●学園長のひとり言
平成18年7月28日
 (不定期更新)

                   自分史は自分で

「俺を人間にしてくれた先生です」
結婚するという報告と、その後の連絡で常に「嫁が」「嫁が」と連呼していたお嫁さんになる方と、10人という大家族だか、その家族がとても仲良くて「それにも惚れたんです」と言っていた彼の新しい家族との対面は、そんな紹介の言葉で始まった。

「今時こんなお嬢さんがいるんだ」と関心すると同時に、賢さに裏打ちされたしっかりした考えで行動する野呂田君のお嫁さんに思わず「大丈夫、野呂田でいいの?」と言わんでもいい言葉が口をついて出てしまった。そして二人のなんとも素敵なやり取りを見ながら「僕の嫁さん」に思わず「野呂田君のお嫁さんになって下さって、ありがとうね」と、お礼を言ってしまった。

こんなご両親だからこんな素敵なお子さんたちが育ったのだろうと、お嫁さんのご弟妹に感心すると同時に、将来どうなっていくのかまだまだ未知数の野呂田君に、こんな素敵なお嬢さんを嫁がせて下さることへの感謝で、思わず頭を下げながら「よく結婚を許してくださいましたね」とご挨拶をしてしまったほど、野呂田君の説明通りの暖かな雰囲気に包まれた新しい家族。その中で野呂田君は背伸びもせず、肩肘もはらず野呂田君のご両親が大事にしてきた「野呂田恭平」そのものが、今まで以上にスケールを大きくして存在していることに、思わず安堵し、「沖縄まで来てよかった」と心底思った。

緊張の中に「マリア様?」と思えるほど凛とした美しさと気高さに包まれた花嫁と、いつも見慣れていた野呂田君のヒッピーファッションからは想像も出来ないほどタキシードがフィットした魅力的な花婿の野呂田君に、思わず目頭を押さえながらすすり泣く声や、感激して思わずあげる感嘆の声が、さざ波のように小さな教会の中を満たして結婚式が始まった。

「24歳だった僕が『まだ結婚はしない』という選択肢のある中で結婚を決めたのは、彼女と一緒にならなければ、僕の人生は人間として大成しないと思ったからなんです」という彼の言葉や、「二人でいると、不思議に今まで以上に色々素敵な方たちと出会え、人の輪がいつの間にか広がっているんですよ」という「僕の嫁さん」の昭子さんの言葉を裏付けるかのように、さまざまな年齢の、さまざまな職業や出身地を異にした方々から祝福された結婚式が無事終了し、その後に続いて行われた披露宴は、まさに野呂田夫婦がこれからもこうやって生きていけるよう「努力したい」と願っていることが分かるような、自然で暖かい雰囲気に包まれたものだった。

北海道出身の野呂田君。福井出身の昭子さん。
野呂田が最初に就いた仕事先の福井で出会い、福井という土地で色々な方たちと交流を深め、その後住み始めた沖縄でも人間味豊かな沖縄の方々と出会い、交流し、その方たちを通してもっと大きく彼らの輪が広がりはじめているのを実際にこの目で見ることが出来、とても嬉しく思うのと同時に、野呂田君夫婦を「私たちの沖縄の家族」と呼び、二人のために沖縄民謡や踊りで披露宴を盛り上げて下さった14・5名の沖縄の方々に、拍手をいっぱいさせて頂きながら「こんなに親切な方々に“家族”と呼ばれる君たち、お見事!」という思いで、自称“東京の母”は心から安堵し、何度も泣きたくなった。

人の成長を見るのは面白い。まさにその人の歴史だからだ。
たった数年前の野呂田君と、現在の彼。菊の栽培農家で働きながら、“作家”を目指して“群像”などに自分の小説を投稿し始めているという彼の数年前は、作家希望なのに自分の作品が汚れるからと「絶対発表しない」などと宣わっていたことなど、信じられないような変わりようだ。

芥川賞作家になって上田学園に一億円を寄付してくれると在学中に約束してくれた野呂田君の言葉を信じ、今の今も期待しながら待っている私たちに、彼の今は嬉しい変化であり、今迄以上に現実味を帯びて期待をしたくなったのだが。

時間の経つのは早い。19歳で入学したころの彼は夢見る「夢夫さん」。
素敵なご両親の思いや、他の人たちにはない“何か”に恵まれていることに感謝もせず、ましてそれに磨きをかけるなどということには考えも及ばず、ただただ現実の問題から逃避することだけを考えているような男の子だった。

そんな彼が、誰にでも賛成してもらえる逃避の言い訳として「20歳になったら親のお金を当てにせず、一人で生きるために働く」という選択肢を選択することだった。

「何かが違う!」という思いでじっと一年近く彼の行動を見ていた私は、あることに気付き、取り急ぎ “百マス計算”で脚光を浴びだしたばかりの陰山先生にお電話をし、兵庫県の山口小学校まで出かけて行った。そして先生からお話を伺いながら、「根本的な問題が解決されていない今の彼を卒業させるわけには、いかない。今卒業させたら、彼は単に社会から潰されるだけで、将来に続く何かを得ることはないだろう。それが分かっているのに彼を引き止められなかったら、上田学園をつぶしても仕方がない」という思いで、北海道のご両親のところに飛び、2年目の在学許可を頂くと同時に、何日も何日も彼と熱い議論を戦わせた。

野呂田君自身で決めた2年目の継続。先生たちは勿論だが、金谷、タッチ、シーシーたちに助けてもらいながら自分の持っている問題点をしっかり正視し、自分で自分と闘いながら基礎学力も含め、自分にグングン力をつけていった。そして、どんな問題からも目をそらさず何とか自分と闘える自分にまで成長させ、教師や友達たちを安心させて卒業していった。

