●学園長のひとり言 |
平成18年9月22日
(不定期更新) 小さな靴 ふとスイスで過ごした頃を思い出した。ドイツ語の学生・日本語教師・日本人補習校の主任教師として、朝から晩まで忙しく走り回っていたあのころ。仕事の合間にちょっと立ち寄ったデパートで目にした可愛いらしい子供の靴。そのあまりにも小さくて可愛らしい靴を思わず購入してしまったあの日。あの日から「ご飯だよ!」とか「電話だよ!」と呼びにきてくれたスイス人たちが、必ず「早苗の可愛い靴」と呼んで笑いながら触っていった。 在スイスの時代、最初に住んだチューリッヒ大学に近い共同アパート。毎週違ったガールフレンドが泊まりに来ていた金髪で「可愛い男の子」の代表のような医学部の学生のデービット。父親も山奥にある小さな村の獣医だという真面目が洋服を着て歩いているような獣医学部の学生のアンディー。スイスの公用語がドイツ語、フランス語、イタリア語それに、ほんの一部の人たちにしか使われていないロマニッシュ語。それを使う地域として有名であり、チューリッヒに住むスイス人が気軽に滑りに行くスキー場としても有名なフルムスから来ていた「アルプスの少女」のような図書司の学生、カティー。男の子のように元気で年齢・性別・職業に関係なく、いつもたくさんの素敵な友達に囲まれていたドイツ人の歯科衛生士のモニカ。 昔の日本のアパートのように、トイレ・風呂場・台所を共有していた共同アパートで偶然出会った私たち五人は、いつの間にか「気の会う仲間」として時々一緒に食事をするようになり、いつしか月初めに30スイスフランずつ出し合い食事当番を決めて、皆で一緒に家族のように生活するようになっていた。その共同生活の場で、皆に可愛がられていたのが、私の部屋の入り口に置かれた靴箱の上に、飾りとして乗せられていたあの小さな小さな可愛い0歳児用の靴だった。 楽しかった。本当に楽しくて充実した毎日だった。でも、時々あまりの忙しさに心をなくしそうになる私を引き止め、エネルギー補給をしてくれたり、嫌なことがあったとき私の心を慰めてくれたのが、あの4人の彼らであり、靴箱の上のあの赤くて小さな可愛い靴だった。 家族の中でも親戚の中でも一番小さな女の子として、年の離れた二人の兄たちや、たくさんいる従兄弟たちから可愛がられて育った私は、兄や従兄弟たちから可愛がられるように可愛がってあげられる小さな子供が大好きで、学校から帰ってくるとお人形遊びの代わりに「赤ちゃん貸して下さい!」と近所の家の小さな子供を借りて、一生懸命子守をさせてもらっていた。 学校が忙しくなり近所に子供を借りに行かれなくなったころ、兄や姉に連れられて遊びに来る甥や姪たちの小さな可愛い靴を玄関に見つけると、自分の靴を脱ぐのももどかしく、転げるように家に入っていったことを思い出す。 「近くに来たら先生の家に遊びにいらっしゃいね」と何気なく言った言葉に、毎回「いつ遊びに行っていい?」と聞く日本人補習校の1・2年生の子供たち。彼らを共同アパートから一人住まいを始めたばかりの3LDKの我が家に招待したとき、5畳くらいあったエンタレンスに脱ぎ捨てられた20数名の子供たちの靴。「この子はこんな大きな靴を履くようになっているんだ」とか、「大人びた言葉を使ってお話するけれど、まだこんなに小さな靴を履いているんだ」等と考えながら、彼らの靴を並べたことを思い出す。 小さな可愛い子供の靴。こんなに小さな靴を履いてどこへ行きたいのかと考えると、自然に笑みがこぼれ落ちる。 上田学園の学生たちの靴は、大きい。思わず「可愛い!」等と言いたくなるサイズではない。それでも学生たちが一歩一歩どんな人生を歩んでいくのかと思うと、「この大きな靴を履く年齢になっているのに、やることはまるで子供。怖がりで恐がりで、中々前に向かって歩き出そうとしないけれど、いつか一人で生きていかなければならないのだから、どんなに怖くても、どんなに恐ろしくても勇気を持って自分の足でしっかり大地を踏みしめて一歩一歩大切に人生を歩みだして欲しい」と願わずにはいられない。 Dr.