●学園長のひとり言
                                
  平成17年10月26日
 (毎週1回)

挑 戦!

上田学園 学園長 上田早苗様
あなたが学院長のかぎり私は学校に行けません。
ですので自主退学します。


「今日も一生懸命頑張ろう!今日の学生達はどんなことで笑わしてくれるのかな?」などと考えながら鼻歌交じりでドアをあけ、荷物を置いた机の上にほっぽり出すようにしわのよった封筒が置いてあった。ワタちゃんからの手紙だった。

ここ数ヶ月、彼女にとって上田学園は本当に役に立つ学校だろうかと悩み続けた。それは親御さんも同じだったようだ。

親御さんには親御さんの悩みがあり、その悩みにあった教育をと思われているようだったが、私には「時間はかかるかもしれないけれど、問題から逃げなければ絶対大丈夫。彼女はやれば出来るし、素敵な文章も書けるし、素敵な絵もかけるし」という思いしかなかった。

誰でもなんらかの苦手なことがある。人に出来て自分に出来ないこともある。勿論なんらかの障害が原因である場合もあるし、また外から見て分からないこともある。

早い遅いはあってもいつか社会で生きていかなければならない子供たち。学びが遅い、上手に説明できない。感情をおさえられない等、生きている人間だから色々なことがあるのが当たり前だという思で、問題から目をつむるのではなく皆で助け合いながら出来ることをし合い、それを通して自分のテンポでひとつずつやれることから学んだらいいと考えていた。

現在もその考えは全く変わらない。それは例え障害があろうとなかろうと、人と同じに出来ようと出まいと、いいことは「いい」、悪いことは「悪い」ということを中心にした人間としての基準を基礎にして。

上田学園の授業は、旅行・デザイン・リサーチ・日本語・株など、色々な授業をしている。でもその授業を通して学んで欲しいことは、旅行企画や添乗員のやりかたなどではない。それだけを学びたければ、専門学校へ行けばいいだけのこと。

上田学園は上田学園の授業を通して人との付き合い方、距離のとり方。自分を理解してもらい、他人を理解すること。親から独立し、一社会人として一人で働いていくためにどうしたらいいのかを学ぶ。それが一番大切なことと考えている。

大人になるということは、個人の好みに関係なく日々の生活の中心が仕事になる。そしてその仕事、即ち働くということは、傍を楽にすることだともいわれている。だからこそ自分の周りの人たちが働きやすいような心遣いが出来るようになることが、大切だと信じている。

生きるために仕事は不可欠であり、自分の周りの人たちが働きやすいような心遣いをしながら、仕事を通してどうやって自分の人生を作っていくかを、上田学園にいる間にしっかり学んで欲しいし、考えられるようになって欲しいと常に願っているのが上田学園なのだ。だからこそ、その業界で一生懸命仕事をしているだけではなく、一人の人間として魅力のある生き方をしている方々に授業を担当していただいているのだ。

素敵な生き方をしている先生方に囲まれ、生きるとは・仕事するとは・責任を遂行するということは等、学生達を「ひきこもりだった」とか「人間不信だった」とか、「社会と上手くやっていけなかった」とか「不登校だった」とか、「勉強についていけなかった」とかで、「可哀想な子供達、世の中が悪い!」などと、間違っても哀れみ同情する付き合いではなく、学生達一人一人の未来を信じ、愛しみ、個々の学生の持つ素晴らしい何かをしっかり見抜き、それを大切にするからこそ、人格を持った一人の人間として厳しく、でも対等にお付き合い下さる先生方から学ばせていただいているのだ。

上田学園の3年間を通して学生たちが、自分がしなければいけないことは何か。出来ないことは何か。出来ることは何かなどをしっかり理解出来るようになり、次のステップに進みだすのは、そんな先生方の教えのたまものだろう。

