●学園長のひとり言 |
平成19年8月27日 他人に厳しい現代
97歳の母が毎日のようにニュースを聞いていて「情けない!」「嘆かわしい!」と話すのが朝青龍のことです。 母は言います。相撲は国技なのだから横綱はもっときちんと考えなければいけないというのなら、それに見合った教育をするべきだと。横綱はお相撲が強いのは当たり前なことで、そんなことよりもっと大切なことは、横綱として子どもたちの見本になる品格のあるお相撲さんでなければならないし、品格のあるお相撲さんとはどういう人をいうのかも、誰かがきちんそれを教えてあげるべきだと。それもしないで問題が起きたときだけ「横綱なのに」は酷だと。 「一見日本人のように見えてもね、朝青龍さんはあの時代にヨーロッパまで遠征したほど力のあったチンギス・ハーンさんのお国からいらした外国人なのよ。自分たち日本人が期待した通りに動いてくれたときだけ、朝青龍さんを絶賛するけれど、ちょっと自分たちと違う行動をとると皆で悪く言うのは、日本人の悪い癖ですよ。朝青龍さんはご自分の国ではお国のマナーでちゃんとやっていらっしゃるだろうし、お顔が似ているから言って、国が違うと考え方も礼儀も違うのは当たり前なんですよ」と。そして「それを理解していてモンゴルまでヘッドハンテング(?)に行って日本に連れてきたのでしょう。今回の出来事は全部日本に責任がありますよ。相撲協会に責任がありますよ。朝青龍さんだけを攻めないで、まずご自分たち相撲協会が反省するべきですよ」と。 右目がほとんど見えないため、左目だけで物を見、遠くなった耳をフル回転させながら食欲と好奇心と頑固さをベースに、ヨタヨタしながらでも一生懸命家のことをやり、「自分が正しいと思っても、人様を悪く言ってはいけません」「例え自分が損をしても、人様のお世話ができることを“嬉しい”と思い、感謝しなさい!」を口癖に、母なりにそれを実践しながら毎日を大切に生き、亡くなった父親の後を引継ぎ、上田家の大切な骨董品ならぬ「古道具」として生きている97歳の母親の言うことです。でも毎日聞かされると、何だか納得したくなります。 母ではありませんが、正否はとりあえず横に置いておいて、まず体を治して元気になって同じ土俵に上がってから善悪なり正否なりの決着をつけることが先決だと思うのですが。土俵で正々堂々と闘うことが仕事のはずの相撲協会がそれもさせないで、体裁ばかりを気にしているように思えるのは私だけでしょうか。早急にしなければならないことは、本格的な精神疾患になる前に治療を開始することでしょう。それも一番苦しんでいるだろう本人の意向を尊重しながら。 また、そうは思いたくないし、思えないのですが、例えそれが仮病だとしても、大切な日本の国技の“相撲”の、それも“横綱”。彼の言葉を無条件で信じ、決断を下すことが、“横綱”というタイトルを認めた私たち日本人がすることだと思うのです。そして今回のことを通して、“同じ東洋人”とか“顔が似ている”とか、“気持ちが似ている”とかいっても、国が違うということは同じではないということを、知るべきです。 問題がないときはいいのですが、何か問題が起きると、必ずといっていいほど問題解決のネックになることは、異文化コミュニケーションの問題です。 日本人を国際人に育てたいと希望している多くの教育者や親御さんは、語学の問題ばかりを考え、幼少からの英語教育や中国語教育を開始したがりますし、それがもっとエスカレートすると日本の学校を拒否して、中華学校やインターナショナルスクールに子供を入れたがりますが、そんな環境の親子間には、考え方の違いで朝青龍のような問題が起きることは、覚悟するべきです。そうでなくても親の言葉が子供に理解されない時代になっている昨今、近い将来もっと言葉が通じなくなることは想像に難くありません。その言葉の源は、語学の問題ではなく、考え方にあるからです。その考え方は社会の基盤になる学校教育で育成させられるからです。 今回の朝青龍の問題は相撲協会だけの問題ではないことを、親御さんも社会も気付いて欲しいと思います。それを念頭において、何を朝青龍にしてあげたら一番いいかを、考えるべきです。 誰にでも、間違いはあります。誰にでも、勘違いはあります。そして誰にでも加害者になったり、被害者になったりすることはあるはずです。落ち込んだり、落ち込まされたりすることもあるでしょう。でも、誰にでも敗者復活のチャンスはあると思うのです。殺人を犯し、凶悪犯として死刑を宣告された人間にも、心を悔い改めるという敗者復活のチャンスがあるように。まして朝青龍は人を殺めたわけではありません。 人を悪くいうのは簡単です。他人を敵にするのも簡単です。己を被害者にしたてるのも簡単です。今の日本は、大人の社会も子供も社会も、自分は不完全な人間なのに他人には完全な人間を要求し、他人のあら捜しばかりしている。そんな病が蔓延しているように思えてなりません。 