●学園長のひとり言

平成18年4月22日
 (毎週1回)

輝きだす君たちを楽しみにしながら

「お早うございます!」
いつものように考えごとをしながら歩いていた私に、大きな声が飛んできた。
思わず声が飛んできた方に目をやると笑顔で通行人一人一人に声をかけている若いおまわりさんの姿があった。

「おはようございます!」と言いながら急いで頭を下げる私に「お仕事、ご苦労様です。いってらっしゃい!」と言葉を重ねて敬礼をして下さる。そして笑顔をそのままに、彼の前を横切ろうとした小さな小学生に「おはよう!」と大きな声で挨拶をし、腰をかがめて小さな男の子と目線を同じにして「元気に勉強するんだよ。いってらっしゃい!」とポンと肩を叩いて学校の方向に送りだした。

「おはよう!」「おはよう!」彼の前を忙しそうに歩いていく人や自転車で行き交う人たちに一人一人丁寧に声をかけ、時には握手を、時には手をふり、時には敬礼したりしていた。

大通りに出る前の小さな商店街。車もほとんど通らない小さな商店街は安心して考えごとをして歩けるところ。「大ちゃんは今学期、きっとステップアップしてくれるだろう…、でも、もし今日来なかったらどうしようかな…。おっちゃんはいつまで自主休暇かな…?休暇をいつ返上させようか…。平野君、入ったばかりで外国人にぶっつけ本番、日本語、教えられるかな・・・?」等など、頭の中がまるでミックスサラダ。色々なことを考えたり悩んだりしながら歩く通勤路。

思いがけずに爽やかな挨拶をしてくれたおまわりさん。商店街の端っこにある小さな交番のおまわりさんだ。おまわりさんの大きくて元気な挨拶に思わず顔がほころび、何だか楽しい気分になる。

「気持ちの良いご挨拶を頂いたのだから、朝からぐずぐず悩まない。背筋を伸ばしてモデルのように歩く」と、スキップしながら学校まで飛んで行きたいと思う気持ちを抑えて、スキップ抜きのルンルン気分で学校に向かって歩き続ける。

♪幸ちゃんわね、幸子というんだ本当はね♪ ♪迷子の迷子の子猫さん♪
♪さくらさくらふん〜ふん〜ラララ♪ ♪春よ来い、春よ来い〜♪

いつもより軽やかになった通勤路。後ろからバックグランドミュージック。振り返った私の目に、まるで17歳になった幸ちゃんが大きな声で童謡を歌いながら歩いているような光景が飛び込んできた。「可愛い!」と声をかけたくなったほど、幸ちゃんのイメージそのままの女の子。

信号待ちでも車をよけながらでも、彼女の歌声が続く。大きくて楽しそうに歌う彼女の歌が。

ふと思う。ニコニコと爽やかに挨拶をして下さったおまわりさんや自分の世界で楽しそうに歌を歌う女の子。彼らがたいそうなことをしようとしているのでも、たいそうなことをしているわけでもない。でも人間の役目をちゃんとしていると思えて、ホットした気持ちになる。

交番勤務のおまわりさんは、学校に行く子供たちが安全に学校に行けるように注意を促すために通学路に立って挨拶しているだけのことだろう。幸ちゃんのような女の子は、春の気持ちの良い朝に思わず歌い出しただけだろう。でもそれだけのことなのに、彼らの周りの人間をこれだけほのぼのとした気持ちにさせてくれる。これぞ、人が人間として存在する一番の理由だろう。

今の世の中、当たり前のことが当たり前ではなくなっている。それを「オカシイ」と思うよりも、「オカシイ」と思うことが、年をとった証拠のように思えたり、時代の変化と思ってあきらめることで、自分を納得させたり、理解しているふりをしないと世間や子供たちから置いていかれるような不安な気持ちになり、ついつい注意出来ずにいる大人たち。

他人の目を意識し過ぎるぐらい意識し、他人に関心がありすぎると思えるほどあるように見えても、実は自分にしか感心がなく、平気で電車の中で化粧を始める女の子たち。お年寄りが乗って来ても、席を譲ろうとしない若者たち。時間を守らず、欲しいものは人を殺めてでも手にいれることをいとわない若者たち。