誰もいない孤島で生活する人を除いて、この社会で人間として生活しなければならないときの絶対の必需品。どうやって人と交流するか。どうやって人に理解されたり、したりするかを、旅行・株・リサーチ・日本語など、上田学園の授業を通して学ぶことで、社会で生きていけるような、通用していけるような人間として成長を始めだす。それも「上田学園でよく頑張りました!」と、「社会ですぐ役に立つ知識」というご褒美が付録のようについて。

上田学園を卒業するときのおまけとして、付録のようにくっついてきた「ご褒美」は、社会に出ても会社に入っても役立つということを、卒業生を通して、また実習を通して確認させられた学生たち。それが社会に出ていくときの自信につながり、その結果「金融アナリストになりたい」とか、「リサーチャーになりたい」とか、仕事に向いていないから「いいお母さんになる」とか、「アジアのテレビ局で仕事をしてみたい」とか、「今までにない農業をしてみたい」とか「作家になる」とか、「こんな研究をしてみたいから大学で勉強する」とか、自分の意志で自分の道を究めていこうと動き出す。それも「大丈夫だろうか?」「やっていけるだろうか?」そんな心配や、不安という「恐怖」と闘いながら、社会に出て努力を始めるきっかけになっているようだ。

ここ数ヶ月、ワタちゃんのことで学生達と何回か話し合った。そして私を含むそれぞれの学生たちはここ1年間(実質数ヶ月)の彼女とのお付き合いの中で、色々考えさせられ、反省させられ、学ばされたことに「大変なこともたくさんあったけれど、彼女がいてくれてよかったね」という結論にたっした。

私たちが彼女から学ばされたことは多い。それと同じように彼女が私たちから何かを学んでくれていたら嬉しいと思う。

ここ数ヶ月、大ちゃん、ワタちゃんそしてオッちゃんのことで随分皆で頭を悩ませ、そのたびに反省し、考え、そして自分なりの結論をだしてきた。そんな中「問題はいつも時間が解決してくれる、それも努力をしていたら」そんなことをなんとなく学生達は実感し、学んでくれたようだ。

好きな仕事をするには嫌なこともしなければならない。どの先生も、仕事をしているときは色々なリスクをしょって仕事をしている。私も好きな仕事をしている中に、残念なことに「好かれるために上田学園に存在するのではない」という事実も入っている。

嫌われても言わなければいけないことを言うために存在し、「口うるせえ婆あだ!」と思われたり言われたりしても「ババーでよかった、ジジーじゃなくて。一応女だからね」と自分を慰めながら、どんなに嫌がられても「『ありがとう』と言いなさい」、「嘘を言ってはいけない」、「出来ないことは『出来ない』と言いなさい」、「『ご馳走様でした』と言いなさい」、色々な方々に助けられて勉強させていただいているのだから、「私たちに出来ることは、喜んで何でもさせていただこう」「一番大切に思ってくれる親を大切にしない」「ぶすぶす不満を言う前に、身体を動かす!」等と、本当にうるさく注意している。

うるさく言わなくていいものであれば言いたくは、ない。しかし社会に出て一人で生きていかなければいけない学生達には、傍のものを楽にするような心遣いをしながら働ける社会人になって欲しいし、そうなることで彼らは世の中から必要とされるようになり「居場所を心配する」などということなど、全く無縁でいられる人生がおくれるだろう。そのためにも私は、どんなに学生から嫌がられても必要なことは言い続けていく。社会に出たら陰で悪口を言われ、足をひっぱられることがあっても、面と向かって言ってくれることがなくなる年齢になる前に。

学生達に言いたい。若いうちに「挑戦して欲しい」と。

嫌いなことに、やりたくないことに、面倒くさいことに、時間のかかることに挑戦する勇気を持って欲しい。自分の心に向き合うことに挑戦する勇気も持って欲しい。

嫌いなことに挑戦することは、つらいことだ。やりたくないことに挑戦することは努力のいることだ。面倒臭いこと、時間のかかることに挑戦することは億劫なことだ。でもやって欲しい、挑戦して欲しい。その全てが自分の人生を豊かにする知恵になり、問題解決の底力になると思うから。