「国際人とは何か」を皆が理解し、本当の意味で国際人を目指していたら、「日本人の俺たちが一生懸命応援したのに、俺たちを裏切った」「日本の国技を汚した」「横綱の綱を汚した」などという、言えば言うほど、言い募れば言い募るほど、自分たち日本人の顔に泥を塗ることになる言葉は、誰からも聞くことはなかっただろうと思います。 朝青龍は日本人ではありません。そんな朝青龍には朝青龍の言い分があるでしょう。 外国人として生活するのは本当に気苦労なものです。例え、それが自分で望んだことだとしても。例え、そこで成功しているとしても。13年間色々な国で外国人をやって、外国人でいることはどんなことかよく分かっているつもりですし、30年以上、外国人を相手の仕事、日本語教師をしていて学生たちを通しても、少しは理解しているつもりです。だから、朝青龍も外国人力士としてつらいことがたくさんあっただろうと想像ができますし、日本の国技である相撲の“横綱”であることも、私たちが考える以上に大変なのだろうということは、想像に難くないことです。 朝青龍に「いい先輩がいたら?」と思います。いい友人が、いい仲間が、いい指導者が、いい助言者が、いい応援者が、そして何よりも本人を一番理解して応援してくれる家族が「いたら?」と思います。そしてそんな人たちが横綱の周りにいてくれたら、きっといつか以前のように笑顔の素敵な横綱に会えるだろうと思うのです。 生きていると色々なことがあります。今回の騒動は相撲協会だけにおきる問題ではありません。日本人同士でも日常茶飯事に起こりうる問題です。勿論私の上にも、そして上田学園にも。 こんなに皆に大切に思われていることが、「どうして分からないのだろうか」。そんなことが、「どうして言えるのだろうか」。そんな考え方が、「どうしてできるのだろうか」。どうしてそこまで「自分を落とせるのだろうか」。そこまで親の顔に泥を塗るようなことが「どうしてできるのだろうか」。どうしてそこまで「無関心でいられるのだろうか」。どうしてそこまで「のん気にしていられるのだろうか」等など、「どうして?」を連呼したくなりますが、でもよく考えてみると、全部自分の至らなさから来る結果であることに気付かされ、ギャフン!と落ち込みます。時にはどっと疲れが出て椅子から立ち上がれなくなることもあります。 でも、普段はあまり自分の感情を表さない現在の学生たちが、何か問題に直面すると、誰を悪者にするのではなく、皆で一生懸命問題の解決をしようとする姿に「こんな一面があったんだ!」と嬉しくなります。そんな学生たちを無条件で大切にしてくださる上田学園の先生の姿勢に自然と頭が下がり、そして年上の部下が出来て大変だといいながら頑張る様子や、子供が生まれたこと、大学卒業に向かって努力していることなど、卒業生から寄せられる近況報告に、例えどんなことがあっても「もう一回頑張ろう!」という気持ちにさせられます。そして「子供に迷惑かけないで生きて、子孝行する」「子孫のために、いい先祖になる努力をする」と頑張っている母親の姿を通して、上田学園の生徒には、今まで以上にそこに存在するだけで喜んでもらえる、「そんな教育をしたい」と、萎えている自分の心に闘志が湧いてきます。前進させられます。 「精神科の先生のご意見に協会が駄目出しをしたようね。モンゴルには帰れないみたいなのよ。お気の毒に」と、今日も母が一生懸命説明をしてくれています。そして「テレビの人たちも少し心を広くして朝青龍の問題を考え、それから記事にするといいのにね。“知る権利がある”といっても微に入り細に入り何でも書いていいということではないし、見方によっては、正しいことも正しく思えないし、正しく理解されないこともあるしね。昔は新聞記者やラジオの人たちは、志高く、あまりゴシップのようなことは書かなかったように思うのよ。ゴシップのような記事を書く人は軽蔑されていましたからね。人の悪口や告げ口は人間として『するべきではない』という教育を、日本中が親からされていましたからね。人様のことは厳しくいう人が多いけれど、人間お互い様。自分のことは自分で正せるのだから両目でしっかり見て反省する。人様のことは片目で見る謙虚さも必要なのにね。天に向かってつばを吐くと、全部自分にかえってきますからね。朝青龍の問題、人道的にちゃんと解決しないと、全部日本人にかえってきますよ。今の世、本当におかしくなったわね。自分に甘く、他人に厳しい。それは逆でしょう?」 我が家の97歳の「朝青龍評論家」の言葉はとりとめもなく続いています。そんな中、ふっと思いました。上田学園の学生たちも例外ではありません。そんなとき、上田学園で出会った学生が、人生の友達の一人になって「強い味方」になっていたらどんなに素敵なことかと。そうなってくれることを願わずにはいられません。 今晩レッツの日本語の先生が約1年間、モンゴルの国立大学で日本語を教えるために出発します。「朝青龍と同じ飛行機かもしれない」と言いながら。そしてこの猛暑の中、母親は家でテレビを見ながら今日も怒っていることでしょう「いつから日本人はこんなに思いやりがなくなったのかしら?」と。 |