●学園長のひとり言 |
平成19年3月20日 愛に支えられて
家族とはなんと難しいものかと時々考えさせられます。何が難しいかといえば、家族は愛し合っていなければならないという不文律のような概念にとらわれるからでしょうか。勿論、愛し合っていることに越したことはありませんし、家族ならそれが当たり前だと思います。しかし家族の愛がどういうものか、愛のある家族の形態がしっかり定義されているのなら分かりますが、そんな定義がないのに、頭の中にある愛の親子の理想像をそのまま具現化したがります、親も子も。そんな中に自分の家族を押し込めて「愛の家族」と呼ぼうとしても無理があるように思います。その組織を構成しているのが死ぬまで自分のことが理解できないやっかいな人間が構成しているからです。 学生たちと話していていつも思うのは、家族とは? 親とは? 子供とは? 兄弟とは? 誰にでも納得がいくような説明が一言で出来ないのが、この関係なのではないかということです。家族の形態をはじめ、他の形態にも一つとして同じものはないと思いますし、個々の家族の中で決めていけばいいことだと思いますし、決めていけばいいことの前に、そうすることでしか愛のある家族の形態はつくれないのだろうと思います。 それは、好きだとか、嫌いだとか、愛しているとか、幸福だとか、不幸だとかいう感情は、例え血がつながっていようがいまいが個々で全く感じ方が違うからです。だからこそ、個々の家庭でしか我が家は「愛し合っている家族だ」と感じられる関係を作ることが出来ないのだと思います。例え人の家族の話として感動して「あの家族は理想の家族ね、お互いをとても大切にしていて」という言葉で表現していても、「愛し合っている家族だ」と言うのに無理があるように思うからです。 “愛”という言葉は、英語やドイツ語やフランス語ですと、母国語ではないだけに他人事のように簡単に使える言葉ですが、しかし、それを日本語でいうのは本当に難しいし、照れくさいものです。ですから“愛”と言う言葉を生で使わない傾向が日本人にはあるように思います。しかし、例え「信頼しあっている」とか「信じている」とか「理解しあっている」とか「大切に思っている」とかいう言葉を“愛”の代用にしますが、その底に“愛”と言う言葉が歴然と横たわっているため、言葉に敏感であったり、真面目で生き方の不器用な人間になればなるほど、例え“愛”に代わる言葉であっても気軽に使えないようです。特に相手が大切な人間になればなるほど。 そういう意味では、外国の方々は簡単に「愛しているよ」という言葉を使います。例えば、電話を切るときには「元気で!」とか「頑張れ!」の代わりに。また、「さよなら」という言葉の代わりにもよく使われております。ちょっとした小さな場面でも「I love you!」を頻繁に発するので、慣れないときは随分抵抗がありましたが、今は「I love you!」にも色々なニュアンスがあるのが分かりますし、それを連発しなければ成り立たない社会も何となく理解できるようになり、抵抗が少なくなったように思います。でも日本人にとっては簡単に使用出来ない言葉です、特に家族に対しては。 “愛”という感情や言葉の使い方だけではなく、上田学園の学生たちは全てのことにおいて、往々にして不器用です。何が不器用かというと生き方が不器用なのです。心根は優しいし、思いやりもあります。ただそれを表現することが下手なのです。それも「超下手くそ!」と言いたくなるほど下手なのです。 歯の浮いたような言葉を羅列する必要はないのに、ただちょっと相手に通じる言葉で自分の心を表現したらいいと思うのですが、でもしないのです、「自分の生き方じゃない」とか言って。それも単語でポッツリポッツリと説明してくれるので、彼らの言いたいことが理解できたときは、「そう言われても・・・・」と思う反発心も色あせて、それ以上追求しないため、誰にも追及されて来なかったことで、未だにその部分は未発達をしているように思えます。 上田学園の学生ばかりではありませんが、大人も含めてやたらに調子よく相手に美味しい言葉を羅列して投げかける人間と、まったく美味しい言葉も、感情を汲み取れる言葉も発せず、不器用に理解してくれる人間の間でしか生きたがらない人間とかいます。そんな大人たちを見ると、学生たちの未来をみているようで、思わず「今年の授業には、もっと感情を豊かに表せる訓練が出来る授業をとりいれなければ」と思ってしまいます、それも本気で。 3月17日、午後7時。例年なら諸先生や在校生を含め50数名の参加者で執り行われる上田学園の卒業パーティー。今年は先生と生徒、総勢25名で上田学園の終了パーティーが開かれました。上田学園を終了するのは大ちゃんとおっちゃんとオギッチの3人に、それに今年から野原先生の後輩になる藤田の大学入学祝い、ヒロポンの専門学校への入学祝い、そしてナルちぇりんの追い出し会とを兼ねて。 何をやっても憎まれず、嫌がれない不思議な大ちゃんは、中学を卒業して入学してきた一番小さな学生でしたが、4年在籍するうちに、「可愛い大ちゃん」、「やんちゃな大ちゃん」が、いつの間にか大ちゃんから大君と言いたくなるほど、顔が大人になりました。 一浪して来年は大学の芸術学部に入学を希望しており、来週福島に帰り、受験勉強を開始するそうです。そんな大ちゃんを心配して見守り続けたお母様が、「やっと焦らなくなりました。家族の心がまとまって何をするでもないのに、個々が別々のことをしているのに、主人に『お父さん、子供がいるって嬉しいですね』と話せるようになりました」と。大ちゃんは勿論ですが、大ちゃんのお姉さんもお兄さんも自分の道を歩みだし、ホッとしたそうです。 この4年間、お母様がどれだけ大ちゃんのことで心を痛め、悩み、苦しんでいらしたかを感じておりましたので、心からホッとすると同時に胸がいっぱいになり「よかったですね」という言葉しかかけられませんでした。