急ぐことは、ない。でも実践して欲しい、自分のテンポで。
天に向かってつばをはいたら全部自分に降りかかることを忘れず、でも一生懸命努力したことは全部自分を豊かな人間に育ててくれることを信じて。そのための努力や協力は惜しまない。

学生同士のコミュニケーション問題と、授業のストレス、食事のストレスなどで自主休講して痛風の足を引きずって実家に帰っていたオッちゃん。彼を心配して学生の有志が彼の家に押しかけてからもうひと月近く経つ。そして研修をしている企業の近くでオッちゃんと二人で終電近くまで話し合ってから3週間。随分昔の出来事のような気がする。

授業復帰を決めていたオッちゃんだったが「長く休みすぎてちょっと行きにくくなっちゃった!」とか言って、なかなか復帰できそうもないオッちゃんを心配した学生達が、オッちゃんを家から引っ張り出した、「俺達オッちゃんが来るまで、何時間でも待っているから」と。

夜八時過ぎに吉祥寺に到着したオッちゃんを囲んで皆で食事をしながら色々話し合ったという。

彼を気遣い本音で話せなかった学生たち。彼を気遣うあまり、それはまるでおっチャンの子守をしているようだったそうだ。そんな見せかけだけの話し合いは自分たちらしくないし、オッちゃんにとってもプラスにならないし「我慢出来ない」と学生の一人が言い出し、皆で本音の話し合いを始めたそうだ。そしてオッちゃんの本音を聞きだし、自分達の忌憚のない意見を言い、お互いに理解し、納得することが出来たという。

嬉しかった。そんな話し合いが出来る人間関係が出来ていることが、嬉しかった。本気で話し合うことが出来る彼らが嬉しかった。そしてオッちゃんは元気に楽しそうに学校に戻ってきた、他の学生の嬉しそうな、そしてほっとしたような顔をバックにしながら。

嫌いなこと、やりたくないこと、面倒臭いこと、時間のかかること。手抜きをせず何でも一生懸命やるオッちゃんにも言いたい。

人に頼られることばかりで大変だと思う。でもそれがオッちゃんなのだから、嫌だったら「嫌だ!」と言ったらいい。そして自分の気持ちを素直にぶつけることをしたらいい。

愚痴ることを嫌悪し、生理的に「愚痴れない」といっていたが、でもつらくなったら他の学生たちに愚痴るといい。他の学生達はしっかりオッちゃんを理解し受け止めてくれるだろう。

他人を傷つけたくないと一人で頑張ることはない。そんな頑張りがかえってオッちゃんの周りにいる人間を苦しめることがあることも知って欲しい。

オッちゃんの中に「他人を傷つける」という言葉がないのは皆知っている。人のために一生懸命やることも知っている。そんなオッちゃんだからこそ、人に頼っても、人は喜んで一生懸命オッちゃんのために何かをしようとしてくれるだろう。だから人に頼ることも学んだらいい。

自分の出来ないことを実践するのは、大変だ。でも挑戦して欲しい。上田学園にいる間に挑戦できる挫折は、可能な限りいっぱいしたらいい。先生たちも他の学生達も皆がオッちゃんのそばにいて見守り、一緒に挫折から立ち上がることを自然にやってくれるから。

今の学生達はそれが出来る学生達に成長している。オッちゃんが長い間望んでいた「頼っていい相手」に今の上田学園の学生達はしっかり成長をはじめているから。遠慮などせず頑張って甘えたらいい。それを心から喜んでくれる学生達だし卒業生たちだから。

頑張れみんな!
自分の人生を終えるときに「一生懸命やった、満足だった!」と言える人生をと願って開校した上田学園。開校9年目に突入した上田学園の今を、卒業生たちから後輩たちに継続され重ねられてきた「学び」を大切にしながら、楽しみは自分でつくるもので与えられるものでないことをしっかり確認し、どんな嫌なことからも、どんな小さなことからも、どんな退屈なことからも逃げず、楽しみをみつけ、楽しく面白いものに自分で変化をさせることに挑戦して欲しい。長い人生を楽しみながら生きられるようにするために。

 

 

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