●学園長のひとり言

平成18年5月5日
 (毎週1回)

一年後を楽しみに
上田学園は只今ゴールデンウイーク真っ最中。

「久しぶりに静かな上田学園です」と言いたいが、リサーチの宿題で大宅文庫に飛んでいくグループ。リサーチ内容の打ち合わせをするグループ。調べたものを持ち寄って会議をするグループ。例年通りバタバタとにぎやかなゴールデンウイーク。

輝いている顔、戸惑っている顔、困惑している顔。そこには色々な顔があり、その顔たちが宿題をやる中で、話し合ったり、助け合ったり、食事に行ったりと、彼らの関係を1ミリ、1ミリと近づけているゴールデンウイーク。

国会図書館や大宅文庫などを利用し、リサーチ結果を映像にまとめるのか、本にまとめるのかで話し合う彼ら。そんな彼らを見ていると入学するのに1年も2年も迷い、そのうえ「何も出来ないし、こんなに難しい上田学園の授業になんか絶対ついていかれませんよね、小学校の学力もないんですから」と本人は勿論、親御さんまでも不安がっていた数週間前が信じられないほど、学生たちが行動している。

小学校の2年くらいから学校へ行っていないという20歳になる梶さん。きれいな発音で英語の先生と話す彼女。しっかりした口調で日本語を教える彼女。そんな彼女からは、昨日までの彼女は本当に昨日までの彼女だったことが納得できるほど昨日をベースに、今日を努力し、明日にきちんと前進し始めている。それを証明するかのように、彼女の目に力が宿り、キラキラと輝くときが日増しに増え、きれいな笑顔がこぼれ出すことが多くなっている。

上田学園の姉御、門馬ちゃん。理路整然と意見を言い、それと同じに行動する行動派の彼女に男子学生は叱咤激励され、あるときはタジタジとし、あるときは固まって動けなくなり、あるときはゼンマイ仕掛けの時計のように動きだす。

女子学生がいることの大きなメリットを色々なところで感じずにはいられない。

テキパキと行動するが、ちょっぴりおっちょこちょいの門馬ちゃん。テキパキしすぎてどうでもいいところで、チョンボする。しかしめげない。さっさと訂正して次に進んでいく。見ていて気持ちがいいほどだ。

彼女を見ていると改めて「女子学生獲得大作戦」等と銘打って、「どうしたら女の子が上田学園の学生になるか」というリサーチをし、「制服があったほうがいいのじゃないか」とか「授業内容をもっと易しくしたら、入学して来るのじゃないか」など、真剣に話し合っていた学生たちの顔を、懐かしく思いだす。

昨年の11月に入学したドクター鈴木。学校に来る日より来ない日の方が断然多かった。でも4月からは本当に一生懸命学校にやってくる。そんな彼の様子を荻ちゃが「ドクターが走ってやって来た。奴もこれで大丈夫だな」と、いつものように聴覚検査をしてでもいるかのような小声で、ブツブツと感想を述べ、彼の尊敬してやまない(?)俳優のマーロンブランド調にニヒルにニャッと笑っていたが、彼の推測通りドクターは一生懸命授業に出席し、休みの日の会議にも「忘れていた!」と1時間遅れでも飛んでくるようになっている。

「俺はまだ会っていないけれどオッちゃんの気持ちも良く理解できるし、オッちゃんに似ているかもしれません?」と自己分析しているが、オッちゃんにヒロポン少々、荻チャ少々を足してカクテルにしたようなハチマキ君。大学に通えなくなった時期があるということが嘘のようにマイペースで、でも周りに気配りながら、ずっと昔から上田学園の学生だったような雰囲気で通ってくる。

英語の得意なこと。発音が上手なこと。じっくり考えるところ。黙々と仕事をするところ。本当にオッちゃんに似ている。そんなハチマキ君が一番大笑いし、しっかり学んでいるように見受けられ、嬉しくなる。

サラリーマンの経験もある静かな平野君。入学した次の日にぶっつけ本番でドイツ人の学生に日本語を教えさせられたり、株の授業だデザインの授業だ、旅行企画の授業だ等と、過去の学校では経験の全く無い授業内容できっと頭の中はごちゃごちゃしていることだろう。でも根が真面目な彼だけに彼の一生懸命さは、まず言葉で誤魔化されない、言葉の分からない外国人の学生に評価され、授業三回目にして「ドイツ語を教えている私より教え方が上手ですね。平野先生はいい先生です」と言われている。

新入生を迎えて3週間。上田学園の3年生の荻チャと4年年目の大ちゃんが新入生が多い現在の上田学園の先輩として、いいポジションにいてくれる。

心根はとても優しいのに、言葉の使い方のちょっとずれている荻チャ。時々先生方にも誤解され、叱られている「上からものを言いすぎてないか?」と。

彼にとって、コミュニケーションを言葉でとるのは本当に苦手だ。しかし、どんなに苦手であってもコミュニケーションをとる手段として言葉は一番手っ取り早く使え、またどんなに苦手であってもずっと続けていかなければならないコミュニケーション手段の一つ。それだけに、彼の頭で考えたことを言葉として口から発したときの言い方や表情などが原因で、全く違った意味合いのものとして捉えられ、誤解されてしまうことは残念なことだ。

