●学園長のひとり言
平成17年8月9日

 (毎週1回)

                 

                    心に寄り添って

「ヒロポン、お前は何をしていたんだよ」
心配を裏返しのような言葉で表現した荻チャに、その場に居合わせた皆が思わず笑い出したその笑い声をバックに、こぼれるような笑顔を向けながら「今年の試験問題、こんなのでした」と、差し出した試験問題用紙。

卒業後の選択肢の中に進学も入れたヒロポン。「大学入学資格検定試験」(大検)の残りの試験、英語と数学を今年から名称が変わった「高等学校卒業程度認定資格試験」で受験をしてきたのだ。

「ヒロポン、どうだった!」、ヒロポンが学校にやって来たのを知った成チェリンが試験の結果を心配して、住み込み先の新聞販売店から飛んで来た。

数学は何とかなったと思うが、英語は心配だという。そんなヒロポンの差し出したテスト用紙を見て、大学の夏休みでロンドンから一時帰国し、ヒロポンと大ちゃんの数学の先生をしているシーシーが「またレベルが下がっていますね。どこまで数学の程度を下げるんでしょうかね…」と考え深げにテスト用紙をチェックし始めた。

そんな皆のやり取りをシーシーの数学の授業が終わったばかりの大ちゃんが「落ちればいいのに」と独り言のようにボソッと言う、11月に一緒に受験をしたいのだと。

そんな彼らのやりとりの中に、それぞれがそれぞれの方法でヒロポンを心配するなんとも暖かいものを感じ、嬉しくなる。

最近の上田学園は一つの出来事で、色々なことを考えさせられ、またそれをきっかけに、学生たちが今まで以上に連帯感を強めていると感じることが、多々ある。

その一つがおっちゃんの自主休講問題だったり、何事も趣味が優先順位の一位を占めている関係上、他の学生たちとの共同作業授業に女性としてのワタちゃんの貴重な意見が反映されないという大損失問題だったり、大ちゃんの「連絡不能問題」などだったりする。

学生たちは事あるごとに、一人一人の学生との係わり合い方を反省したり、一人一人の問題を自分のこととして考えたりするようになった。

誰も一人では生きられない事実。誰も一人では生きられないことが、自分だけの問題で、他人には関係ないし、迷惑なんかかけていないと思ってやっていることでも、実は他人に大きな影響や迷惑をかけていることを、かけられる側になってやっと実感し始めている。

「何で俺たちだけがこんな被害をこうむるんだ?」と言いながらも「迷惑かけられても、何もしないで寝ていられるよりいいよ」と、学校に来ない学生たちを心配している。

言葉も言い方も前と同じように見える学生たち。しかし、そこには「だから俺たちだけでもお互いに頑張って、彼らが戻るまで何とかしよう」と、小さなことでお互いを思いあっていることが分かるような場面に出くわすことが多くなっている。そんな彼らを見ると、なんだが心が洗われる。暖かい気持ちに包まれる。むやみやたらに自分を反省したくなる。

どんなに小さな問題も、大きな問題になり、どんなに小さな問題も必要だからこそ起こり、それが大きな学びにつながる。上田学園で起こるどんな些細なことも学生たちにとって重要な「学びのチャンス」であることを、改めて確認させられている。

小さな喜びは大きな喜びに通じ、小さな幸福感は大きな幸福につながる。そんなことをいつもいつも再確認させてくれる学生たち。そんな彼らに内心感謝しながら、でもやっぱりどこかでおっちゃんのこと、ワタチャンのこと、大ちゃんのことで、他の学生たちとちがって「時間」という条件があるだけにあせり、心が押しつぶされそうになる。どうしてあげたらいいのだろうかと迷う。ご指導していただけるものならどこにでも飛んで行くし、聞く耳を持つ。何が本当に彼らに必要なのか、理屈ではない答えが欲しいと願ってしまう。

