●学園長のひとり言

平成19年5月30日
 (毎週火曜日更新)

頑張らなくちゃ!の再出発


タッチのお兄ちゃんのタッツーが岐阜から会いに来てくれました。

彼はほんの数ヶ月上田学園に在籍していましたが、夏休みで帰省後、彼の母方のお婆さんの面倒を看なければならないとかで岐阜から戻ってきませんでした。但しメールや電話でやりとりだけはずっとしていました。そして去年、何年も離れていた彼の父親の実家の仕事を再開することになりました。

彼は頭の良いとても感性の鋭い学生ですが、他人となかなかコミュニケーションがとれず「淋しい!淋しい!」と言いながらも、それを周りのお友達にも兄弟にも訴えることをしませんでした。むしろなんとなく周りに遠慮し、馴染めないような、馴染もうとしないような雰囲気でした。そんな彼ですが、英語は上手だし、日本語を教えるときなどは別人のようになって「いい日本語教師」として教え、株や新聞の授業でも、鋭い意見を述べて先生を驚かせたりしておりました。

色々な理由で最後まで学園にいることが出来ませんでしたが、いいものをたくさんもっているだけに、出来ることなら上田学園で色々学んで、彼のよさが発揮できるようになってから「上田学園を卒業したらいいのに」という思いを、捨てることが出来ませんでした。

しかし電話やメールで度々話しをし、たまあに学園に顔を出し「先生ありがとう!」と嗚咽をこらえて電車に乗る彼を見送るうちに彼の顔がだんだん変化をしていきました。そしてそれは「仕事上手くいっている?」とか「ご家族とはどう?」等と聞く必要もないほどになっていきました。

いつものように今回もまた、前回よりもっと穏やかないい顔になって現れた彼は、「弟のタッチに本当に世話になったんです。『お兄ちゃん、引越しするのにお金がないだろう?』と言って20万円も送ってくれたんです」と嬉しそうに話してくれました。

人一倍律儀な彼は、そんな弟に御礼も言いたくて休みを利用して東京にやって来たようです。丁度新しい日本語教師養成コースの授業で忙しくしていたためにゆっくり話をすることが出来ませんでしたが、それでも5日間の東京の滞在をエンジョイして岐阜に戻って行った彼を、何の心配もせず見送ることが出来ました。

タッツーの上田学園訪問から数週間、彼の訪問は私の心をぽかぽかと暖かく包んでくれました。そしてその暖かさにホカホカ浮かれていた私に「何がどうなっているの?」と思うようなハプニングがおき、その出来事は「今はまだ暢気にしているときではない、気を引き締めて!」と、自分の至らなさを気付かせてくれ、叱咤激励されたような出来事でした。

誤解されているなと思える日本人観を持った言葉も通じない色々な国で、一人で仕事をしたり、考えもしなかった会社を経営することになったりしながら「お母さんに似て、心臓に毛が生えているし、信じているから心配はしていないよ」と応援してくれていた亡くなった父親のお墨付き通り、チョッとやソッとではメゲナイ心臓を持っていると思っていたのですが、そんな私でもメゲル気持ちがあることに、自分でショックを受けたりしました。

世の中は生きています。想像もしなかったことが起きるものです。それも自分の足元から。そしてその出来事に心の元気が萎えていくのを、「大丈夫?」と自分の心に問いながら一生懸命支えていました。

上田学園は完成されていない人間が、素敵な先生たち、人間的に魅力的な先生たちに支えられ、「何とか自分らしく生きられるようにしたい」という思いで通ってくる学校です。そして卒業するときには自分なりの考えで自分の道をみつけて逞しく社会で生きていけるようになって育っていくところです。

一人一人の学生たちは本当にいい方向に育っています。でもそんな彼らに期待をかけすぎたのか、私が慢心していたのか、反省することしきりです。

心をなえさせた思いがけない出来事は、いい意味で学園のステップアップにつながりそうです。

学生たち自身も、多かれ少なかれ色々考えさせられたようです。「反面教師」の出来事は、彼らに自分の頭で考え状況を分析することを仕向けました。何だか逞しくなったように思います。そんな中、英語のクリス先生から「どうしたんですか?」と質問が来ました。

