●学園長のひとり言

平成17年6月8日

 (毎週1回)

ぐんぐん伸びて

フット目をさました私は何気なく時計を見る。2時45分。まだ真っ暗な窓の外から新聞を配る音が聞こえる。

「初めてでした、今日夕刊配り終えたのは俺が一番でした」
仕事や宿題で居残っていた私達の皆で食べていた焼き鳥を美味しそうにほおばりながら話してくれた卒業生のチェリンの言葉が、頭を横切る。

「でも朝刊はやばいです。誰よりも一番早くに朝2時には起床して、2時半には配達準備を始めるけど、配り終わるのは一番遅いし、時々『遅い!』と苦情が来るし…。それに、まだバイクが上手く操作出来なくて時々倒れるし、雨が降ると配達順序が書いてある特別な地図がめくれないんです。それに手間取ったりして、それでもっと配達が遅くなって…」、手振り身振りで配達悲話(?)を話してくれるチェリンの顔は、昨日よりずっと大人びて見えた。

3時。なんだか眠るのが申し訳ない気持ちになりホームページを書こうと起きて電気をつける。遠くの方からカラスの鳴く声と、ちょっと走っては停まり、ちょっと走ってはまた停まる新聞配達人の乗るバイクの音が聞こえてくる。

「チェリンも頑張っているんだから」と自分に言い聞かせ、コンピュータの前に座りながら、ここ数週間の上田学園の慌しさを思い出し、思わずため息が出た。

「一生人間関係の問題はついてまわるのに、それに立ち向かわせないで逃げることばかりを教える。俺、そんなの絶対嫌だ!」友達を心配して頭を抱えた学生。

「本人が悪いんじゃないよ。親の問題だよ。頭にくる!」。そんなことを言いながら、なんとも説明出来ないやりきれなさに、腹を立てる学生。

この世界を構成する人たちは、人種も教養も、知識も、社会的背景も、環境も、経済的条件、身体的条件、あらゆることが全く同じではない。だからこそ自分を足したり引いたりしながら、彼らと協力しあって生きていくことが必要であり、当たり前なのだという考えが、自分自身のことや自分の周り、色々な国での長い生活体験の中でしっかり定着しているつもりだ。その考えの中に、学びのテンポも成長のテンポも各自で違うのが「当たり前」という考も含まれている。.

上田学園の学生たちに対しても、昨日より少しでも何かを学んでくれることの方が大切で、「今日の他の人」と同じに出来ないことを嘆くことは、馬鹿げていると考えている。ただせっかく同じ「上田学園」という場所で出会い、一緒に学ぶチャンスがあることを「グットチャンス」ととらえ、共同作業をする中で協力しあい、色々な体験をしながら学びあえたらいいと願っている。

私も含め、学生たちが頭を抱え、腹を立て、自分たちが混乱しているときに、またまた「可哀想なことをしたな。知っていたら一緒について行ってあげたのに」と、思わず先生に同情される学生が出て来た。我らの「アイドル」、大ちゃんだ。

都庁まで申込み用紙を取りに行き、8千円の収入印紙を貼り、返信用の封筒に切手も貼り、申し込み準備万端整えて一緒に受験するヒロポンに電話。

「劇団の友達と今から渋谷の郵便局に行って、試験の申込書を送るから」
「分かった。何か困ったことが出来たらすぐ連絡をよこせよ。送ったら先生に報告入れとけよ」
「うん、分かった」

そんなやり取りをしていたという彼。当然高校卒業程度認定試験の申込みは終了し、後は試験に向けて皆でサポートの強化をすればいいと誰もが考え、誰もが何だかちょっとホッとした一日。現実は、友人の案内してくれた郵便局が中央郵便局でなかったことに気づかず、まだ3時間も余裕があったのに「9時過ぎていたので」と、受験の申し込みをしそこなった彼。

