●学園長のひとり言

平成17年12月01日
 (毎週1回)

上田学園サテライトスタジオ

学生達のデザイン・製作による新しい机の上には、飲みかけのコーヒーカップ、各自が一週間調べてまとめたリサーチの書類、小さなマイクロフォンとスピーカー、そして音楽の選曲用にコンピュータなどが机の上を占領し、そこはまるで雑誌社か製作会社のような雰囲気。

「3…2…1…Q!」音楽がなりだす。 上田学園の団塊ウイークリーの始まりだ。

各自が各自の視点で調べてきた団塊に関する情報を各自がパワーポイントを使って発表し、討論し、その日に問題になったことを次回の授業までに調べてくることが宿題になり、そして当日録音する「団塊ウイークリー」の内容、選曲などの打ち合わせが行われ、最後に録音が開始される。それも1回、2回、3回と再度の録りなおしを重ねながら。

そんな彼らの録音風景をリサーチ担当の先生がマフラーを口にあてて笑いを堪えて聞いている。そんな先生の様子もふくめ仕事をしながら聞き耳をたて、思わず仕事の手をとめ笑いをこらえ、時にはこらえきれなくて台所で声をこらして笑い転げる。

各自がそれなりに一生懸命調べ、それなりに理解している内容なのだが、一回目の録音では賛成だった者が、3回目のときには反対に回っていたりする。1回目も2回目も3回目も、どの回も聞いていて思わず笑ってしまう。おまけに小さなスピーカーの小さなつまみを自分で回しBGMの音量調節をしたり、時間をはかったりと、どの学生も忙しそうにしている。

溢れんばかりの笑顔と弾む笑い声に包まれているそこには「勉強とはこういうことをいうんですよ」とでも証明してくれているかのように楽しそうで活気のある空気が部屋中に充満している。

「不登校の学校を不登校するんだ!」と驚いていたころが「あれは幻想だったの?」と懐かしく思えるほど、今の学生達はどうやったら先生をギャフンといわせられるかを楽しみに、夜遅くまで勉強をして帰る。

図書館から山のように借りてきた本やみつけてきた資料を読んで、話し合ったり、「なに、それ?」と、笑い転げたりしている。そんな彼らは、知らないことを知り、分からないことが分かるようになることの魅力を完全に理解し、授業を楽しくするのは授業の前の地味な作業を嫌がらずにコツコツやることだと理解し、実践し、どの授業も楽しむようになっている。

随分変わったと思う思いは益々強くなる。そしてそれを裏づけるかのように親御さんたちから「『自分の息子の口から出た言葉?』と、思わず自分の耳を疑ってしまったほど、数十年ぶりのやさしい言葉をかけられました」とか、「用事を書いたメモの端っこに「『感謝している』と書いてありました」とか、嬉しい驚きを学生達から受け取るようになったという報告が相次いで入ってくるようになった。ハイリスク、ハイリターンの言葉通りの。

親に感謝をし、親を大切に考えるようになってきた彼らは、不思議に友達に対しても謙虚になったり、やさしくなったりしている。その優しさや思いやりの心遣いを何気ない彼らの日常に見るにつけ、なんとも暖かい気持ちにつつまれ、体の隅々にまで溜まっていた疲れが一瞬のうちに解けていくような気持ちがし「頑張らなくちゃ!」と思う。

上田学園は学校であって学校じゃない不思議な場所だということは、いつも思っているし、思わされている。

学校であって学校じゃない不思議な場所の上田学園には、本来の学校の姿、社会で一人で生きていくための「学び」が歴然と存在している。それを証明しているかのように共同作業のルールや責任のとり方をしっかり学び、テンポの良い呼吸を学生たちがお互いにし始めていることを毎日のように気づかされている。だからこそ毎日の変化には目をみはるものがあるのだが。

