●学園長のひとり言
平成18年10月12日
 (不定期更新)

                  親の心配!

「本当に学校に行っているんですか? 信じられません!」
「本当に授業についていけているんですか?そんなわけないですよね」
「本当にそんな遅くまで勉強しているんですか?…、何しているんですか?」
「本当に大学に行きたがっているんでしょうか?…、勉強もしていないのに?」」
「本当に留学を考えているんでしょうか?…英語も出来なのに…」
「本当・・・・?」「本当に・・・・・?」「本当に・・・・?」

政治家の誰かさんではないが、思わず声を大にして言いたくなる「私は嘘を申しません!」と。

長い間ずっと親の信頼を裏切り通しだったのだろうと想像できる言葉が、ことある毎に親御さんから返ってくる。しかし、学生たちが一生懸命自分の過去を踏み台にして未来に向かって歩み始めているのは、事実だ。ただそれが彼らのテンポで歩み始めているということであり、親御さんたちが期待するいわゆる「他の子供と同じ」ではなかったり、親の理解範疇外でどう判断していいか分からなかったりするだけのことなのだ。

中には確かに「ミラクル!」とか「この10年間の苦しみはなんだったんでしょう?」というような言葉がため息とともに親御さんの口から思わずこぼれ出るほど、入学したその週から変化を始める学生もいる。そんな彼らは、上田学園に入る前にすでにどん底のどん底にいたのだろう。上に這い上がるしか行く道がなかったのだろう。

後ろのない状態で、自分たちも腹をくくり「今の自分と対決しなければ生きる方法がなくなっている」と、自覚せざるをおえかったのだろう。また彼らを取り巻く人たちも心底そう思い「何とかしなければ」と、排水の陣をひいて上田学園で学ばせることを決めたのだろう。そんなときに出会った20数名いる生き様の素敵な、現役で仕事をしている先生たちの生の言葉と体当たりの交流に心を動かされ、なりふり構わず本当の自分に出会うために這い上がることを選択した結果だったのだろう。

学生によっては、上田学園に入学して初めて言い訳の通らない現実の自分に向き合わされ、あわてて逃げ出し、逃げ続けているうちに逃げきれなくなり、
「どうしよう?」と立ち止まったとき、自分の方が「上!」と思い込んで安心して見下していた他の学生が、問題を正視し、努力をし、自分のペースと自分の方法とで自分の気持ちに折り合いをつけ、這い上がり、いつの間にか人間的にも成長し、知識でも実行力でも自分よりずっと上を淡々と歩き、以前には想像も出来なかったほど魅力的な学生に変わっている現実を目の前にして、やっと自分の問題を正視し、努力を始める学生もいる。

自分の出来ないこと、意に沿わないこと、全て「周りが悪い!」と他人の所為にし、自分には「まったく問題なし!」と思い込み、自分勝手に振舞っているうちに時間だけが過ぎていき、ある日突然あらゆることから一人取り残されている自分に気づき、愕然とし、そのことから逃げ出していく学生と、そこで留まって一からやり直し、本来持っている「素敵な自分」に磨きをかけて輝き出し、ステップアップしていく学生と、本当に様々な学生がいる。

子供たちのことで世間に自慢したい親たち。しかし「裏切られ続けている」という思いが、「どうせ…」「でも…」という言葉で子供たちを評価しようとするのだろう。

確かに親御さんの意見に相槌を打ちたくなることも、ある。だが、子供から裏切られ続けるということは、どういうことなのだろうか。小さな子供だった彼らが親をどう裏切ってきたのだろうか。そんなことが頭をよぎる。

どう考えてみても小さな子供が親を裏切るとは思えないし、裏切るだけの知恵があるとも思えない。本気で「裏切られた!」と考えているのであれば、それは子供を自分の好みや、レベルが“高い”と信じて疑わない人間にしようと、「素晴らしき子供の未来のために」という親が勝手に考えた基準で作られた枠組みの中で、子供の見本やお手本になることもなく、ただただ子供の後ろから子供のお尻を「激励」という名目で叩いたため、子供に必要以上の不安や、根拠のない自信を植え付け、その結果「裏切られた」と思い込むことで納得するしか自分の気持の持って行き場がないところまで、自分も子供も追い込んでしまった結果ではないのだろうか。