上田学園を卒業する来年からは「専門学校に行きたい」と張り切っていた彼だけに、本人は勿論だが、一生懸命彼を応援していた人たちをも、ガッカリさせた。

「弟さんが来るの?よかったね。何かお菓子でも買ってこようかしら」
「いや、ここには来ません。俺が忘れた本を届けてくれるんです。駅で5時に会います」

自分に似ていない(?)から連れて来たくないという荻チャ。せっかく吉祥寺まで来て下さるのだから、せめて美味しいコーヒーでも飲んでいってもらおうという提案に「いいです」と愛嬌のない拒絶の一言。でも何時になくニコニコと嬉しそうに。

「ヒロポン、藤田居る?」
「居るよ」
「藤田に言っといて、今から弟を連れて行くから」

直接藤チャの携帯にかければすむのに、わざわざ俺のところに掛けて来たと面白そうに言うヒロポンの説明に、そこに居合わせた全員が荻チャの照れくさそうな顔を思い出し、思わず爆笑してしまった。そして彼の入学時の様子や、彼が変化をしていった色々なことなどに話のはなを咲かせている中、またまた「俺と全く似ていないんだよ」とブツブツ言いながら大学一年生だという弟を連れ、荻チャが戻って来た。

「こんなところ見たことがありません」と、荻チャがみんなと話している様子に驚き、ニコニコしていることにも驚き、小さいときはよくぶん殴られたこと等を話してくれながら、「兄貴はあまり素直じゃないから」と言う弟さんの言葉に、皆が爆笑すればするほど、これ以上言われたら声を出して笑いだしそうな笑いを一生懸命堪えている荻チャの様子に、小さい時から弟とも両親ともあまり話をしたことがないとか言っていた荻チャの話から想像していたのと違い、弟さんにとっての荻チャは、近い将来必ず「素敵な兄貴」になるだろうという予感を、そこにいた全員が感じさせられた兄弟のツーショット。久しぶりにほのぼのとした雰囲気が学園を包んでくれた。

学生たちの毎日は成長の毎日だ。彼らは今を一生懸命生きている。そんな彼らの学校であって学校じゃない不思議な場所の上田学園は、当たり前なのにそれが「不思議」と思えるほど、呼吸し、血がかよい、生々しく毎日を生きている学校だ。

ここで起こる色々な出来事は、あるときは大きな幸福感を、あるときは自分の来し方を反省させられたり、新しい気付きをさせてくれたりと、一分一秒たりとも気の抜けない、真剣勝負で体当たりをしなければ過ごせないまるで戦場のような、でも、面白くて楽しくて、どんな悲壮感に襲われることがあっても、最後は大きな未来を感じさせてくれる学生たちに導かれ「私は幸福!」と心底思わせてくれる不思議な所だ。

そんな不思議な場所でここ数週間起きた色々な出来事は、私に「愛するって何?」「信じるって何?」「学ぶって何?」「学ばせるって何?」「期待するって何?」「信頼するって何?」「信頼されるって何?」「親って何?」「教師って何?」。まるで大学生のときにコーヒー一杯で6時間も7時間も喫茶店を占領して友人や先輩達と議論したとき以来と思えるほど、考えさせられた。そしてここ数週間に起きた色々の出来事は、学生たちの上にも色々な学びを確実にもたらしてくれたのと同時に、改めて学生たちの公正な考え方や若者独特の鋭い観察力に驚嘆させられた。

「ちょっと草臥れた、休みたい」というヒロポン。そんなヒロポンがあるときを境に、30分前のヒロポンからしっかり自分の意見を言い、自己主張し、そしてきちっと後輩の「兄貴になった!」と感じた瞬間が、ここ数週間の間の色々な出来事を通して、あった。

上田学園に入学して2年半。毎日毎日薄紙をはがすように「それが彼の本来の姿なのだろうな」と想像出来るほど、自然だと思える彼に戻って行き、それに「学び」が出て、自分に磨きをかけてきた。そんな彼がここへ来てまたまた一皮も二皮も剥けて輝きだしている。その様はいとおしく思えるほどだ。

問題から逃げても何も解決しないことをしっかり体験している彼は、何事にも一生懸命努力している。そんな彼を「頑張れ!」と応援するしか出来ない自分に時々不甲斐無さを感じたりするが、そんな不甲斐無さを払拭してくれ、頭で考える前に応援したくなり、また応援することが「自然なこと」と思え、自然に応援している自分に気づかされるのは、上田学園に在籍している2年半で、彼自身が彼自身の行動でしっかり証明してくれた彼の「誠実さ」があったからだろう。

