●学園長のひとり言 |
平成17年6月23日
(毎週1回)
同じ空気を共有して 何だかボーットとしていて良く見えない。それまでの落ち着かず、逃げ出したい気持ちと戦っていたことなど、誰にも気づかれたくなくて平気な顔をしていたのに。 歌い演技する彼の生き生きした様子に、驚きと同時に、来年から専門学校に行くために「高等学校卒業程度認定試験」を目指すと言っていたけれど「本当に勉強を開始するかな」という思いと、「もっと大きな舞台で、のびのびと演じさせてあげたい」という勝手な思いが、勝手に交差する。 「すごい!すごい!」を連発して、夢中で手を叩いている隣りに座っていたレッツの日本語の先生。彼女の拍手の音に、また胸が一杯になる。 泣きたくなるような舞台に「一番若い大ちゃん」ではなく、「一番小さい大ちゃん」という思いで接していたような大ちゃんが、普段の彼からは想像も出来ないほど「これが僕さ!」とでも言いたげに、堂々と歌ったり踊ったり演技したりしていた。 「先生、ありがとうございました!」 いつもと違う「大ちゃん発見」に、応援に行った皆でワイワイガヤガヤと、賑やかな新宿の大通りを歩く。「拍手を浴びちゃったからな、きっともっとやりたくなるだろうね。下手すると病みつきになるだろうな」とバンドを組んで何度もライブをしていた川戸先生の言葉に「今日の大ちゃんを見ちゃうと、大ちゃんに合うんじゃないかな」と、誰からが言う。 応援に行ったはずの先生達も学生たちも、一生懸命舞台に打ち込む大ちゃんの姿に心が和み、ホッとするのと同時に魅せられ、「良かった、よかった!」を連発しながら、気にかけ、心配し、それでも動こうとしないことに心を痛め、自分たちの思いやりが不足しているのではないのかと、反省半分、諦め半分。でも諦められない何かで、心にずっしりのっかっていた説明出来ない何かが、気持ちよく溶けていくのが分かった。そしてふっと思い出した、6月19日の新聞記事を。 6月19日の新聞に、文部科学省の「義務教育に関する意識調査」の結果が発表され、「ゆとり教育の見直し」の焦点になっている「総合的な学習の時間」について、肯定的に捉えている小学校の教師たちと違い、「準備に手間がかかる」などの理由で約6割の中学教師が「なくしたほうがいい」と考え、50%を超える中学生が総合的な学習が、「将来の自分たちにどう役立つのか分からない」と批判的だという。 土曜日・夏休みの補習に関しては、6割の保護者が「賛成」で、6割にのぼる教師が反対。 教師も含め全ての大人は第一位に「教科の基礎的な学力」を学校に求め、小・中学生は第一位に「善悪を判断する力」を学校に求め、大人と子供の間に「学校に求めるもの」に明確な違いがあるとも。 そして「教師ばかりに問題があるわけではないが」と言いながらも、今回の調査結果で、「教師の後ろ向きの姿勢が目立った点が残念だった」と、解説者が述べていた。 大ちゃんの舞台をみて、改めて新聞記事を思い出し、考えてしまった。 どんな意見もそれなりに理屈があり、理由があり、無視出来ないものがあるが、しかし、後ろ向きの被害者意識ばかり持っていたら、解決出来ることも解決出来ず、進展していかないだろうと。 先生を動かすのは、生徒。生徒を動かすのは、先生。努力は結果をうわまわり、一生懸命は人を納得させる。 使い上手の使われ上手。使い上手だけでも駄目、使われ上手だけでも、駄目。 準備に手間がかかっても、何に役立つか分からなくても、努力をすることは結果の如何に関係なく何かを手にいれ、一生懸命も何かを納得させてくれる。 当たり前だが、努力することは素敵なことだ。一生懸命も素敵なことだ。それが出来るようになるために、毎日の生活の中で努力も一生懸命も実践して欲しい。 乾杯したい気分の大ちゃんの舞台後、成チェリンに大判焼きをご馳走になった。 「成チェリン、わるいわね、ご馳走様!」と言う私にチェリンが「先生いいんです。最近の俺、安いものですけれど色々買っていって、配達所のほかの学生と分けて食べるようにしているんです。そのほうがずっと美味いし」と、話してくれた。 そして、自分が何日でも誰とも話さなくても平気だと気づいたこと。そんな自分を一人の人間として大人の社会で生きていくのには「まずい!」と思ったこと。 長くても2年、短ければ1年。一緒に働ける時間が決まっている新聞配達所の学生たちと交流して、もっと「話してみたい」と。「意見を交換してみたい」と。 昔の自分みたいに、小さな食堂に隣同士で座っていても、全く他の人に興味を持たず、他の学生がいても五百円のケーキを一人で食べているのを見て、上田学園で学んだことを実践し、例え一袋のポテトチップスでも「よかったら、どうぞ!」と言って食堂のテーブルの上に開けると、一人二人とそれに手を出してくれて、それがきっかけで皆と話が出来て、楽しいと。 大ちゃんの舞台から、もう4日経った。