この世界に存在するあらゆるものの価値を決めるのは、個々だろう。だからこそ、その個の一人である自分の子供が考える価値基準を、ある年齢からは例え親であっても、押し付けることはできない。出来ることは「同意する」「同意しない」「オカシイ」「それは正しい」「それは間違っている」等という親が考える価値判断の根拠を、情報として伝えることだけだろう。

世の中は面白い。生きるとは面白い。生きていることの価値、毎日生活することの価値。よいことも悪いこともふくめ、全て自分で価値を決めていけるから、だから面白い。

ドレッシングテーブルの高価な化粧品の間に、むきだしで置かれた3千万円もしたというキラキラ輝く小さなブローチより、ウイーンの朝市で買ったという800円のブローチを「このデザイン、本当に素敵なのよね」と言い、嬉しそうに身に着けている友人。

「思い出に!」と近くの海岸で拾った石を磨いて、大きな愛情と一緒に指輪にして渡してくれたイギリス人の家族。

ブランドの大学卒。大手企業就職。「我が家はもう安泰」と信じて疑わなかったと言い、息子のハローワーク通いに戸惑う親御さん。

「何を望んで…?」と言われながらも、「親には申し訳ないと思っているんですが・・・、でもこんなに幸福でいいんですかね」と、心から楽しんで仕事をしている若者。

これからの時代は、今まで以上にあらゆることの価値基準が個々で大きく変わっていくのは、確かなことであり、親子間での考え方の違いも、大きくずれていくことは間違いのないことだろう。それだけに、どう子供たちを導いていくかが、今以上に問われてくるはずだ。

外から見たら、単なるフリースクールの一学生にしか見えない上田学園の学生たち。彼らを見ていて何時も感じることは、彼らが磨かれたことのない「原石のようだ」ということだ。例え磨かれていたとしても、わざわざ質を落としているとしか思えないような磨きや加工が施されていることに気づかされ、その理由が理解出来ず「お金と時間の無駄」という思いと、そのために,長い間居心地の悪い思いや,勘違いをしてきた学生たちが,気の毒になる。

だからこそ上田学園に縁があって入ってきた学生たちには、一日でも早く自分らしく生きられるように、自分らしく輝けるようにと願い、「学び」という磨きをかけはじめる。しかし、過去に施された理解の出来ないコーティングや思い込みに邪魔され、それを払拭するのに時間がかかり、なかなか「学び」にまで届かず、先生たちを悩ませる。

それでも子供を信じ、あせる気持ちと戦って下さる親御さんには救われる。子供たちもそれに答えるかのように、その子なりの時間内に大きな進歩の第一歩を踏み出し、ホット胸を撫で下ろすことも多い。しかしその子の成長テンポではない速さで、劇的な変化や成長を切望している親御さんたちからは「上田学園にいても変化は望めない。普通の学生(?)にはなれない!」と簡単に信じ込まれ、それが「苦手なことからは屁理屈をこねて逃亡する」という学生たちの十八番を助長させ、「問題の先送り」状態を継続させ、一人で生きていくことを益々難しくさせている。

親御さんが不安になるのは、よく分かる。一分でも一秒でも早く親御さんが考える「普通の子供」になることを、切望する気持ちもよく理解できる。まして学生たちの過去の授業経験の中になかったような「株」だの、「リサーチの授業」だの、「旅行の企画」だの、「外国人に日本語を教える」だの、そんな科目を中学を卒業したての学生から社会人の経験などもある年齢、学歴、学力の全く違う学生たちが一緒に学んでいることが、理解できないのもよく分かる。

しかし、“学ぶ”ということはそういうことだろう。授業についていけないから、ついていけるようになるために学ぶのだ。勉強とは、出来ないからするのであり、出来るなら勉強はしなくても、いい。どうやって社会に出て働いたらいいか分からないから、色々なことを上田学園で実践し、学んでいるのだ。その中には「盛大に失敗する」ということも含まれている。それが時間の流れ方に反映している。

