方」としてサポートしてくれるが、成長することを辞め守りに入ったときには、継続していく残りの人生を、それまでの長い経験だけをたよりに乗り越えようとする。

自分の人生を、過去の経験だけで乗り越えようとするのも一つの生き方だか、その生き方を、これから長い人生を過ごさなければならない若い人たちに向け、ひとつの考え方として提示するのではなく、押し付けようとしていることに問題がある。

親の言うこと、先生の言うこと、大人が言うこと、これ全て若者にとっては押し付けでしかない。事実私の言うことも、それに近いことはたくさんある。しかし、自分の人生と比べても、誰の人生と比べても、「比べるのは失礼だ!」と思えるほどの大きな未来を持っていると思える学生たちに対し、意識している以上に意識して、本人がその時に持っている能力以上のことは、要求しないことを常に心がけている。そして例外中の例外以外は、最終決断は学生本人が決定するべきだと考え、そこには手を出さないようにしている。

「親向け就職セミナー。わが子をフリーターにしたくない」私の目を引いたこの記事。親向け就職セミナー云々より、わが子ならぬ上田学園の生徒たちにはフリーターになることは勿論だが、フリーターを選択して欲しくないし、選択させたくないと、フリーターとは何かの情報だけはしっかりあげている。

親たちが働き出した時代にはなかったフリーター。フリーターという言葉が普通に通用するようになった今、アルバイトと同等に扱っていた私達には想像すらしなかったフリーターを派遣する会社がたくさんあり、職業は「フリーター」として扱われ、フリーターから抜け出せなくなるシステムがたくさん出来ていることに、驚く。

出来の悪い学生が行く学校が「早稲田です」というような超有名な受験校にいて、頭脳ばかり強化されていたシーシーに、入学した二年目の夏休みの課題として、頭脳労働ではなく肉体労働のアルバイトをすることとしたが、一日行っただけで、「卒業したら3年間くらいフリーターをして、色々な企業を見て、それからどんな仕事につくか決めるつもりだったけど、ヤバイデス。フリーターを一度したらもうヤバイデス」と言い、アルバイトを終える頃には、お茶の品種改良をしてみたいので、イギリスの大学でバイオテクノロジーの勉強をすると決めたシーシー。そんなことがあった3年前より現在のフリーターは、フリーターから抜け出すことがもっと厳しくなっている。その事実をしっかり理解したうえで、それでもフリーターを選択するのであれば、それはそれで「仕方がない!」と、考えている。

学校も仕事も、子供が子供の自然な成長に合わせて、その年齢にあった高さの階段を確実に一歩一歩踏んでのぼって行かれ、そんな彼らをとりまく親や先生や大人たちが、利己的な自己満足のためではなく、純粋に彼らの立場にたって自分達の生の声や行動でサポートできれば、そのサポートに守られた子供達は、自分らしい学校や仕事を自然に選択していくだろうと思う。

子供は可愛い。お預かりしている学生でしかない彼らにでもこんなに愛情が湧き、可愛くてしかたがないのだから、親御さんやご家族の方々がどんなに彼らのことを可愛く思っているかは、よく理解出来る。だからこそ、彼らが成長し、一人で社会人として歩こうとすることをご家族の方々は「子供から必要とされなくなる」とか「子供を失う」という思いにすりかえることはせず、彼らの成長を楽しく見守る「応援団」に徹し、自信を持って応援してあげて欲しいと願う。

平成17年の前期授業が先週から始った。

今年は三年生が三人になった。そして彼らは研修日となっている月曜日に卒業生の成チェリンと同じように仕事を始めた。藤チャとヒロポンが日本語教師。そしてオッチャンは毎年一月に行われる添乗員のアシスタントとしてドイツやフランスにご一緒させて頂いたことがご縁で、あるデザイン事務所で事務所のホームページ管理や、商品管理や、経理などの仕事を。

2年間上田学園の授業の中で外国人に日本語を教え、日本語教師としての力量は分かっていたからこそ、二人を“仕事”として派遣したのだが、日本語の先生方は内心、心配していたようだ。しかし二人の新任教師の教え方は、十年近く教師をしていましたと言っても過言でないと思えるほど落ち着いており、そのうえ生徒の気持ちもしっかり掴んだいい授業をし、普段静かな日本語の先生が興奮気味の声で報告をしてくれた時は、分かっていたつもりでも嬉しくて心の中で「二人ともよく頑張りました、バンザイ!」と叫びながら、なんだか目の前が感激の涙で、かすんでしまったほどだった。

ヒロポンは上田学園に入学するまで自称「半インドア−派引きこもり」。その為にご家族の方は本当にご苦労されたようだ。

ヒロポンは今、上田学園の学生を100%どころか200%の勢いでやり、その上、日本語教師としても社会にデビューした。そんな彼を、彼が父親とは別の意味で一番尊敬しているという彼の面白い「兄貴達」の一人が「お前は変わった、会う度にいい顔になっている。俺はお前にもう適わないかもしれないな、俺も一年くらい会社を休職して上田学園に行きたいよ。こんな話が二人で出来るようになって良かったな」と言って、「兄貴に誉められました」とロポンが嬉しそうに報告してくれるまでになっている。

彼のお兄さんたちは彼らの弟ヒロポンが、担任の先生の言動などで引きこもり、病気にまでもなってしまったことを悲しみ、ヒロポンが上田学園で頑張りだしたことや、海外研修に行ったり、ナルチェリンと一緒に生活を始めたことを喜び、「困ったことがあったら何でも言って来いよ!」「金は、あるか?」など、節目節目に電話をしてきたり、お菓子を持ってふらっと上田学園に遊びに来て、ヒロポンと一緒に一日中上田学園の授業を受講し「お前はすごい授業を受けてるんだな」と感心し、いつもいつも気が付くとヒロポンの後ろにヒロポンが尊敬し続ける二人のお兄ちゃんが、何の見返りも要求もしないで、応援している。

弟が自分達をも乗り越える勢いで大人に成長して一人歩きをすることを、心から喜んでいるその姿に、いつも頭が下がる。そして、心が洗われ嬉しくなる。ヒロポンのためにお兄ちゃんたちにお礼が言いたくなる、「本当にありがとう!」と、90度のお辞儀付で。こんなお兄ちゃんたちが応援団としてついているヒロポンは、絶対フリーターなどにはならないだろう。事実昨日の朝など、メールをチェックしている私の側に来て「俺はあまり物を知らないので、働きながら夜間大学でも行こうかと考えています・…、まだ卒業までに時間があるので、しっかり考えて・…、また相談に乗って下さい…」と言って、私を驚かせた。

94歳の母に、新聞記事の話をしたりヒロポンのお兄ちゃんたちの話をしながら、上田学園の学生たちの成長を心から愛で、無条件に喜んであげられ、そして彼らがどんな悪条件でも自分の足で次のステップを踏んで出ていかれるように、どれだけ丈夫な彼らの踏み台になれるか、ヒロポンのお兄ちゃんたちに負けないように頑張るという私の言葉に、嬉しそうに大きく頷きながら「良かったわね、そんな良い子供達や良い人たちに囲まれてお仕事が出来て」と一緒に喜んでくれる母の言葉を背に、出かける準備に入った私は、私のテーマソング「♪ガンバラナクチャ、ガンバラナクチャ…♪マ・ツ・ケ・ン・サ〜ンバ♪♪…!・・??」と、新しいバージョンのテーマソングを歌ってしまった。

 

 

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