まして単に主婦業だけに専念しているのではなく、3つの会社をご主人様のサポートをしながら切り盛りしている中で、大ちゃんの心配事や、お仕事の疲れで体調を何度も崩され、それでも何かあるたびに福島から飛んでいらして、問題を処理するとすぐその足で福島にもどられるというハードな生活をなさっていらっしゃいましたが、当の大ちゃんはそんなお母様には無頓着で、「親の職業は子供を心配すること」とでも言いたげに、「勝手に心配しているだけです」などと言い放しておりました。 大ちゃんにとってこれからが本当に自分で築いていく人生のスタートになります。どんな人生を送るにしても、それは大ちゃんが自分で決めていく人生。応援するだけです、ただただ「頑張ってね」という言葉で。 皆に説明する前にすっ飛んで行って、インタビューでも本探しでも何でもしてくるオギッチは、もう1年残るのか、仕事を始めるのか悩んでいます。なかなか自分の考えを正確に言葉に出来ず、時間をかけて聞き出さなければ、何も言えないのです。それなりに頭の中で考えているようですが。そんな彼に先生方が時間をかけて聞き出しておりました。そしてそれをそのまま親に伝えたらどうかと話しておりました。 彼にとってもこの1年は彼の人生の貴重な1年になるだろうと想像しております。 人をほっとさせる暖かさと優しさを持ったおっちゃんは、上田学園にはオフィシャルでは存在しない「ホームシューレ」として、リサーチの授業だけに参加し、メールで学生たちとやりとりしながら数百枚の絵を描いて、無事「象のはな子」の絵本を完成させました。 大台に乗っかったおっちゃん、これからの1年で彼もどう社会と関わりあって成長を続けられるのかが決まっていくだろうと想像し、心配と楽しみで「出来ることから何でもやってみたらいい」という思いと、「ずっとずっと応援し続けるから」という思いで、今までと同じように見守っていこうと決めています。 年齢以上に冷静沈着で、何事にも大人のように対応する藤チャは、野原先生や麻生美代子先生の後輩として大学生活が始まります。どんな学生生活をしていくのか楽しみにしているし、また土曜日だけは聴講に来るので、新しい彼の学校生活が聞かれると、今から楽しみにしているところです。 苦節数年。人間として素晴らしいものをもっているヒロポンは、いよいよ3年後の国家試験を目指して、指圧の専門学校へ。今からお客になりたい先生方と、お客を紹介したいと考えている先生方で顧客リストはすでに一杯と思えるほど、期待されています。 「神の手」と思えるほどマッサージの上手なヒロポンが、本格的に学んだらどうなるのか今から本当に楽しみにしているところです。 上田学園は本当に小さな学校です。生徒も7・8名。単発で授業をする先生方をいれたら、総勢20数名の先生。まるで家族のように。それだけに「愛の家族」ならぬ「愛の学校」、すなわち「教師と生徒は信頼しあって・・・」と言いたくなるのですが、でも理想論ばかりを振りかざさないよう一生懸命自分を戒めております。先生と生徒が今以上に信頼し合える関係を作るために、どんな努力も惜しまないと心で誓いながら。それでも、ほんの少し、学生たちが発してくれることばに癒され、今年も一生懸命頑張ろうと力が湧いてくるのですが。 ナルちぇりんは、卒業してから2年間、1年目は新聞配達所に住み込んで、後の1年はコンビニでアルバイトをしながら上田学園の聴講生としてが頑張って勉強をしてきました。そして今年からはアルバイトをしながらの聴講生は禁止。どこかの会社に所属し、そこで叱られながら社会人として成長するように伝えました。そして来週の土曜日の授業を最後に仕事探しを始めます。 色々希望はあるようですが、株の授業の先生のお話のように、「今の若者ほど保守的な考えの人間はいない。大きい会社、有名な会社と狙うけれど、君たちが働き盛りの年齢になったころ、その会社が存在しているかは全く分からないのだから、それも考慮して会社を選択しなさい」というお話や、「何も出来ない者ほど、会社や仕事を選択したがって就職しないけれど、出来る仕事から始めて、力をつけていきなさい。力のある人間には社会がほっておかないから」とか、「大学から就職ではなく、フリースクールから就職という変則パターンで仕事をするのだから、職種だけ決めたらなるべく小さな会社に入り、雑用も含め色々な仕事をさせてもらいながら学び、その実績を持って、行きたい会社に行けるようにするのもよし、『この小さな会社を大きな会社にする』という気持ちで働くのも楽しい選択」というアドバイスなど。先生方が実際のご経験を通し実感している言葉だけに、その言葉をどう受け止めていくのかナルちぇりんのこの一年間は目が離せないし、今まで以上に違った方法でしっかりサポートしていこうと考えております。 そんなナルちぇりんが昨日急に真面目な顔をして直立不動になって言ってくれました「上田学園で色々な先生に出会え、色々学んだおかげで、こんな仕事が出来るようになって、『バリバリやっています』と言えるようにします」と。 ナルちぇりんが発してくれた言葉は、世の中の人達に、「こんなにいい学校がここにあります」と、上田学園を知ってもらうにはどうしたらいいかという話し合いを学生達が自主的にしてくれたとき、学生達によって出された「それぞれの学生が上田学園の広告塔になればいいんだ」という結論と同じですが、彼が先輩達と同様に、それを実際に実行していくと言ってくれただけに、彼の言葉には重いものがあります。それをしっかりナルちぇりんから受け取って、新学期に臨んでいこうと思いました。 4月9日から新学期がはじまります。今年の上田学園はどんな生徒たちとどんな信頼関係が築けていけるか、どんな授業をお願いするか、卒業生の重みのある言葉に支えられながら、新学期に向けて準備をしております。
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