上田学園の時間は、一般の学校のよに1年間が終われば、授業内容が理解出来たか出来なかったかに全く関係なく、自動的に2年生になれるという現代の「日本の常識」とは違う形態をとっている。それだけに、一見「時間ばかりかかり成長していない」と勘違いされても仕方がなにのだが。

学生にとって、上田学園にいる毎日は自分との戦いであり、闘争だろう。その悩みの中に、授業が「面白くない」と思い込んでいること。「理解できない」と頭から信じて、面白くする努力や理解する努力を簡単に放棄する癖や、自分の気持ちを伝えきれないこと等、色々な教科と共に、役に立つ「学びの材料」としてキラキラ輝く目標として存在しているのだ。

学校の成績が赤点ばかりだったとしても、「何を言っているのか分かりません、教えて下さい」という簡単なことから上田学園の学びの第一歩が始まるのだが、親も先生も大人たちも世間も、往々にしてこの簡単なことが学びの第一歩であることに気づいていないことが多い。例え気付いていても、大きな問題になるとは全く思っていないことが多い。それが大きな問題なのだが。

若いということは、素晴らしい。何が素晴らしいかというと、時間がかかろうと、難しかろうと、新しい学びを自分のものとして学んでいくし、行けるようになる、その気持ちがあれば。だから応援して欲しい、正当なる応援を。

親御さんたちが考えているように簡単に輝ききれない子供たちかもしれない。ダイヤモンドだと信じていたら、どこにでもある名も無い石ころみたいだと思うこともあるだろう。しかし、それぞれの子供たちが自分の手で自分を生かし、納得した人生を切り開いて行けたら、それは思いがけない輝きを放ち、生きることを心から楽しんで、どんな苦労もいとわず逞しく生きていけるようになるのではないだろうか。そんな彼らの可能性を信じて応援して欲しい。信じてもらえる努力を、学生たちも今以上にするべきだ。またそうさせたいとも考えている。

長い間、お金をドブに捨てるような生活をしてきた学生たち。「親にお金を使わせたくないんです」と、どの学生も判を押したように言う。しかし、その言葉の端から、お金は親の財布から「湧いて出てくる」と本気で信じているとしか思えないようなお金の使い方をしていた学生たち。そんな彼らの中の4名の学生が、来年の旅行の下見にドイツ、チェコ、ポーランドに出かけて行った。

今回の下見は何時もより日数が長く、予算以上にお金がかかり、不足分をクレジットカードで払っているという。そして「オーバーした分を親にどうやって返そうかと皆で話し合っているんです」と、チェコからかけてきた電話の中で話していた学生たち。勉強が忙しくアルバイトをする時間を取ることが難しい今の上田学園。「どこかでアルバイトをする時間を捻出する工夫をしたら?」という言葉に「何とか考えてみます!」という答えが返ってきていた。彼らはまた一つ学んだようだ。嬉しくなる。

先週から始まった上田学園の後期授業。今学期の目標などを、今までになくゆったりした気持ちで下見旅行に行かなかった学生たちと、話し合うことが出来た。

       タイトル:英語が通じない!
知らないドイツ人:Do you speak English?(英語が出来ますか)
ジュニア    :Don’t speak English!(英語をしゃべるな!)
ハチマキ    :“I”がぬけてます、“I”が・・・・(笑い!!)
ジュニア    :ああ、道理で腹を立てていたんだ、あのドイツ人(笑い!!)

こんなドイツ人とのやりとりが、写真つきで学校にメールされて来た次の日、「先生無事成田に着きました。ありがとうございました」という電話が入った。それから3時間後、学校によってくれた学生の元気な姿にホットする。新入生の二人が、何だか男っぽく逞しくなっているのに、驚く。

今までになく面白くなりそうな後期の授業。本格的な授業は来週から始まる。またにぎやかな上田学園にもどるだろう、庭で遊ぶ小鳥たちのさえずりがうるさく感じられたことが嘘のように。

 

 

 

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