少し前までは、自分以外にあまり興味をもたず、誰かが発話している間は、自分の存在をそこから消したかのように振舞っていた学生たちが変わってきたというのです。そして誰かが発話するとそれを皆で一生懸命聞くようになり、発話が終わるのを待って全員で、説明不足と思われる部分を先生が理解できるようにフォローするようになったと言うのです。その所為か、急激に英語力が伸びてきたし、学生同士の結束が固くなってきていると言うのです。とてもいい雰囲気をかもし出し始め、今までにないほど教えることが楽しくなっているのだとも言うのです。

確かに体調を崩して休んでいる学生に対しても「なるほどね」と思う“気付き”で心配してくれています。彼らの中では完全に先輩も後輩も「仲間」になったようなのです。

今回の出来事を通して今まで通り、学生たちの耳にたこができるほど言い続けている「批判の出来る人間になりなさい。でも非難はいけない。非難は単なる難癖。批判はそれなりの判断基準があるから論争が出来るが、難癖は感情論にすぎない。感情論は問題をやっかいにするだけだから」と言い、そのためにも今回の問題は理性的にポジティブに考え、色々なことを学んでいこうと話し合いました。そして、どんなときも「信じてくれよ」と頼むのではなく、信じてもらえる人間になるために、まず自分たちが信頼される友達になろうと話し合いました。

自分を磨き、高め、真摯に謙虚に生きようと努力をしている人には、どんな時にも応援し、信頼し、時には殴ってでも「お前は間違っている」と注意をしてくれ、泣いてくれる「本当の友人」に成長する人との出会いがたくさんもてるはずだからとも話しました。

「先生、ゆっくり休んでください」いつになく早く帰る私をハチマキ君たちが温かい言葉で送り出してくれます。上田学園の先生や日本語の先生たち、友人たちが面白い話をして笑わせてくれ、お腹を抱えて笑っています。そしてコーヒー豆屋さんのアンダンテのオーナーが「先生、お疲れのようですね」と言い、お店のドアを閉め「このジャス、聴いたら感激しますよ」と音量をあげてビル・エバンスのピースピースのCDをかけてくれ、音と音の間に流れる“間”のすごさに、心が癒されていきます。

何時ものように時が流れるなか、何気なく心を砕いてくださる方々に囲まれ、萎えていた心に栄養が注入されるような気持ちがしています。寒々としていた気持ちを暖かく包んでくれます。そして「電話でしたが生まれて初めて兄貴と心を割ってゆっくり話しあいました。そして『お互い頑張ろう!』と誓いあいました」と話してくれたタッチの話が心を癒してくれます。どんなことがあってもやっぱり「頑張らなくちゃ」と思います。

今学期から始まった「宗教学」。毎週カトリックの神父様が「キリスト教」について講義をしてくださいます。

キリスト教を調べる担当の門馬ちゃんが「国会の代表質問者も門馬ちゃんを見習ったら」と言いたくなるほど、とても興味のある代表質問をしています。それも、本当に楽しそうに。それを受けて先生役の神父様も「時間のたつのが早くて驚いています」とコメントをくださるほど、楽しそうに一生懸命答えてくださいます。

キリスト教の後に控えている仏教・神道・イスラム教・ユダヤ教。それを調べる担当の各学生も、今から一生懸命本を読んで準備しているようです。

今学期からどうしても取り入れたかったもう一つの授業として、「ライティング」の授業があります。

上田学園の先生方は「生き様」や「生き方」が「素敵だ!」と思える方の中からお願いしますので、今回ばかりは先生が探せず困っておりましたが、思いがけないところで出会ったとても素敵な現役のジャーナリストの方が担当してくださることになり、来週には第一回目の授業が開始される予定です。

どんな問題がおきようと、どんなに気持ちが落ち込もうと、学生たちの毎日はいつものように過ぎていきます。それも昨日より今日、今日より明日と、良いこともやっかいなこともみな自分にあった美味しいジュースに自分でブレンドし、自分の明日のために飲み干しながら。

外見からは絶対頑張っているように見えないけれど、それぞれがそれぞれの方法でそこから何かを学びながら学生たちはちゃんと成長しています。それも彼らの人生の血となり肉となる大切な人たちとの出会いと学びと大切な時間をしっかり共有しながら。

そんな彼らとの「一期一会」を大切に、まず自分のために、そしてそれがいつかワインのように熟し、学生たちの心と体の栄養になるよう、どんな時にもめげずにもっともっと努力をしていこうと考えております。大切な大切な卒業生や在校生と、どんな時にも学生たちに心を砕き苦労してくださる先生たちに負けないよう、私はやっぱり頑張っていきます。

 

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