ここ数週間、私の心はなんと忙しかったことか。その中、自分の存在を愛でる心が育つために大切だと思える、家族に感謝する気持ち。他人への関心。他人への興味。その全てが皆無に近いと思えるほど、世の中全て「自分中心にまわっている」と誤解しているとしか思えない自己中心的な行動をとりがちだった学生たち。

そんな彼らを目にするたびに心配していたが、そんなことは「心配ご無用!」とでも言いたげに、何気ない言葉や行動などを通して、他の学生に関心や興味をもち、心配し、団結し、無意識のうちに上田学園の存在を大切に思ってくれていること知らせてくれた数週間だった。そしてそんな彼らの成長には「目を見張る」どころか、賞賛と尊敬と感謝状を授与したくなったほどだった。

現在の上田学園の一日は、確実に受身の授業から能動的な授業に転換するべく学生たちが切磋琢磨しながら努力を始めている。そんな授業の取り組み方が、彼らを日々しっかり成長させてくれるのと同じように、彼らと共有する上田学園で起こる出来事が、上田学園の方向性、上田学園の教育方針、上田学園のあり方などを、しっかり再確認させてくれる。そして再確認されるたびに、学生の未来を自分のつまらない物差しを基準にした「針の穴のような小さな穴からのぞいて決めつけてはいけない」と、警告してくれている。

大人は老いていく。学生たちは成長していく。その間に日々大きな隔たりが出来る。その隔たりが学生たちの未来を小さな箱の中に閉じ込める原因になる。

それをしないために、上田学園の学生たちを社会から隔離したり、行動を制限することで彼らを守るのではなく、チャンスがあるたびに頭をぶつけさせ、叩かれ、痛い思いや楽しい思い、嬉しい思い等の生を体験させ、経験させることで、自分だけの社会に風穴をあけ、逞しく自立呼吸をしだすように、過去をしっかり生き、今も素敵に生きている色々な生き方や価値観を持った先生方が、生徒が迷子にならないように、生きるサンプルをその行動で示してくれている。

色々な局面を持つ社会からの叱咤激励の中、学生たちが逞しく他人と共存しながら、でも自分らしく成長し、一人の社会人として生きていけるように彼らの「学び」をサポートをすることが、上田学園の存在理由であり、そのことが彼らの将来に重要な意味をなすと、改めて上田学園の設立趣旨を確認し、今日より明日。明日よりあさってと、一日一日を学生たちと確実に歩んでいこうと思う。

上田学園の卒業生たちは、色々な先生方から育てて頂き、現在国内外の社会からの厳しい叱責や、厳しい応援を自分へのエールとして、0.1ミリでも前進することを喜びとし、一生懸命努力している。

そんな先輩達に囲まれて、在校生もいつのまにか社会に出て行くための準備を始め、「何時の間にか成長しちゃったけど、どうやったの?」と質問したくなるほど、何があっても一生懸命それを乗り越え、その歩みを止めることなく、確実に一歩一歩前進している。

彼らが大きく成長したこの数週間の出来事。この出来事を通して、人は人間として生きてはじめて成長すること。人を愛することも含め、人間関係の問題があるからこそ、そこに学びがあり、それがあるから面白い人生がおくれることを確実に理解したような学生たちの様子に、今後この小さな上田学園に在籍する中で、どんな人間関係を築き、どんな問題をどう解決しながら成長していくのか、また新たな楽しみが出てきている。

久しぶりにあわただしかった数週間の色々な出来事。でもやっぱりまた言いたくなっている、君達が居てくれて「嬉しい!」と。こんな素敵に可能性のある彼らを生んでくれた親御さんたちに、心から「感謝します!」と。

只今上田学園の上田早苗は、親御さんたちが子供に対して行使出来る特権を、私も体験させて頂いております、学生たちの将来や未来を想像して一人で悦に入るという至極の時間を。

 

 

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