●学園長のひとり言 |
平成19年2月20日 春の訪れ
こんなメールが卒業生の一人から各先生方に送られてきたのは、昨年の11月のことでした。 自分の進みたい道をみつけて去年の3月に卒業した彼は、受験のため、昼は受験勉強をし、夕方の6時から10時すぎまで毎日本屋で働き、週二回、指圧の家庭科コースを受講し、そして土曜日と日曜日はリサーチの授業のために上田学園へ通う生活をしておりました。 一般の浪人生と違い、塾にも行かず、家庭教師にもつかず、一人でコツコツ勉強を始めた当初は、受験に全く関係ない授業で占められている上田学園の教科と、受験に全く関係ない生活をずっとしてきた彼に、暗記競争のような受験勉強が出来るのか。暗記にあけくれして、受験が終わると全部忘れてしまうような、学ぶことの本質から程遠い受験勉強を受け入れていけるのかと、内心、心配をして見ておりましたが、他人には全く大変さを感じさせず、卒業する前と同じように淡々としており、反対に「本当に勉強しているの?」と思い、彼の周りの人間のほうが心配になったほどでした。 しかし、周りの心配をよそに、マイペースで、でもしっかり受験勉強をしていた彼は、一般募集で受験した60数名の中から合格した合格者、12名の中に入っていたのです。それも生物は満点か満点に近い点数で。 彼の合格は彼のために、心からホットすると同時に、とても嬉しいものでした。彼には上田学園に入学するまでに、紆余曲折の大変な7年間があったことを知っていたからです。しかし、彼のご家族全員に共通する人間としての暖かさや、誠実さが、上田学園に在籍していた3年間+浪人の1年間を含め、11年近くかかって、彼の社会人として独立していくその第一歩をしっかりと手にいれたのです。 この11年間のご家族のご苦労はいかばかりだったかと想像し、頭が下がる思いがしております。 マイペースで生きている彼のテンポは一見、ノンビリしているように先生の目に映り、ご自分のクラスから落ちこぼれや、不登校生を出したくないと願った担任の先生による間違った叱咤激励が、彼をイジメの対象にしてしまい、病気だと勘違いされるところまで、彼を追い込んでいったようです。 そんな彼を二人のお兄さんたちが一生懸命フォローし、あるときは強烈に、あるときは寄り添うようにして励まし続けてくれたそうです。「兄貴たちにはかなわない。尊敬している」と彼はよく言います。そして、そんな頼もしい上のお二人の息子さんに助けられ、ご両親も「絶対なんとかしてみせる」と思い続けていたそうです。 長くて暗いトンネルを抜け出てきた現在、どんな大変なときでも、どんな辛いことがあってもいつもニコニコとユーモアを忘れない彼のお母様が「『絶対やる、何とかする!』と、主人と話し合ってきましたので、持っているものは全部そのために使うつもりでした。それでも大変でしたし、一生このぼろ家に住むことになりましたが、でも辛かった分、色々な方と出会うことが出来、色々なことを学ばせていただき、そんなことを体験させてくれた息子に今は感謝しております」と、いつものようにニコニコ笑いながらお話くださいました。そして唯一つ、亡くなられたご両親の看病が出来なかったことだけが、「心残りです」と、うっすら目に涙を浮かべて話してくださいました。 お母様のご実家は、昔の大庄屋。豊かな生活を営む家庭の3人兄弟の真ん中で、ただ一人の女の子ということで、ことのほかご両親に大切にされて育ったそうです。お洋服を買うのでも、靴を買うのでも何時間もかけて、東京のデパートにお父様と買いに来るという生活をしていたそうです。その後、音大を卒業し、結婚なされたそうです。 可愛い3人の息子さんに恵まれ、普通の生活でしたが幸福に過していらしたそうです、末っ子の息子が不登校になるまでは。 息子が上田学園に入学するまでの7年間、不安と心配で「何か自分に落ち度があるのでは?問題があるのでは?」と悩み続けたそうです。その間にご実家のご両親様が病気になり、お一人は寝たきりになり、お一人は体が御不自由になり、それをご実家を継いだ弟さんご夫婦が一生懸命看病をしてくださったそうです。その看病の間、弟さんご夫婦から看病についての愚痴を聞かされたことなど全くなく、むしろ一ヶ月に一度お見舞いに行くお姉さまに対し、「見舞いに来てくれて、すみません」と喜んで迎えてくださり、弟のお嫁さんなどは、帰るときにはいつもお土産まで持たせてくれたそうです。 「甥たちは、まだ4歳とか5歳でしたから自分たちのことだけでも大変なとき、きっと弟は『何故お姉さんは手伝ってくれないのか?』と、内心思っていたと思うのですが、息子のことを話すと弟夫婦に心配かけるし、両親に伝へても悲しませるだけなので、看病に通えない理由は一言も説明しませんでした。だから今でも私の実家の者は誰も息子のことは知りませんが、でも看病出来なかったことが心残りで、弟夫婦に申し訳なかったと、それだけが今でも辛いんです。 主人と上の二人の息子にも感謝しています。サラリーマンの主人は、幾らお金がかかって大変でも、一言も文句を言いませんでしたし、今と違って電車の便も悪く、急行などない時代に、家の中がガタガタしているのに、実家の親の見舞いだとはいえ、一ヶ月に一度早朝の5時に出かけ、夜11時過ぎに戻ってくることも、何とも言いませんでした。 上の二人の息子にも、我慢ばかりさせました。特に長男には。それでも文句一つ言わず、一生懸命協力してくれました」と。 これから彼が行く専門学校は3年間です。授業料は上田学園の比ではありません。家でも一軒建ちそうな金額です。それでもご自分たちが出来る限り応援するとおしゃって、「でも先生、学校のお金を払い込んだとき、『これからの3年間のお金は、働いたら返しなさいよ』と言いましたら、驚いた顔しておりましたので、このぼろ家を建て直そうと思っていたのが駄目になったし、『我が家の経済は先細り!』と申しましたら、『ぼろ家の向こうに豪邸!』と言って笑っているんですよ。将来建ててくれるんでしょうかね、楽しみですね」と。 お子さんのことでご両親が苦労なさる。そのご苦労は、教師の苦労とは比べられないほど、大変なことだろうと思います。でもハイリスク、ハイリターン。ノーリスク、ノーリターン。どんな大変なことでも、絶対それが終わるときがきます。それも、大きな喜びと一緒に。それを家族一丸となって実践したご家族に、思わず「やっと春が来ましたね、よかったですね、おめでとうございます!」と声をかけながら、胸いっぱいにこみ上げてきた暖かいもので、思わず目頭を押さえてしまいました。 4月の入学式まであと2ヶ月。本屋のバイトと、リサーチの授業の「象のはな子」の映像作品をしあげるために、毎日のように学校にきている彼。いつものように淡々とマイペースで作業をやっています。 しかし、勉強の仕方、学び方を身につけ、アニメ一辺倒だった彼の愛読書がいつの間にか文芸春秋や新潮文庫に替わり、ちょっと大人の気持ちも味わいだした彼。きっと実のある学校生活をはじめるでしょう。それもこの11年間の苦しい体験を仕事に反映させるべく、3年後の国家試験に向かって。
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