●学園長のひとり言
                                  平成17年9月22日                                                (毎週1回)

                 

こんな俺に誰がした!

「親がちゃんとしなかったからこんなオレになったと、親に責任があると分かったときから、自分の責任になると俺は思うけど」

そんな言葉が私たちの話に割り込むように飛び込んできたのは、今の自分になったのは小さいときに親がきちんとしてくれなかったからだと言って親を攻め、前進することを拒否する子供が多いという話を、学生たちとしていたときのことだった。

思わず振り返った私の目の中に、大ちゃんの高校卒業程度認定試験数学のサポート準備をしていた卒業生のシーシーの、一段と穏やかに、そして清清しい若者に育ち出している姿がそこにあった。

彼は言う。親がちゃんとしてくれなかった結果今の自分があると気がついた時点から、自分で自分の責任即ち、自分に対し今の自分から脱却させる責任が発生するのだと。

確かに彼の言う通りだろう。生まれたときから今までの間ずっと親が親としての教育が出来なかった結果、今の自分があると信じるならいくら親に責任をとってもらおうと文句を言っても、そんな親に責任がとれないことぐらいは、一番自分が分かっているはずだ。まして親が責任をとるだけの力がないという事実に気づいたのだから、自分でなんとかするしかない。おまけに気づいた結果の責任が発生し、その責任を果たす義務すら発生しているのだ。その義務を遂行出来るところまで成長しているからこそ、親の駄目さに気づいたのだろう。

シーシーの口からこんな言葉が出るようになったのかと驚く私に、彼は照れくさそうに「そんな偉そうなことを言っている僕自身、それを実践することが困難で、それが実践できずに時々悩んでるんですけどね」と言って、一段と照れくさそうに数学の教科書に目を落とした。そんな彼の横顔を見ながら、よくここまで成長して来たという思いと、毎日が毎日としてしっかり機能しているということが推測出来、嬉しくなった。

ここ数週間、荻ちゃの一言に驚かされ、ヒロポンの一言に驚かされ、なるチェリンの一言に驚かされ、フジちゃの一言に驚かされている。それもほんの数日前にはなかった考えが、その日に起きた色々な出来事を通して頭をフル回転させながら一生懸命問題から逃げずに自分なりに考え実践してみたり、実践しようと決心したことから出てくる言葉だということが良く分かり、若いということの素晴らしさと、未来への内に秘めた可能性を垣間見るような彼らに、感動さえしている。

普段なかなか会えないシーシーの言葉には今までにない穏やかさと、正直に今の自分を見つめる目が育ち、それがいっけん華やかに見える留学生活の裏側で、足を地につけ毎日の生活の中で自分の昨日と闘いながら頑張って勝ち取っているだろうことを如実に物語っているように思え、今まで以上にエールを送りたくなっている。

シーシーは上田学園卒業後、英国の大学でバイオテクノロジーの勉強がしたいと留学し、まず語学学校へ一年。その後、大学で勉強する学生のためのアカデミック英語の勉強のために、ロンドン大の別科で勉強。そしていよいよ今年の10月からロンドンから1時間半くらいのところにある大学の農業科へ進学するようになっていた。しかし、彼が行こうとしていた大学には珍しく日本人が全くいないという。IELTSの語学試験で、大学入学可能なギリギリの点数で大学進学が決まっていたが、今無理するよりもう少し英語力をあげて、それから大学のファンデーションに行かずに直接学部入学を考えたほうが後々本人のためになると思うが「先生はどう思いますか」と、英国の大学や専門学校のAO入試担当をしているロンドンの佐藤先生から連絡が入った。

私は佐藤先生の意見に大賛成だった。

生まれたときから英語漬けのイギリス人でも難しい英国の大学。英語力がギリギリで入学してもなかなか授業にはついていけないだろう。経済的に許されるのであれば、一年遠回りしても大学に入って学びたい授業が楽しめるだけの語学力を、まずつけたほうがいいと考えた。まして人間関係を上手に築くことにやっと慣れてきた彼にとっては、遠回りしたほうが正解だと考えたのだ。