今日と明日は、学生たちは山へ「山菜採り」に。静かな上田学園に新聞配達を終えたチェリンが来て、勉強している。そしてこの間の続きのような話をしてくれた。 「俺、一生懸命やってリサーチも、証券も勉強も、上田学園の仲間以外の学生に『面白い事やっているね』と興味をもたれるようなリポートを書こうと思います。そうすれば、本物になれると思うんです。その手始めが同じ販売所の学生たちで、学生の中には同じようなテーマで大学のレポートを書いているけど、全部本から写すだけなんです。それをレポートと称して提出するんです。タッチや他の上田学園の学生たちのリポートを見たら、驚くと思います」と。 「まだ上田学園に出入りしているの」と、親に言われるとも言う。 ご両親の反対を押し切っての住み込みをしながらの「証券アナリスト」の勉強を開始した彼のことを心配し、そんな彼のことを応援する上田学園に不信感と同時に、ナルチェリンをとられてしまったように思われているのかもしれないと、申し訳なく思っているが、彼の成長には目を見張るものがあり、「ご両親のお子さんです。彼を信じてもう少し、じっと見ていてあげてください」と、何度でも頭を下げてお願いしたいと、考えている。 そんな彼の住み込んでいる部屋に珍客が泊まった。1年ぶりで遊びに来てくれたチェリンの同期生のチーチーこと、知花だ。 父親を手伝い沖縄で菊の花の栽培農家をやっているチーチーは、二年制だった上田学園の最後の卒業生だ。 「学校、変わりませんね」と言って、嬉しそうに眺めていた彼は、授業の内容や学生たちのリポートや作品を見て「すごいですね・…、凄いですね…!」と驚嘆し、言葉をなくしていた。そんな彼も本当に素敵ないい男性になっていた。 「本当に言いたかったんです。今の僕があるのは上田学園のお陰です、先生本当にありがとうございました」と、丁寧にお辞儀をしてくれた彼に、思わず「貴方も立派な男性になり、素敵になったわね。本当にありがとう!」と、眩しさと照れくささで、お互いしっかり顔が見られず、頭をさげた。 「チーチーは偉そうに父親を否定するけれど、お父さんが一生懸命働いて、土地を買い、トラクターを買い、従業員を雇い、その土地やトラクターや従業員をタダで使って、『親爺は駄目なんです、仕事が出来ないんです』、それはないでしょう」と言っていた私の言葉に、入学したての頃は反発していた彼も、改めて仕事を再開して一人でやり始め、父親を批判していたことをそのままやってしまう自分、失敗をいっぱいしてしまう自分。そんな経験が、父親の苦労を理解し、父親を一人の仕事人として認め、感謝をし始めたのだろう。それがしっかり顔に出ていた。 毎日毎日、色々なことが起こり、苦しくなったり、居たたまれなくなったり、逃げ出したくなったり、学生と同じに生きているが、ふっと漏らしてくれる満足そうな学生たちの呟き。生徒たちを愛でる先生達の感歎の言葉。そんな何気ない、でも大切なことで埋め尽くされているこの空間が、上田学園であり、心に「ビタミン愛」をたっぷり注いでくれる場所でもある。 そんな上田学園の変化を日本語の教師たちがまた違った目で愛でてくれ、優しい涙を流して感激してくれる「上田学園という同じ空気を共有しているだけなのに、不思議ですね」と。 ここ数日、学生たちの変化や成長に先生達がもっと答えようと動きだしている。その様子はまるで「相手を動かしたかったら、自分から」と言い続けてきたことを、学生たちが実践した結果のように。同時に、学生たち同士も助けたり助けてもらったりと、お互いを思いやったり気遣いあったりしながら、授業の中で先生達と面白いキャッチボールを始めている。不器用な学生たちが示す、心の感謝を秘めたキャッチボールを。 そんな教師と学生のやり取りに、思わず仕事の手を止めて聞き入ってしまう「なんて素晴らしい学校なんだろう」と。 今月25日はロンドンからビザの書き換えで卒業生のシーシーが戻ってくる。9月から大学の本科の授業が始るはずだ。7月1日から、卒業生のノロがチーチーの提案している農業を手伝うために沖縄に移住するという。 上田学園とレッツの新しい看板がもうすぐ出来上がる。学生達のデザインした看板。学校のイメージがぐっと「男前?」になりそうだ。どうしてこんな素敵な看板のデザインが思いつくのか、指導してくださるショーゴ先生の力量に感服している。 私も負けずに今よりもっともっと居心地のいい空間と、影響のし合える空間をつくっていこうと思う、美味しくて体にいい空気を共に共有するために。 そろそろ大ちゃんと大ちゃんが客員した劇団の演出助手をしていたワタちゃんが授業に復帰するだろう。またまた賑やかな上田学園の日々が戻ってくる。楽しみにしながら、待っている。
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