不思議なことに一人一人の変化は時間差でやってくる。その時間差の原因は、他の学生から影響を受ける又は、気づかされるからなのだろう。

たった数名の学生なのに一般社会のように年齢も学歴も学力も家庭環境も全く違う。そんな彼らの織りなす毎日はまるでビックリ箱をひっくりかえしたように色々な出来事のオンパンレード。しかしその光景はセンセーショナルなものではなく決してない。まるで小津安二郎の世界。淡々としているが心の中まで忍び込んでくる暖かさにつつまれ、なんとも懐かしい気持ちになり目がはなせなくなる。

優しさと思いやり。それが個々の授業にも反映され、出来ないことを今まで以上に「出来ない」と言いあい、助言を求めあう学生達。「図書館に行くけど」とか「企業に俺が電話して質問してみようか」とか、「こまめに宿題はやっておいたほうがいいぞ」等と、必ず声を掛け合いお互いをフォローしている。

毎日毎日夜遅くまで調べものをしたり、宿題をしたり、情報交換をしているその様子に、「私は大学院で何をしていたのかしら。一生懸命勉強したつもりだったけれど、今の上田学園の学生には負けるわ」と大家さん。

上田学園は普通の学校のように15歳なら15歳だけでクラスがなりたっているのではない。学歴も学力も経験も生活のバックグラウンドも出身地も年齢も、勿論性格も全く違う彼らが、それぞれの得手・不得手をお互いに補い助け合いながら、同じテーマについて調べたり、分析したり、発表したりしている。

問題の目のつけどころも、理解の仕方も方法も、分析の仕方も方法も、まとめ方も発表の仕方も全く違う学生たち。それが上手く作用するととても面白い味として授業に反映され、授業が計算外の輝きを見せはじめる。そのうえ「思いやり」という優しさが根づきだした上田学園の授業に、「2年間、ちゃんと勉強しなくて損した。どうして2年前に上田学園の授業がこんなに楽しい授業だと気づかなかったのかな。本当にもったいないことをしちゃった!」と、3年生の学生が嘆く。

時々学生達の顔を眺めてしまう。「こんな調子で社会に出たら、社会から受け入れられなくて困るだろう」と心配した癖や行動や思考に変化が現れ、その問題をしっかりクリアーしていく様子に驚かされるからだ。

土曜日の午後の授業はリサーチ。その授業の終わりに録音されるその日に発表された内容をベースにした座談会。毎回全員に振り分けられる役割。得意な役割も苦手な役割もあるが、苦手な役割を担当させられても逃げる学生がいない。苦手な役割を担当し悪戦苦闘する学生のために、夜中の11時近くまで付き合って録音の録りなおしをする学生たち。嫌な顔も見せずにお互いを鼓舞しながら、録音録りに最後まで付き合っている。

15・6分位の録音に何時間も付き合いながら、悪戦苦闘してそこから出られない学生をどう導くか。低迷している空気を一掃するためにどう気分転換をしたらいいのか等、それぞれが頭をひねり、「使えるものは何でも使え」とばかりに見学に来た学生をも巻き込んで流れを変える工夫をし、それが功を奏して流れが良い方に変化していくのを体験している彼らに、思わず「やった、やった!」と拍手をおくりたくなる。

自分のハードルが飛び越えられなくて悪戦苦闘している担当者を代えることで、簡単に問題解決はするだろう。しかし、上田学園は「学びの場」であり、結果だけを追求するところではない。それをしっかり理解した今の学生達は、一生懸命努力をする者を「時間がないから」と簡単に排除するのではなく、「最後まで頑張ろう!」と一緒に歩くことを選択し、その過程で多くの学びをしている。そしてその多くの学びの中に色々な人の混在することの素晴らしさをも体験している。

上田学園の「サテライトスタジオ」
機材は7cmもないような小さな録音機と2センチ位の小さなマイクロフォン。そして¥3,500で買ったスピーカー。渋谷のスペイン坂にあるサテライトスタジオを髣髴させる教室の道路沿いにある大きな窓。良くても悪くても今の彼らがそこにいる。大きな笑い声のなか、優しい眼差しで見守って下さる先生に支えられ、同じ時間を共有する「仲間」という不思議な暖かさに包まれた、まるで春の陽だまりのような空間に。

 

 

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