確かにお金がない、時間がない、年齢も結構いっている。だから早く大学生になりたいとあせり、点数ぎりぎりでも大学生になり頑張る学生も多い。しかし、そうやって焦って大学生になっても結局知識も、その知識を集める語学力もなく、何年も進級が出来ず、最短距離で大学を卒業する計画が最長で卒業する羽目になっている留学生たちをたくさん見てきた。それでも卒業までこぎつけられればいい方だ。途中で我慢できなくなり帰国をする学生が実に多い、
卒業できなかったことを内緒にして。

これは別に日本人だけの問題ではない。外国人の留学生も同じだ。日本語の教師を30年もしていると色々な留学生に出会い、彼らがどうなっていったのかを随分見てきた。

シーシーが時間とお金を無駄にし、その国の友達も出来ず、その国を知ることもなく、もったいないことをしていると思える留学生になるとは思えないが、でも基礎基本が出来ていないと「もったいない留学生」の一人になりかねないのも、事実だ。

佐藤先生からの提案を聞き、10月から大学のファンデーションで勉強すると張り切っていたシーシーにはショックな話だったようで、10日間くらい上田学園に顔を出さなかった。そして彼は話してくれた。

受験校だった高校を中退。父親もお姉さんも国立大出身。不登校になった自分を一番可愛がって心配してくれた母親に一番つらく当たり、その一番つらく当たっていた母親より自分の方が学歴がないことにコンプレックスを抱いていたこと。それだけに、10月から大学で勉強が出来ないことが予想以上にショックだったことを。

「僕は家族に対して学歴がないことにコンプレックスがあり、本当に学歴に弱いんです。だから大学のファンデーションではなく、語学学校に戻って英語の点数をあげてそれから直接学部入学と言われても、今の自分にそれがいいと分かっていても、語学学校のほうが大学より下だという気持ちがあるから何だか素直に受け入れられなくて」と。そんなことを言うシーシーに、思わず抱きしめてあげたいくらい嬉しくなった。

淡々と今の自分の気持ちを話してくれる彼の顔には、今の自分を受け入れ、今の自分が好きになってきており、大切にしなければいけないということが頭で理解できたからこそ、恥ずかしくても実のある選択をしていかなければならないと、なんとか心の整理をして、覚悟を決めようとしていることが分かったからだ。

上田学園に入学した当初、「一家に一人、辞書の代わりに欲しい奴」と他の学生がシーシーを賞賛したほど、頭の回転の速さと何でも知っている知識に驚かされたが同時に、「多動児をお預かりしたのかしら?」と思うほど落ち着かず、その上、自分の気に入らないこと、意に染まないことが起こると、頭の回転のよさを証明するかのように鋭い言葉と理屈という刃物で相手を容赦なく斬りつける。斬りつけられた相手はいつの間にか流れ出している血で、傷つけられたこと、それも深い傷であることに気づかされ驚かされるほど、その切れ味は素晴らしいもの(?)だった。そんな彼が今、自分を愛し、人を思いやり、自分のコンプレックスを認め、自分自身について話し出したのだ。

この5年間を通して、彼は確実に自分の足で歩き始めた。もうシーシーは大丈夫、前進していけるという思いと、今の彼なら人の話しを今まで以上に素直に聞き、自分の中できちんと咀嚼して自分のものにして理解していけるだけの余裕も出てきたように見うけられ、このレベルでの話し合いは最後になるという思いで、じっくり話し合った。

将来お茶の研究をしたいという希望がシーシーにあり、その勉強がしたいために大学に行くのだから、その希望を達成する手段として語学学校で勉強をやり直すのは落第でもなんでもなくて、自分の夢を実現させるための選択肢の一つであるという考えでいて欲しいこと。