新入生たちをリードしていく立場にたった今、荻チャの説明不足や表現不足。言葉の使い方のズレ等で時々学生たちと揉めているが、それを見る度に「揉めてラッキー!」「頑張れ、荻チャ!」と応援したくなる。そして自分の発した言葉がどのような結果になって相手から返って来るのか、しっかり体験し、調整し、相手に通じる自分らしい言葉でコミュニケーションが成立するよう、後輩たちを相手に努力して欲しいと願わずにはいられない。

3年間イベント専門で出席していた大ちゃんが、ここに来て彼にとって最後の年になる上田学園の4年目の生活を謳歌しだし、先生たちを感激させている「遅刻しないで学校によく来たな!」「質問してくれるんだ!」と。

こんなことで感激される大ちゃんを、褒めていいのか?けなしていいのか?

彼にとって今年の上田学園は、ある意味とても厳しい場所であり、ある意味未来に向けて羽ばたく大きなチャレンジの場になることは、間違いないだろう。それを今まで以上に理解したせいか、顔つきが大人になってきた。言うことが変わってきた。授業に参加している。

そんな彼を見ると、ホットする。しかし、勝手なもので淋しい気もする。見慣れていた、困った、でも可愛いくて憎めない幼い大ちゃんがどこかに消えようとしているからだ。

そんな彼らのいい意味でのお兄さん役を先輩のタッチと成チェリンがしっかりやってくれている。

仕事の合間を縫ってプロがよく利用する図書館に新入生を連れて行ったり、資料の中のどんなところに目をつけ、その資料がどういう情報を提供してくれているかをどうやって読み取るか等、面白く楽しい方法で説明している二人を見ていると、社会人になってもまだ学び続けながら、授業で学んだことを社会で実践することでさらに磨きをかけ頑張っている卒業生の生の声が、後輩たちに大きな影響を与えていることに感謝したい気持ちと、そんな彼らのことをずっと眺めていたいという気持ちと、自分も仲間に入れてもらって「勉強をしたい」という気持ちにさせられる。

ここ数週間、上田学園の学生たちと同じような年齢の子供たちが、親や兄弟や知人を殺めるという事件が連日のように新聞紙面のトップを飾っていたが、そんな若者たちのことが理解出来ずに困惑する大人たち。困惑だけが大きくなり、今では被疑者16歳、17歳という年齢に驚愕することはなくなり「またなの?日本はどうなっちゃうの?」という程度の感想を述べるだけの大人たち。

人の世で生きるということは、好きな人にだけ会い、好きなことだけをやっては生きていけないのが、この世の中で生きることだろう。

嫌な人に会ったり、嫌なこともしなければいけないことが多いその中で、いかに自分が自分らしく自分を上手に主張しながら生きていけるかで、その後の人生が変わることを教えるべきだ。そのためには、その場での自分の役割(責任)を知り、その責任を果たすための努力をしなければいけないことや、自分の欲求だけを押し付けても、相手が輝けなければ自分も輝けないことをしっかり理解させるべきだろう。

今の時代は色々な問題が身近で起きるようになっている。ということは、自分の子供が被害者になることは勿論、加害者になることなど全く考えられなかった時代とは違い、いつでも被害者にも加害者にもなる可能性が大きくなっているということだろう。だからこそ、どんな苦手なことや、やりたくないこと、嫌なことがあってもそこで立ち止まるのではなく、ほんの少しでもいい、前進する勇気と頑張る知恵を色々な方法で学ばせながら、一日も早く子供たちが未来に向かって自分の力で歩みだすよう仕向けなければいけない。

上田学園は、年齢・性別・学力・学歴・家庭環境の全く異にする新入生たちと、自分のペースで学び自分らしく歩き出している先輩たちが、色々な考えを持った先生たちから刺激を受け、お互いを反省材料にしながら助け合って学んでいく小さな社会だ。それだけに、それを構成する一人一人の構成員の役割は大きいし、大切だと考えている。

ゴールデンウイークが終わると上田学園も本格的に動き出す。
学生同士、どう影響し合い、どんな知恵を出し合い、どんな学園をつくっていくのだろうか。色々問題は山積みされているが、でも一年後が楽しみになるほど過去の学生たちとはまた一味違う可能性を秘めた学生たちがつくるこの一年。

去年までの卒業生からたくさん学ばせて頂いた経験を財産に、今までになかったくらい心軽やかな気分に包まれて、本格的な授業が始まる連休後の上田学園を今からウキウキした気持ちで待っているところです。



 

 

バックナンバーはこちらからどうぞ