鈴木は来年東京外国語大学のフランス語科に入学したいといういことで、上田学園を1年で辞めることになった。 高校を1年で中退してから色々なことがあって辿り着いた上田学園だったが、もともとあったフランス語やロシア語に対する興味が、見上先生の授業で今まで以上に気づかされたようだ。そんな自分に気づいた以上、今回は是非自分の夢を叶えて欲しいと思う。途中で投げ出さないで欲しいと願う。 バーバリーのフードつきの赤いコートを着て、フランスの俳優のような雰囲気で歩いていたDr.鈴木。 1年間のうち、学校に来たのは一ヶ月もなかったし、自分の気付かない興味を開拓する時間も、また他の学生たちと交流をしたり友人関係を作るチャンスもなかったが、今回の決断を最後に、是非自分の足で自分の人生を歩みだして欲しいと思う。そして、色々な友達に出会えることを祈っている。 予備校も行かず一人で勉強して受験するという大変な道を選択するというが、その一歩も大切な一歩。時間との競争になるが、それも長い人生の中には多々あることだ。努力して欲しいし、頑張って欲しい。結果も大切だがそこまで行く過程が大きな学びになり、人生の上で大きな意味をもつものになるだろう。大切な第一歩だ。怖くても恐くても、頑張って欲しい。きちんと足を踏み出して欲しい。心からそう願っている。 ジュニアとハチマキ君とオギッチは、この暑い中毎日のように学校に来て宿題をしたり、受験勉強とアルバイトの合間に手伝いにくるヒロポンと一緒に成チェリンの手伝いのために汗だくになりながら三脚等を担いで「象のはな子」の撮影に同行したり、9月25日から「来年のツアーの下見」と称してドイツ・ポーランド・チェコに行くための予算をたて、親を説得したりルートを決めたり、ホテルをとったり。また英語もドイツ語もできない彼らが、現地で現地の人たちに英語とドイツ語でインタビューをしたいと考え、インタビューする項目のリストや英語とドイツ語での原稿作りなど、毎日夜遅くまで準備をしている。 上田学園に入学して半年たった二人の女性生徒たちはアルバイトに専念しているようだ。そしてバンドに入れてもらったばかりのダイは、毎日のようにバンドの生活に明け暮れているのだろう「今週は2回、彼を電車の中で見かけました。元気そうでした」と日本語の先生。 やりたい仕事を見つけ、その会社に応募した成チェリン。たった一人の募集だったというだけではなく、人気コピーライターの事務所で働きたいと考える人たちは、ものすごい数だったはずだ。結果は残念だったが、上田学園で学んだものを提出し、他の人たちと同じ場で競えると思える力をつけたことが、とても嬉しい。勿論、その力はまだまだ「青い」。しかし、未来に何かがあると感じさせるものを自分の手に入れたのは事実だろう。あとは成チェリンの生き方一つで「育て甲斐がある」と思って、成チェリンを厳しく叩いてくれる“大切な人”に出会うだろう。そこまで育って来ている、成長してきていると確信できるようになった成チェリンの今を、ほんの少しほっとして見守っている。 「ロケもようやく後半に入りデンバーに宿泊しています。4000メートルのパイクスピークに登ったり、ロッキーの谷底でサボテンに刺されたりとぼろぼろの状態です。仕事は厳しいですが、楽しんで横断の旅をしています」と写真が添付されたメールが卒業生のタッチから届いた。タッチにとって初めての海外ロケ。仕事でアメリカに一ヶ月滞在しているのだ。 世界中の誰もが今日という一歩を自分の足で踏み出している。その中に上田学園の在校生も卒業生もいる。その一歩は決して大きな一歩ではない。しかし全てはその小さな一歩から始まる。「だから」とつくづく思う、その小さな一歩を大切にしたいと。例えどんなに小さな一歩でも、皆でその一歩を愛で、慈しみたいものだ。大きな一歩を望む前に「こんな小さな靴を履いてどこに行くのだろうか、どこへ行きたいのだろうか」と考えたあの頃を思い出しながら、成長していく彼らを応援していきたいものだ。足を地につけて、たくましくしっかり歩きだすまで。 |