とは言っても人間神様ではない。例え自分のためと分かっていても、なんだか格好悪いと思えることを選択するのには勇気がいるが、何を選択しても責任は自分で持つしかないのだから、自分の納得する結論を出して欲しいこと。

自分のやりたいことをするために悩み、迷い、決断し、恐る恐る結論を出すことも大学で勉強する以上に大切な「学び」の一つ。今後も色々な問題が出てくるだろうが、自分の弱さも強さも一番理解している自分だからこそ、そのことに蓋をせず、むしろそれを考慮しながら素直に忠告してくれる人たちの言葉に耳を傾け、今の自分にとって何が一番ベストかをよく考えて選択したらいいと思うこと。また「失敗した」と思ったら、やり直しをすればいいだけのことだということも忘れずにいて欲しいこと。

そんな話をしながら心の中で、「ご両親様、お姉さん、よくここまでシーシーが育つのを見守って下さいましたね。我慢してくださいましたね」と、彼のために何回目かの感謝をせずにはいられなかった。

上田学園は学校法人でも何か資格がとれる学校でもない。大検資格(現高校卒業程度認定試験)が必要であり、欲しいのであれば他の学生たちと協力して応援するという程度なのだ。だからといって学歴を頭から否定しているわけではないし、学歴はあって邪魔になるものでもないと考えている。何故ならば、一生涯死ぬまで学ばなければならないのだから、教えを請いたいことや学びたいことがあれば、幾らでも勉強したらいいし、その結果、自分の過去の歴史の一部として何々大学卒業という学歴が、単に自分の経歴に存在するようになるだけのことだと考えている。またそう考えて行動しないと21世紀を生き残れるとは到底思えない。

知らないことを知ることは楽しい。しかし今の時代は学歴と学力がイコールになっていないことが多いうえに、学齢=就職に有利という捕らえ方をすることで、学ぶことの醍醐味をほとんどの学生が体験していないことを残念に思い、そんな表面的な授業は上田学園ではしないというだけのことなのだ。

大学で就職が出来ないからと大学院に進み、大学院でも就職がうまくいかなかったからと、専門学校に行く。またはダブルスクールとして専門学校と掛け持ちする。

「せめて大学卒にしておかなければ、社会で生きていけないと思うので」と、必死に大学に入れることを考えた親や教師の敷いたレールで大学や大学院に行き、結果最終学歴は大学院を通りこして専門学校。そんなことまでしても就職出来ず、出来ても自分の意に染まないことが起こると精神的に落ち込み、立ち直れない。それは「学ぶ」の意味、「学歴」の意味をほとんどの人が取り違えて考え、自分の抱えている本当の問題を見逃している結果だと、痛切に感じている。

上田学園では単純に、学ぶことの意味を知り、学ぶことの醍醐味を満喫してもらいたいことと、「生きる」ということは、毎日生活する中で起こる問題とどう向き合い解決しながら、どう折り合いをつけ生きていくかといことであり、どうやって挫折を乗り越え、挫折から生還するかだと考え、大きな社会の核の一つである学校という社会の中でそれを体験しながら身につけて欲しいと願っているだけなのだ。

ありがたいことに、上田学園で学んでいるうちに自分の問題点を解決しなければ前進できないことに自然に気づかされる学生たち。いつの間にか自分の問題から逃げることなく突き詰めて考え、解決しながら、その体験を通して、どうやって挫折から立ち直るかを学んでくれている。

小・中学校が義務教育なのは、小・中学校の勉強が社会人になって一人で生活をしていくときに最低限必要なことだからだ。

中学で義務教育が終わるのは、高校・大学は自分が学びたいから行くところであり、学びたくなければ行かなくてもいいところだということだ。学びは学校内だけしかできないのではなく、日々の生活の中で学んでいけるからだ。ただし、若いときはなかなか自分だけで学べない。自分が一人でしっかり社会という学校の中で学べると思えば、それを選択したらいいし、また学びたいものが「学校」という名前のところでしか学べないものなら、それを選択したらいいだけのことだ。