そんな中、思いがけず学生たちの兄弟たちが上田学園に集合してくれた、それも同じ日に。

大ちゃん家の三姉弟が昼に揃い、夜、上田学園の学期末パーティーにヒロポン家三兄弟とシーシー家の姉弟が揃ったのだ。

勝手に自主休講日にすることの多い土曜日。学校の玄関のドアが突然大きく開き、興奮気味の大ちゃんが飛び込んできた。「兄貴が来たみたいなんです、駅まで迎えに行って来ます」と言って、そのまま飛び出して行った。

「大ちゃんのお兄ちゃん?」意味がよく分からず待っていた私たちの前に、雰囲気や話し方まで卒業生の野呂田君にそっくりな大ちゃんのお兄さんがやってきた。京都の設計事務所で働いているという大ちゃんのお兄ちゃんは、出張で東京に来たついでに寄って下さったとの事だった。

お仕事のこと、小さいときのこと、色々な話をしたその中にイギリス留学のこともあり、時代は大きくずれているが、私の留学先でもあったイギリスのブライトンにいたこと。ホームステイをしていた家同士が近かったこと。同じ道を通って学校に行っていたことなど、懐かしい話で盛り上がる中、大ちゃんのお姉さんも到着。皆で色々な話をした。勿論その話の中には一番大切な大ちゃんの話も。

お姉さん、お兄さん、そして大ちゃんの三姉弟。普段大ちゃんから聞いていたのとは大違いと思いえるほど、3人が醸し出す雰囲気には「優しさ」があった。

勉強のことでお姉さんが大ちゃんに突っ込みを入れる。それをお兄さんがフォローする。その絶妙なコンビネーション。そんなやり取りを見ながら何となく藤ちゃの言葉を思い出した「ダイは大丈夫だと思います、絶対彼は時期がくれば丈夫です。俺はあんまりダイのことは心配していません。一日何もしないで寝ているのだけはやめさせた方がいいですけど」という言葉を。

家の中とは態度が違うと言い続ける大ちゃんに「ダイにちょっと俺はやりすぎたかもしれませんね」と反省しながら、大ちゃん自身のために授業に出た方がいいと思うこと。やることをやっていれば遊んでもいいと思うこと。自分の体験を交えて色々な角度で問題を浮き彫りにしながら話すお兄さん。それをフォローしながらしっかり自分の意見を言うお姉さん。二人の様子には、弟が心配だから「何とかしなければ」という思い以上に、無意識のうちに弟の心に寄り添っていこうとする姿勢が見え、「姉弟っていいものだな」と改めて感じると同時に、何かを「やってあげる」ではなく、何が「出来るか」を考え、彼の心に寄り添っていけるようにならなければと、深く反省させられた。

大ちゃん姉弟が置いていってくれたポカポカとした暖かい気持ちに包まれる中、恒例の学期末の「バーベキューパーティー」が始まった。

「弟が本当にお世話になりました」とニコニコ笑いながら話かけてきた相変わらず可愛いお姉さん。「今時こんな清楚なお嬢さんがいるの?」と驚いたほど、心根の優しい、幼さをいっぱい残した高校生のような大学生だった彼女が上田学園を訪ねてきたのは、もう5年も前のことだ。

国立大の2年生だった彼女は、不登校になった弟を心配し「何とかしなければ」とあせり苦しむご両親のためにも、苦しんでいる弟のためにも何かをしたいという思いでいるときに偶然なことで上田学園を知り、訪ねてくれたのだ。

ポロポロと落ちる涙を一生懸命拭きながら「弟は本当はいい子なんです。頭も本当に悪くないし・・」と一生懸命話してくれたあの日の彼女の可憐な姿と印象は5年後の今も全く変わらず、「シーシーはまた一段とやさしい顔になって帰って来ましたね」という私の言葉に「本当にありがとうございます」と丁寧に頭を下げてくれた。

9月からいよいよ大学のファンデーションコースに進むことになったシーシー。それについての親の気持ちなどを話して下さるその話の合間に、彼女が弟を叱咤激励するのではなく弟の心に寄り添って行こうとしていることを知り、「さすがシーシーのお姉さん」と、尊敬したくなると同時にシーシーのために「ありがとう!」とお礼が言いたくなった。

