●学園長のひとり言

平成19年7月19日
 (週1更新)

どうして・・・なの?


私 :「じゃ、あなたのお母さんが喜ばないことは、何なの?」
学生:「…、挨拶しない。何かをしてもらっても『有難う』と言わない。…親と話さない…」
私 :「え!? それは人としてやるのが普通でしょう? 違う?」
学生:「ウン………?」
毎日のように、こんな会話が学生と私の間で交わされています。

彼には色々な問題があります。勿論、問題のない人など誰もいないので、それはいいのです。ただ、彼も含め上田学園の学生たち全員に気付かせたいのです。問題があろうとなかろうと、この社会で生きていかなければならないのだから、もう少し自分たちの周りの人間に「心を配らなければいけない」ということを。

彼は言います。親の都合を子供に押し付けて感謝を求めるけれど、本当に心から「有難う」と言えることをさせて欲しかったと。じっくり話を聞いて欲しかったと。でもそれはなかったと。だから話がしたくなかったんだと。

彼の話を聞いていてつくづく「親業」の大変さと、淋しさを感じずにはいられません。でも、それを「親の宿命なのかもしれない」と考えることで、納得するしかないのでしょう。

親も教師も同じなのでしょうが、親業も先生業も、子供たち一人一人にどう目を配っていくか。どう愛情を表現し、どう実践していくか。そんなことが大きな問題になると思うのです。それは個々の子供によって、愛情を感じるセンサーに大きな違いがあるからだと思います。

100%の愛情を注いでも心が満たされないと感じる子供と、60%の愛情しか注がなくても「丁度よい」と気持ちよく受け取る子供と、60%でも愛情過多で窮屈で「呼吸ができない」と感じる子供と、本当に千差万別。誰一人として同じではありません。それが例え、同じ親から生まれた兄弟であっても。

親も人間です。判断を見誤ることは、当たり前にあります。まして親のやることは自分の親がやってくれたこと、やってくれなかったことが“サンプル”になって、「自分はこうして欲しかったのに自分の親はやってくれなかったから、可愛い自分の子供には絶対やってあげよう」とか、「親がやってくれたことが一番だったので、自分も可愛い子供のために親と同じことをやってあげよう」とか、そういう思いで子供に色々なことをやっているはずです。しかし、それはあくまでも親の考えで、子供の考えではないということなのです。

愛情のかけ方は本当に難しいし、厄介です。何故ならば、愛情をかけた方には愛情をかけられた方以上に、「こんなにやったのに」という思いが当然のようにあるからです。この思いは、かけられた方の人間、即ち、子供たちには重荷になることが多いようにみえます。

時々思います。親と子、特に母親と息子は恋愛をしているカップルのようだと。息子が逃げる、母親が追いかける。息子が追いかける、母親が逃げる。

私は、何時も学生たちに願っていることがあります。上田学園の学生たちが早く大人になり、親のことを暖かく見守れるようになるといいと。親の愛情を「メンドクサイ!」ではなく、「俺は大丈夫なのに、アハハ・・!!」と笑え、「心配させてスミマセン!」と言えるようになるといいと。そうなるまでの私の役目は、親と子、社会と子供の間の通訳者か翻訳者か、橋渡しの“渡し人”なのだろうと考えております。

そんな私が一番心がけていることは、こんなに愛情を注いでくれている親に対して、学生たちが「勘違いしている」と思えることは徹底的に話し合い、気付いてもらえるようにすることです。特に、自分の周りに“心くばり(配り)”をすることが大の苦手な上田学園の学生たちの第一歩は、親のことからだと考えているからです。

学生たちに言います。昔は子供が悪いことをすると「親の顔が見たい!」と言われたことを。それは、子供の人生は子供たちの親が過ごしてきた「親の過去」という歴史の上に成り立っているからだと。良くも悪くも「親の過去」が生きる土台になっているのだから、その土台を「嬉しい土台」にするか「悲しい土台」にするかは、子供たち自身が決め、彼らの人生の中で証明していかなければならないと。

もし親や社会に不満があり、親や社会の生き方に異論を唱えるのであれば、子供たち自身でいくらでも軌道修正し、「もっと素晴らしい」と信じられるものに変えることは出来るし、そう努力することを忘れてはいけないと。だからといって、親をないがしろにしていいということではないと。

この世で生きられる“決められた時間”という命を削って作り上げてきた「自分たちの過去」という“歴史”の続きを任せてくれる親に対し、感謝をし、頑張るのが子供の当然の役目だと。

君たちの子供たちも、君たちの過ごしていく“未来”を“過去”として、その上に自分たちの人生を作っていくのだからこそ、どんな日も、どんなことも、心から大切にし、自分の未来の頑丈な土台になるよう、慈しんでいかなければならないと。

私は学生たちの通訳者、翻訳者、橋渡し人。そして時々先生、時々お母さん、時々お父さん(?)。一人何役もこなしながら、彼らの成長を見守らせて頂いている幸福な人間。だからこそ、誰よりも心から親を大切に思い、大好きで気がかりなのに、決してその感情を素直に表に出そうとしない学生たち。「本当にこれでいいのだろうか?」という不安と闘い、先生方に助けて頂きながら、今日も頑張って学生たちと話し合っています。「どうして親の嫌がることを、したがるの?」と。

 

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