そんな彼も、卒業後の3年間は以前のように時々自分の問題から目を背け、問題の先送りがしたくなったという。しかし職場の先輩や同僚たち、色々なところで出会った人たちが叱ってくれ、助けてくれ、どうにかどんな問題からも逃げずに真摯な気持ちで自分と闘い続けることが出来という。それが自分への自信にもなり、次のステップへ進んで行く勇気にもなったともいう。そんな成長過程の中で、考えもしなかったような出会い。いまどき珍しいと思えるほどの大家族の中で大きな愛情に包まれ、魅力的な友達たちに囲まれて生きている“昭子さん”という未来の伴侶に出会うことが出来たという。

彼が卒業してからずいぶん時間がたったように思うが、実際はたったの5年くらいだ。しかし、たった5年くらいのことでも彼の表情にはこの5年間の彼の歴史が刻まれ、彼を一段と魅力的な男に見せ、これからますます大人の一員として野呂田らしい成長を遂げていくだろうことを暗示させていた。

野呂田君と同じように、彼の少し後輩で入学し、野呂田君と一緒に色々なことをしたタッチやシーシーにも毎日繰り返される仕事や学校や家庭での出来事を通して、歴史が刻まれ、それが個々の顔の表情を豊かにし、彼らの未来を暗示させてくれている。

学生たちが刻む彼らの歴史。その歴史のひとつひとつを反映するように上田学園の歴史も刻まれている。

色々な理由で、耐乏生活を余儀なくされているオギッチ、タッチ、そしてナルポコの三人。彼らはまるで兄弟のように、小さな部屋でくっついたり離れたり、批判したりされたりしながら、上手に距離をとりながら快適な共同生活をしよう(?)と、色々な知恵を出し合って生活を始めている。

彼らは真剣だ。でも周りから見ると彼らはまるで“団子3兄弟”。彼らのやり取りに思わず周りから笑いがこぼれる。時には大声で笑われている。そんな中、彼らは彼らなりに他人と過ごす無理のないルールを作り出す努力をしている。そしてその過程で、お互いを“反面教師”にして学びあいをしている。

「宿題をやっていて、気づいたら朝の3時になっていたよ」という言葉を聞きつけ、「誰のこと?まさか大ちゃんのこと?」と追求する言葉に照れる大ちゃん。それはまるで、上田学園4年目にしてやっと動き出した大ちゃんを象徴するかのような出来事。

しっかり質問をし、ノートもとり、宿題もしてくる。たまに遅刻はするが、それもほとんど、今はない。毎日が“お祭り”か“日曜日”のようだったあの3年間が嘘のように思える。それもつい最近までそれが続いていたことが信じられないほど、今の大ちゃんは当たり前のことを当たり前にするようになった。

決して朝まで宿題をすることが素晴らしいと言っているのでは、ない。気がついたら朝の3時まで上田学園でネットで知り合った人と、どうでもいい「チャットをしていた」のではなく、自宅で上田学園の宿題を一生懸命していて、時間がたっていることに気づかなかったという、その当たり前のことを体験したことが、すごいと思えるのだ。

「3時まで宿題」の出来事は、18年間の大ちゃんの歴史の中では画期的な出来事だっただろう。このようなことを繰り返す中で、彼は彼の未来につながる歴史を自分で刻んでいくのだろう。そしてそんな大ちゃんと同じように、不器用だけれど、一生懸命自分を成長させようとあがいているハチマキ君や、ジュニア、そして梶ちゃん。時々チョンボをしながらも「行け行けドンドン!」と頑張っている門馬ちゃん。どんなにお尻をたたかれてもマイペースで歩くドクター。それに休暇中のおっちゃんやお杉たちが上田学園という場で、仕事や学業や主婦業に一生懸命頑張っている野呂田君をはじめとする卒業生の先輩たちと同じように、自分の未来につながる山あり谷ありの歴史を、自分のペースで自分史の中に刻みながら生きていくのだろう。

沖縄の結婚式から帰ってきてもう3週間近く経つ。でも頭の中には野呂田君と昭子さんの幸せそうな表情がすぐ浮かんでくる。沖縄の人たちの暖かいおもてなしと、あのサンシンの音と、海にさらされて枯れたかのような味わいのある歌声で歌われた沖縄民謡が、どこからともなく流れてくる。その歌声に合わせて何気なく踊られた楽しい、でも優雅さと気品のある琉球踊りを踊って下さった方たちの優雅な手さばきが、おまけのように何度も目の中に浮かんできては、今でも“沖縄”を充分満喫させてくれている。

そんな沖縄の余韻を背景に、野呂田恭平らしい野呂田君に育つまでじっと見守り続けてこられた素敵なご両親に「お疲れ様でした」と申し上げたい気持ちと、年の離れた弟が頼もしく育っていることを知り、驚くと同時に弟の心遣いや一言一言を嬉しそうに見守る「兄貴然とした」野呂田のやさしい眼差しが、時間のたった今も、心の中をホカホカと暖めてくれている。

つくづく思う。大変や問題がどんなに押し寄せてこようと、一生懸命生きているからこそ親業は「素敵だ」と。先生業も「ラッキーだ」と。そして人間として生きられることは、「幸運だ」と。人との出会いは何事にも変えられないほど「すばらしい」と。だからこそ、どんなことがあっても立ち止まって動くことを止めるのではなく、自分を信じ、人から助けられたり助けたりしながら、自分の足と手で、自分のページに自分史を書き込んでいかなければと。

 

 

 

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