悪いことを悪い。善いことを善いと教え実践させるだけでも、どれだけ世の中が住み易くなるかをもう一度考える必要があるだろう。そのためにも、私たち大人が人間としてどう他人とかかわりあっているか、反省する必要があると思う。

人間の間で、一人の人としてどうかかわっていくのか。人との距離のとり方はどうしたらいいのか等、ここまでが個々の世界で、ここからは他人と生きる社会。そのために、「したい」とか「したくない」とか、意識があるか無いかに関係なく、お互いに影響しあっていきているということを、確認させていく必要があるだろう。そしてこの世の中で生きるということは、そういうことだということも。

上田学園の新学期が始まった。
新入生は女の子が2人。男の子が4人。そして4年目が2人。3年目が1人の合計9名。最高12名しか入らない上田学園では在籍者は過去の最多人数だ。これに仕事のない土曜日に卒業生が勉強を続けているクラスでは、12・3名のクラスになる。

新入生の彼らは在校生や先輩たちと同じように、色々な理由で上田学園で勉強することを選択した。その選択は自由意志で選択したものであるから、義務を実行に移すべく色々な行動を開始しなければならなくなっている。

自信過剰であったり、自信が無さ過ぎたり、防衛本能過多だったり、超ナルシストだったりすることで、素直に“学ぶ”という姿勢が育たず、その為に素直に人の意見が聞けないだけでなく、必要以上に被害者意識が強いように思われる現代を生きる学生たち。彼らにはまず、そんなことに時間を費やすのではなく、一日も早く素直な気持ちで人としてしなければいけないこと。それは、心の中に一本しっかりした心棒を通すこと。それも一人よがりではなく、善悪の区別もきちんとつけられた生きるための心棒を通すこと。それが個の基礎になることを認識しながら。

次に、社会の一員として、人間として生きるために、人は他人の時間をもらって生きていることをしっかり理解し、そのために約束を守ることや、「情けは人のためならず」の諺通りに、自分の損得だけで行動するのではなく、自分が一番大切だからこそ、自分が一番楽しく生きていきたいからこそ、人に対する思いやり、他者との距離のとり方などを学ぶ学び方として、「人の振り見て我が振りなおせ」と、他人をサンプルに、他人を通して個々に何かを感じ取り、訂正すべきことは勇気を持って訂正しながらお互いが輝くような行動がとれるようにすること。

有名な専門学校や大学に入れるようになるのか、大きな会社で働けるようになるのかということは、学校を卒業するときの“卒業祝い”のようなもの。一番大切なことは、やるべきことをやりながら今日一日をしっかり生きていくことであり、素直に自分をみつめる力を持つことであり、自分が自分らしく自分として存在していることを他者から喜ばれるようになることだろう。

上田学園では、色々な分野の色々な方に先生をお願いし、株・旅行・英語・日本語の教え方・表現・リサーチ・デザイン・異文化コミュニケーション・新聞記事から見る社会など、一見難しそうに見える授業や必要もないように見える授業を通して、自分は誰なのか。自分は何が分かって、何が分からないのか。それをどうやって学び、自分のものにしていくのか。そのために、どんな礼をつくして教えていただくのか。自分の出来ることは何で、それが出来ない友達にはどう対応し、協力して助け合っていくのか。そんなことが学べ、次のステップに自信を持って進んでいけるよう、また最後に「頑張りました賞」で、株や旅行やリサーチなどの社会で役立つ知識が身について社会に出ていけるようにと、カリキュラムが組まれている。

今年集っている学生が育てる上田学園。
これからこの1年間、学生たちがどう輝きだし、どんな上田学園をつくっていくのか、楽しみだ。きっとそこにいるだけで嬉しくなる学生に育っていくだろう、今までの卒業生のように。でも彼らだけが持っている今までの学生たちとは一味違う彼らの個性が輝く上田学園が。

新しい私の学びが始まった。一人一人の学生をきちんと見ながら、必ず輝き出す彼らを楽しみにして、彼ら仕様の丈夫な踏み台になれるようにと。


 

 

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