そのために中学までの勉強をしっかりし、自分で自分のことがある程度理解出来るようになっていることが望ましいのだが、残念なことに今の日本では子供を独立させることを考える前に、人生でつまずかないようにと、そればかりを願って挫折をする前に手を出し、倒れる前に羽根布団を敷いて痛みを経験させないようにしてしまう。その結果、親から独立し、社会の中で一人で生きていけない子供が多くなり、40歳代になっても「不登校です」などと情けないことを平気で言う。

また、自分の今は世間や親が悪いからと言ったり、働くつもりはあるけれど働き方が分からないとか言いながら問題は直視せず、働き方が分からないなら分からないなりに調べたり、教えを請うこともせず、ただただ年取った親の年金を頼りに好きな時間に起き、ちょっとコンビニに行き、昼夜逆転させながらネットだけが「社会の窓」で、そこから何とか酸素を取り入れ、生活しているつもりの「大人になれない大人」を、親も「困った、困った!」と言いながら問題を直視することを何故か恐れ、許しているのが現状だろう。

「先生、オッちゃんの自宅の電話下さい」と、突然荻ちゃが言い出した。皆でオッちゃんの家に押しかけるという。痛風くらいで一番美味しい上田学園の今を体験しないのは、どう考えても勿体ないと。

荻ちゃ、ヒロポン、シーシーそしてちょうど新聞配達が休みだった成チェリンの4人でオッちゃんを訪ねていったのは、電話をした2日後位だった。そしていつものように事後報告をしない彼らだが、何かの拍子に話をしてくれる久しぶりのオッちゃんとのご対面の時の様子は、訪問したものの本題になかなか入れず、痛風の様子を聞いたり、オッちゃんの小さいときの話を聞いたり、写真を見せてもらったり、小学6年の時の作文を読ませてもらったり、なんとなく時間だけが過ぎて行き、成チェリンなどは内心焦っていたそうだ。しかし最後に荻ちゃが「オッちゃん、戻って来いよ!」と言ったとか。それをきっかけにシーシーが一番熱心に友達や先輩との付き合い方なども含め、自分の経験を踏まえて一生懸命アドバイスをしていたそうだ。

今のシーシーからは想像できないような色々なことが上田学園在学中にあった。そんなシーシーのアドバイスはきっとオッちゃんに届いたことだろう。

本当に懐かしい思い出だが、タッチと売り言葉の買い言葉で学校に出てこなくなったシーシー。そんなシーシーを心配したタッチが住所片手に大宮のシーシーの家に辿り着いたのは、夜も10時をとっくに過ぎた頃だったそうだ。

「タッチが来てくれたとき怒ったけれど、本当は嬉しかったんです、僕のこと心配してくれる人がいると思って」と、今は良い思い出と回顧するが、当時のシーシーは素直にタッチと話しが出来ず、タッチが一方的に話しをして帰ってきたそうだ。

卒業までの授業もあと二ヶ月を残すだけになったころ、パタッと学校に来なくなったシーシー。本当に皆で心配した。そして、3年目は絶対休まず勉強するのでもう1年学校に置いて欲しいこと。親が許してくれるならイギリスの大学でお茶の研究をしてみたいこと。そのためにも、この1年間で勉強しなかった2年間分を取り戻し、留学の準備をしたいことなどを「ちゃんと勉強もしてこなかったし、親にまたお金を使わせるのかと思うと申し訳なくて…、それにこの2年間休んでばかりで宿題も何もしなかったのに、今さら先生方に何と言おうかと、恥ずかしくて口に出せないという思いで悩んでいたんです」と、涙を一杯ためた目で話してくれた。