「お姉さんやお兄さんがいてよかったわね」と、ダイちゃんやシーシーに声をかけてあげたいと思いながら、学生たちと楽しそうに話をしているシーシーのお姉さんの笑顔を見ていた私の前に「弟がお世話になります。だんご三兄弟です!」とにぎやかに登場したのは、ヒロポンのお兄さんたちだった。

一番上のお兄ちゃんとは九歳、下のお兄ちゃんとは二歳ちがいのヒロポン。「あの二人の兄貴には適わないし、尊敬しています」と公言してはばからないほど、二人の兄貴たちを心から慕い、信頼している。

楽しそうに学生たちと話をし、にぎやかにパーティーの座を盛り上げながら、時々真顔で「弟は本当に変わりました。今の彼が嘘のようです。元気になり、自分の子供たちのことも可愛がってくれますし」と話す上のお兄さん。「弟は卒業できますかね。俺もここで勉強したいですよ、弟に負けそうです」と満面の笑みを浮かべて楽しそうに話す下のお兄さん。その笑顔の中に、どんなに弟を心配していたかが分かると同時に、このご兄弟は長い間本当にヒロポンをあきらめることなく、彼らの希望を弟に押し付けるでもなく、上田学園を信頼し、ヒロポンを信じ、ヒロポンの心に寄り添って時期の来るのをヒロポンと一緒にじっと待っていて下さったなと、胸がいっぱいになった。そして最近の自分のあせりや、勝手に心配する自分の心に「私は本当に学生たちの心に寄り添っているだろうか」と自問自答すると同時に、「心に寄り添う」ことと、「同情」は異質なもの。それをしっかり区分けをしておかなければいけないと、改めて自分に言い聞かせた。

「〜するべき」「〜しなければ」「〜させたい」など等、私は今まで以上に色々な意味で自分の心と闘っていかなければならないだろう。そして絶対闘っていこうと考えている。卒業までという時間枠の中で、家族でもない私が出来る上田早苗式の「学生たちの心に寄り添っていく道」をしっかり探し出すためにも。

久しぶりに心が洗われ、夏ばて気味の心に気持ちよく吹き込んできた若い姉兄たちが贈り物のように贈ってくれた涼風。感謝しながら仕事のエネルギーに変えさせてもらい、暑い夏の中で頑張っている学生たちの心にも、心地良い風にして吹き込んで行きたいと考えている。


上田学園はただいま夏休み。と言っても学生たちは補講の授業及び宿題をするために例年以上に毎日といっていいほど、学校に来ている。色々な問題を彼らなりに解決しながら、秋学期の準備をするようだ。荻ちゃにいたっては、毎日朝の3時、4時まで学校で勉強している。内心「荻ちゃ、東大でもお受験するの?」と質問したくなるほどだ。

28歳になったオッちゃんと、25歳のヒロポン。そして20歳の藤ちゃがあと半年で上田学園を卒業していく。一日も早く痛風を治し、自分の心に正直に向かい合い、自分の強さも弱さもテーブルの上に乗せることが出来るような勇気がもてたら、オッちゃんは元気になり授業に参加するだろう。

ヒロポンも藤チャも卒業後のことを真剣に考えているという。やりたいことが明確になってきているともいう。上田学園紅一点の大切なワタチャンは10月からどうするのか。演劇一本になるのか。大ちゃんは4日間、遅刻もせず誰よりも早く学校に来、「勉強、楽しめてるじゃない!」と肩でも叩きたくなるほど、英語の授業も数学の授業も楽しそうに勉強している。細々とでいい、毎日繰り返すことの意味をしっかり理解できるように、これが続くことを願っている。

上田学園は生きている。色々な問題を一つ一つ解決しようと努力をしている。人と助け合い影響しあいながら成長を続ける学生たち。そんな彼らの心に寄り添いながら、また自分の心にも寄り添いながら学生たちと同じように、一つ一つ問題を解決していこうと考えている。


 

 

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