●学園長のひとり言 |
平成19年5月16日 無償の愛
親は子供にとって何なのでしょう?子供は親にとって何なのでしょう?そんなことをふっと考えながら、4年前に亡くなった父親のことを思い出しておりました。 「昔のお父さん」の一人であった父でしたから、寡黙でしたが、でもとても優しく、人に威圧感を与えない人でした。そして反抗期のため一から十まで母親に反抗する私を「ちょっと公園まで散歩に行こう!」と誘ってくれ、公園を歩きながら「お母さんは早苗ちゃんが一番可愛いから色々注意するのだから、『ハイハイ』と頭を低くして聞いていなさい」と諭されたりしておりました。 そんな父を母は「お父様はお気の毒。子供が一番可愛い時期に、私たちのために一生懸命お仕事をして下さって、貴方たちと会えたのは夜だけ。本当にお気の毒だったのだから、お父様を一番大切にしてあげなさい」と言い、一見母のお尻に敷かれているように見えていた父親を大切にし、一番大切な決断は「お父様にうかがってみましょう」と言い、父親に許可をもらうようにしておりました。 そんな両親のもと、叱られたり、怒られたり、色々ありましたが兄弟は理解しておりました、我が家の両親の愛情は駆け引きのない愛情だということを。 両親から「これをしたのだから、こうなるべき」とか「これをしてあげたのだから」などという言葉を一度も聞いたことがありませんでした。まして、自分の夢は色々語ってくれましたが、それを私たちに押し付けることはありませんでした。むしろ、私たちが大人になり時間と経済的な余裕が少し出来たころから、近くの大学の聴講生として「源氏物語」を聴講したり、海外からの「民族芸能公演」などを観に行ったり、歴史的建物を見物して歩いたりして、自分がやりたかった勉強などを始め、それを夕食のときに話してくれるのを、何だか嬉しく耳を傾けたものでした。 両親ばかりではありません。この2月に102歳で亡くなられた、小学校から兄たちと一緒にお稽古に通っていたお茶の先生からも、同じような愛情をかけて頂きました。 「子供だから」と、いい加減な応対を絶対なさらない方でした。子供なりに理解できるように、本当に真摯に対応して頂きましたし、先生の言葉や態度にも「私は貴方たちの先生なのだから尊敬しなさい」などとか、「これをやってあげたのに」とか、本当にそんな言葉がまったくありませんでした。 あらゆることを先生の生き様でみせて頂いたように思います。それだけに、私たち兄弟はお茶の先生を親以上に尊敬し、敬愛しておりました。そんな私たちを両親は「よかったわね、そんな先生からお茶を教えて頂けて。親を大切に思わなくていいから、先生のご恩だけは忘れてはいけないし、ご恩返しが出来るように頑張りなさい!」と言われ続けておりました。 私たちの周りにはそんな大人が沢山いてくれたように思います。 「君のご両親は本当に一生懸命君たちを大切にしているので、僕は君たちのご両親が大好きだよ」とよく言ってくださったソロバンの先生や柔道の先生。 「お兄ちゃんたちが帰ってくるまで、おばさんのうちにいなさい」と呼びに来てくれる近所のおばさんたち。 あの人たちは、何処に消えてしまったのでしょうか。 上田学園の学生たちの横顔をみながら、つくづく反省しております。私を大切に育ててくれた両親やお茶の先生、ソロバンの先生、柔道の先生、近所のおばさんやおじさんたち。本当に色々な方々から一杯頂いた無償の愛情のように、学生たちを無条件で大切にさせて頂こうと。そして先人の大人たちがしたように子供たちと接することの出来るチャンスを頂いている自分に対し、改めて「頑張らなくちゃ!」と言い聞かせております。 |