学校には来づらいけれど皆に心配かけたのは自分だし、自分でやったことだから自分の口から皆に謝りたいし、説明したいと言い「ゴメンナサイ、心配かけて。卒業を1年延ばし、もう一年頑張りあます」とぴょこんと学生たちに頭を下げ、各先生に卒業延長のお願いをして回ったあの日、シーシーが自分の問題を人の所為にせず、初めて自分で責任をとった貴重な日だった。

今のシーシーからは想像も出来ないほど遠い日の懐かしい思い出だが、現在の彼を見ていると、一日中何もせず寝ていられることを除けば、どんな出来事も無駄になることは何もないんだという思いが、今まで以上に強くしている。

懐かしい思い出はもっと前にもある。

今年21歳になる平まっちゃんは当時品川の公立中学2年生、上田学園の最年少生。自分を一番可愛がってくれた父親の急死。それに伴う生活環境の変化などで、不登校になっていた彼が1年間の予定で校長先生の許可付きで品川から通ってくるようになっていた。丁度そのときに早稲田大学を出て銀行員になり、でも小さいときからの夢を実現したくてパイロットになるため銀行を辞め、上田学園で先生をしながら受験勉強をしていた23歳の若い男の先生に、上田学園の授業合間に平まっちゃんの数学をみてもらったり相談相手になってもらったりしていたが、その先生に他の学生が叱られたのだ、マナーのことで。

先生と衝突した学生は、日能研の特組み出身で、小さいときから勉強が出来、問題は何もなかったという。しかし私立の中学に入った秋学期ころから不登校になり、そのまま学校に行かなかったのだ。

二世代家族の中のただ一人の子供であり、可愛い跡取り息子であった彼は、理想的な子供で5歳くらいから泣いたことも、叱られたこともない良い子だったと、ご両親は言っていた。そんな彼が生まれて初めて他人に厳しく注意されたのだ。それが原因で学校に来なくなったのだが。

それまで彼を兄のように慕っていた平まっちゃんが、彼が先生と衝突したときの様子に怒り「あれは彼がおかしい。先生に謝らないならオレは今後一切友達にならない」と言い出した。その当時年長で学生全員の兄貴分だった天ノッチまでも電話で「いいから来い!お前のやったことは間違いだ。お前が先生にあやまらないならオレが許さない。今後一切付き合わないぞ」と厳しい宣言をした。

そして数日後、突然学校に謝りにやって来た彼は、「謝る人は私ではないと思うけれど」と言う私の言葉に、学生たちと一緒に水泳に行っていた先生を追いかけて行き、非礼を謝罪。

「俺はこれから、お前をお前のためにぶん殴るから。お前の言葉の暴力は、これ以上の痛さで人の心を痛めつけたんだぞ」と言って、先生が泣きながら彼を殴ったこと。「先生有難うございました。スミマセンデシタ!」と大きな声で言いながら90度お辞儀をし、暗がりに行って彼が泣いたこと。それを見ていた天ノッチも平まっちゃんも一緒になって泣いたこと。

「今やらなければ彼が駄目になると思い、生徒を殴ってしまいました。スミマセンでした!」と言う報告を受け、思わず立ち上がって「有難うございました」とお辞儀をしたこと。

その後すぐに素晴らしい学生に変身したわけではないが、それをきっかけに3人がそれぞれに3人を気遣い、理屈抜きのなんともほのぼのとした本物の兄弟のような絆が結ばれたこと。それと同時に、動物のように鋭い目をしていた彼の目が穏やかになり、毎日薄紙をはがすように成長をはじめ、今ではそんなことがあったことなどほとんど思い出さないくらい、また想像もできないくらい素敵ないい若者に成長していること。

一人っ子の我侭が陰を潜め、本来の優しさが前面に出た彼に沢山の友人が出来、そんな友人たちに助けられて大学生として学生生活を誰よりも一番謳歌している彼を見ると、彼にとって生まれて初めて自分の問題から逃げずに自分を反省した日だっただろうと、「先生に謝ってきました!」と彼を取り囲むように二人の付き添いを従えて誇らし気に報告にきた3人の姿を懐かしく思い出す。

