●学園長のひとり言 |
平成17年7月1日
(毎週1回)
思いやる心 「『おめでとう!』と、言いたいんです」こんな不謹慎な言葉で会話を始めた私の周りには、ご兄弟だろうか、肩を抱き合ってすすり泣く方、嗚咽する方、ハンカチで涙をぬぐっている方。大切な人たちを亡くされたときの光景が展開されていた。 彼女のお葬式に出席していること自体がなんだか不思議だと思うほど「悲しい」でもなく、「お気の毒」でもなく、「貴女は本当に凄い方ですね、人として妻として親として、きちんと責任を果たしましたね。それも愛情の一杯つまった思いやりで。ほんの少しのお付き合いでしたが、貴女と知り合いになれて、感謝しています」という言葉のみが心の中でくりかえされていた。 眩しいほどに神々しく、「こんな綺麗な方だったかしら」と思うほど綺麗で穏やかな彼女に最後のご挨拶が出来たから、場違いな言葉が思わず口をついたのだろうか。 勿論それもあるだろうが、でも本当の理由は、前日に彼女の友人である大家さんから、彼女が人生を終えるまでの数時間のお話を伺ったからだ。 昨年の12月、例年のように忘年会にお子さんと一緒に参加して下さったあの時からひと月もしないうちに病気がみつかり、手術したが「難しい状況」とお医者様に告げられた彼女。 病名について一般の方より知識のある看護学校出身の彼女は、色々考えたすえ、一旦手術をした病院から退院し、ここ吉祥寺から九州のある病院まで、付き添いたくてもお店を開店したばかりで休むことのできないご主人に見送られ、一人で電車と飛行機を乗り継いで、痛みと戦いながら通い、しばしば治療を受けに行ったそうだ。 そしてこれ以上通うことが適わなくなり、手術をした病院に戻り「絶対元気になる」と頑張って治療を受けていたそうだ。 お店を開店したばかりのご主人。中学二年生のお嬢さん。お二人を残しては行かれないという思いで一生懸命努力していた彼女の様態が急変し、ご主人とお嬢さんが駆けつけ、お二人で亡くなるまでの3時間を見守りつづけたそうだ。 この3時間は、病気が発見されてから亡くなる日までの彼女の「病気に負けないで家族を大切にしながらしっかり生きていこう」という真摯な態度。それを象徴するような3時間になったそうだ。 苦しい中で最後まで「絶対生きるから」というメッセージを目で訴えていたそうだが、そんな彼女の努力に「よく頑張ったね」という優しい思いからか、残されていくご主人とお嬢さんの口から「もう行ってもいいよ」という“御送り”の言葉に見送られ、安心したように、とても穏やかに、人生を終えられて行ったそうだ。 「何でも話しを聞いてもらえる親友が居なくなるのは、さみしいんだけれど、悲しくはないのよ」と、話して下さる大家さんの目には、一杯の涙であふれていた。 人間というものは、ここまで強く生きられるのかと驚嘆するのと同時に、一人の人間としても、妻としても、母親としても、残される者に悲しみだけではなく、「生きる」ということ、「死ぬ」ということをしっかり実践してみせ、残される者が悲しみの中にだけ生きることがないよう、彼女の出来る最大限の「思いやりの心」で、彼女がこの世に存在しないことを納得してもらえるように人生を終わらせていったことに、「なんて凄い女性なんだろうか」と尊敬せずにはいられなかった。 同時に、彼女とほんの少しでも知り合えていたことに感謝し、改めて生きている人間の役目として「一生懸命生きなければいけない」と自分に言い聞かせずにはいられなかった。 彼女との出会いは、美術大学ご出身で、ユニークな指輪のデザインをされ、それをネットで販売し成功している方がいることを知り、無理をお願いして一日講師としてお迎えしたが、その時の講師が彼女のご主人だった。 穏やかで、なんとも魅力的なご主人のお人柄と、ネット販売の工夫などを一生懸命講義して下さるご様子に、講義内容だけではなく、生徒たちは何かを感じたようだった。 その後も忘年会や卒業パーティーやバーベキューパーティーがあるたびに生徒たちはお誘いのメールを出し、それに答えて、先生がお仕事で不参加でも奥様とお嬢さんが参加して下さるようになっていた。 彼女が出席出来なくなったバーベキューパーティーは、今年も例年どおり行われるだろう。人生を終える最後の3時間も含め、この数ヶ月で母親から何かをしっかり受け取った中学二年生のお嬢さんは、きっとお父さんと一緒に参加して下さるだろう。 「上田先生、今の言葉が、私の今の本当の気持ちそのままです。ありがとうございます」 「おめでとう」という場違いな言葉でお悔やみを言い始めた私に、父親以上にお嬢さんが母親を理解し、肩肘をはっているのでも無理をしているのでもなく、きちんと自分の中で母親の死を受け止め、時々落ち込みそうになる父親を励ましてくれていること。 娘と話すというより同じ人間として話が出来、娘の本質をついた言葉で、元気になることが出来ているので「娘に感謝している」と話して下さったご主人の話に、改めて、こんな素敵な女性と知りあえ、結婚でき、そしてこんな素敵なお嬢さんが生まれ、ご主人は幸福な方だという思いと、こんな素敵に、人を思いやる心を持った女性を母親に持てて、本当に幸福なお嬢さんだという思いで、気持ちがどんどん和んでいった。 47歳という短い人生だったけれども、こんなに頑張って真摯に生き、妻として親として最後の最後まで一杯の愛情を注ぎ、そして引き際も見事だった彼女に、同じ女性として尊敬し、自然に浮かんできた「ご愁傷様」ではなく「おめでとうございます。本当に人生をまっとうされましたね」と声をかけてあげたかったあの気持ちは間違いではなかったと、ご主人の話を伺っていて心から確信せずにはいられなかった。 人を思いやることは素敵なことだ。けれど、どれだけの人たちが人を思いやって生きているのだろうか。ナルチェリンではないが、新聞配達を二ヶ月してみて初めて気が付いたことは、郵便ポストが配達人のことを考えて作られてないことだと。 デザインだけが重視されているポストがほとんどで、おまけにポストに花のつるを巻きつけて見た目は最高にきれいにしているが、新聞を入れるのに毎日苦労していると。 特に雨の日は、いくら新聞をビニール袋に入れて配達しても、ポストに入れるときに花に溜まった雨のしずくでビニール袋自体が濡れて、苦情がくると。 ナルチェリンの苦労話を思い出しながら、彼女のようには出来ないけれど、小さなことからしっかり人を思いやって生きていきたいものだと、願わずにはいられなかった。 そして残された者達は、彼女から教えられたり、気づかされたことを、しっかり継承していくことが、大切なご主人やお子様を残して旅立たなければならなかった彼女への本当の意味での「思いやり」であり、残された者のお役目だと信じている。
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