●学園長のひとり言

平成19年7月11日
 (毎週火曜日更新)

痛み分け


色々な悲しい事件があるたびに、今の人たちは「痛み分け」をしていないように思えて仕方がない。

自分の思うとおりにならない子供を、殺す。でも殺された子供からすると、親のほうが思い通りにならない親かも知れない。離婚問題を抱えた夫婦、「余りにも身勝手だ」と相手を殺傷する。もしかしたら、殺傷された方にとって殺傷した方が身勝手かもしれない。

相手のことを推し量ることの出来る余裕と、推し量ることの出来る「想像力」の欠如。そして、どこかで「お互い様」という思いやりの欠如から起こる問題が、毎日のように新聞紙上をにぎわす。

この問題は大人だけの問題ではない。子供の世界も、同じ。いじめられてどんなに辛いか、想像できないから平気で相手をいじめる。

「痛み分け」
ほんの少し、相手を思い、ほんの少し、自分の思いを横にずらし、相手のためにするお互いさまの「痛み分け」

安く買えることは「嬉しい!」でもチョット高く買うことで売る人にも利益が出るように考えてあげる。品格のあるお金の「痛み分け」

ほんの少し、席を皆でずらす。そしてもう一人分の席が生まれる。ちょっと窮屈の「痛み分け」

「メンドクサイ!」と思わずに、自分の周りに目をむけ、困っている人にほんの少し手を貸す、親切の「痛み分け」

「痛み分け」は「思いやり」。自己主張をするのが民主国家とばかりに、思いやりを忘れ、自分の言いたいことだけを主張する人たちが多くなったと思える昨今。上田学園の学生たちには、ほんの少しの「思いやり」と「気遣い」をしながら生きる人間になって欲しい。例え表面的には「損をした」と思えても。

ほんの少しの「痛み分け」。それがいつか君たちを支える大きなエネルギーに変貌する、ちょっと嬉しい「痛み分け」。せっかく出会った友達と、小さいことから始めて欲しい、ほんの少しの「痛み分け」を。

 

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