「こんな自分に誰がした!」

人の所為にするのは簡単だ。しかし、そこからは何の解決も生まれない。「時は金なり」時間も状況も条件も刻々と変化をする。そして年齢だけが、どんな条件や状況や状態でもそれには関係なく成長し、残り時間が少なくなる。チャンスも薄くなる。

成功するか不成功に終わるかを恐れ、他人の所為にして自分を甘やかし、ごまかしているより動いたらいいと思う。言葉にして発しながら、出来ないことは正当な甘えをして他の人たちに助けてもらえばいい。

「自分が気づかないうちに傷つけたのかな?」「何か出来ることはなかったのかな?」などと、反省したり怒ってみたりしながら、学生たちは彼らの出来ることから行動し、解決しようと努力を始めた。そして、それを通して自分が存在するだけでも人に迷惑をかけるし、かけられもすること。それをどう処理して人を受け入れていくか、自分を受け入れてもらえるようにするか。ほんの少し、でも真剣に悩んだ彼らの悩みにスパイスを利かせてくれたのが、シーシーの過去の経験だったようだ。

もうすぐ秋学期。ここ3・4ヶ月本当にいろんなことがあった。でもみんな学生は成長をしている。立ち止まって考えていることは一見悩んでいるから問題解決につながる有意義な時間を過ごしているかのように見えるが、問題を正面から受け止め、悩みながらやるべきことをやっている人間の成長にはかなわない。

自分のことしか興味のなかった学生が、「こんなに学ぶことが面白いとは気づかなかった」「人生の中でこんなに勉強したことはなかった、やめられない。もっと時間が欲しい」などと言いながら、人を気遣い、人に心を砕いている。そして確実に毎日変化をし、日一日と大人になっている、19歳の藤ちゃのように。

「先生、オレは自分の人生を棒にふるようなことは絶対しません、生活は棒に振るかもしれませんが」と、研修日の月曜日に日本語を教えている藤ちゃが一日だけその研修日に人に会いたいので授業を休講させて欲しいと、真剣な顔で許可をもらいに来た。

卒業後、藤ちゃにはやりたい仕事があるという。その仕事では、彼の時代は生活するのがやっとか、へたをすると食べられないだろうと言う。しかし、自分の後に続く人たちが食べられるようになればそれでいいという思いで、それを仕事にしていきたいのだと言う。だから生活は大変で生活は棒に振るかもしれないが、でも人生は棒にふるようなことは絶対しないと言うのだ。

自分で生活をしたことのない彼の言葉は、甘いというかもしれない。でも私は彼を応援しようと考えている。

また応援したいと思えるほど去年までの彼とちがい、ここ数ヶ月の間で、ひょんなことから他の学生たちの成長を確認するチャンスを通して自分を反省し、それをきっかけに彼の中でくすぶっていた問題に気づき、優秀な彼本来の彼に戻り、彼の力が発揮され、それにプラスされるように他者への思いやりが彼を輝かせ、今まで以上に「信じられる藤ちゃ」に育っている。

それぞれが、それぞれの時間が来たら動き出すだろう。特に少しずつ自分の欠点や自分の至らなさを自覚しだし、それを人の所為にしなくなってきている学生たちだから。彼らの変化に彼らの世界も回りだすだろう、彼らの意図する方向へ。

昨日から学生たちは中国旅行だ。今回初めて学生たちだけで行かせた。
読めるだけ中国旅行の本を読み、集められるだけ中国旅行のパンフレットを集め、調べ、分析し、問い合わせ、そして決めた方法で。

どんな旅行をしているのか、どんな刺激を中国から受けて帰ってくるのか、今から楽しみにしているところだ。