●学園長のひとり言

平成19年9月10日
 (週1更新)

支  え


色々なことが起こるのは普通のことだが、本当にこの数ヶ月色々なことが上田学園を試されるように起こった。そのたびに頭を叩かれ「しっかりせい!」と心の中の誰かが叱ってくれる。それでも不安になると耳も目も遠くなり自分に都合のいいことしか聞かないようにしている、孟母には程遠い、猛母に愚痴る。

「まあよかったわね、苦労することはいいことよ。貴女はこの私の子供。そのくらいの苦労をしてやっと人様の気持ちが分かることが出来る程度の人間だから、本当によかったわね」と喜んでくれても、間違っても「苦労して大変ね」などとは言ってはくれない。そしてそんな言葉に反発心も起きず「そうなのよね」と、痛く感心する自分がそこにいる。

ふっと「もう上田学園をやめようかな?」という思いが頭をよぎる。「また海外で日本語でも教えようかな?」という思いに囚われる。そして眠れなくなる。何回も夜中に目を覚まし、家の中を歩き回る。そして自分の心と向きあう。「本当にやめてもいいの?」と自分に問いかけながら。

「先生に手紙を書いて出そうと準備している間に子供が生まれました。藹春(あいはる)と言います」と沖縄にいる卒業生の野呂田君から手紙がくる。そして奥様の昭子さんからも写真が送られてきた。どこかでいつか会ったことのあるような、なんだかとても懐かしいような気持ちになる可愛らしい藹春君の写真が。そして只今浪人中の大ちゃんのお母さんからも、8月に受けた高校卒業認定資格試験の結果を知らせてくださる。「数学はお父さんが大に教えると言っていますし、本人も頑張っています」と。

敬老の日に60歳の誕生日をお祝いする井の頭自然文化園の“象のはな子”。そのはな子について学生たちがつくったドキュメンタリーを上映させて欲しいという園長の永井様のお申し出。

色々な条件をクリアーしながら学生たちが一致団結して、今回の催し用に映像の編集をし直している。それも自分たちの損得ではなく心から「象のはな子」を通して“平和の尊さ”を知ってもらいたいという思いと、「フリースクール上田学園だから」とゾウ舎の中に入っての撮影まで許可を下さり、その上お忙しい中、何かと御協力下さった井の頭自然文化園の飼育係の皆様や、インタビューに快く答えてくださった関係者の皆様に、心からの感謝の気持ちを伝えたいという一心で。

「こうやったらおっちゃんの絵が生きるし、動物園の方も喜んでくださるんじゃないかな?」などと「象のはな子」の絵本の挿絵を見ながら楽しそうに、でも忙しそうに先生と打ち合わせをしながら動き回る学生の一人ひとりを見ていてつくづくと思う。「こんなに素敵な先生や生徒たち。そんな生徒たちが織りなすこの空間。絶対やめられない、上田学園を」と。

ふっと思う「上田学園の生徒になりたいな」と。

上田学園をつくったばかりのころは、よくそう思っていた。学生たちの横で仕事をしながら聴くどの先生の授業も面白く、こんな授業が受けられていたら、また今とは違う人生が歩めたろうと、学生たちのことがうらやましかったことを思い出す。

先生や色々な方々に助けられて10年目を迎えようとしている上田学園。いいことも悪いことも含めて、それが上田学園だ。これまでの一日一日を考えると、どの一日も愛おしいし、感謝の一言でしかない。今日潰れるか、明日潰れるかと思いながら、よくここまでやってこられたと胸がいっぱいになる。

卒業生も在校生も、どの生徒も全部可愛いし、愛おしい。大切だし、もっと大切にしていきたいと思う。そしてこんな素敵な先生方、尊敬せずにはいられない先生方と結んだ縁を放棄したくない。やっぱり「前進していきたい!」と思う。

「母親が今、祖母のことで大変なんです」と、卒業生で大学に行きながら土曜日だけ聴講にきている藤チャがいろいろ話してくれる。その話を聴きながら、この間まで親の心配の種だった藤チャなのに、今は親をしっかり支えている事実に、成長することの素晴らしさを改めて気付かされる。

「先生、就職決まりました」そんな報告がナルチェリンから来る。動物の本を主に出している出版社だという。彼の報告の電話を聴きながら心が震える。「よかったね!よかったね!」と“良かった”という言葉しか出ない自分がもどかしく感じられる。

「ヒェ!なに?あそこの出版社に入ったの。来年、ヒラノッチが卒業するときに勧めてみようと思っていた出版社よ」と、リサーチの先生。

十三中学卒業の彼が電通の二次試験までいき、リクルートの三次試験まで行ったことはいい経験になっただろうし、その後、何度試験を受けても合格せず心細かっただろうが、それでも自分の作った企画書と一緒に入社試験を受け続ける彼に、「大丈夫だから、頑張ってね」という言葉しかかけられなかった。しかし、一次も二次も、彼のインタビューをしてくださった方がナルチェリンに言ってくださった言葉を聞いて、チョッとユニークで癖のあるナルチェリンだが、彼のよさが発揮されそうな環境のように思われ、その出版社に決まったことが嬉しく思える。そして「ちょっと心配なんです」と心弱げに訴えるナルチェリンと「謙虚に、でも頑張って、喜ばれる仕事が出来るように努力しようね」と話し合った。

誰にでも支えが必要だ。今の私の支えは学生たちであり、楽しい授業をしてくださる先生たちであり、卒業生たちであり、個人の時間も潰して一生懸命雑用仕事を手伝ってくださる日本語の先生たちなのだ。その方たちへの感謝も含めて、やっぱり自分の心と闘っていこうと思う。

「先生、父親と話してください!」
朝一番、家業を継いだタッツーから電話がかかってきた。そして電話の向こうで、悲鳴のような声で「上田先生と話してよ!」とお父さんに頼んでいるタッツーの声がした。

タッツーにとても似ているが、でも何とも素敵な男性の声が電話の向こうから聞こえてきた「始めまして、息子たちがお世話になっております」と。

「お父さんは横暴で、大嫌いなんです」と言いながら「大丈夫かな、健康が心配です」とかいうタッツー。本当は父親が大好きなのだ。でもコミュニケーションをとることが苦手な彼は、父親に対し、どう自分の気持ちを表わしていいのか分からないのだ。そして父親はもうすぐ30歳になる彼が一人で社会で生きていけるようにと、男として色々仕事上のことを注意しているのだ。

タッツーは甘え足りないのかもしれない。人と上手に付き合えない自分をどう表現していいか分からないのだろう。そのことをお父様とお話しした。そしてタッツーに電話を換わってもらい話をする。

「先生分かりました、有難うございました。・・・この電話を切ったら父親から小言だな」と、明るい声が返ってきた。ホッとする。

ふっと次兄のことを思い出す。父親に一番似ていた次兄は何時も父親に反発し、口を開くと「お母さんは?」だった。でも結婚し、家を離れてから来る電話は、家族が笑うほど「お父さんは?」だった。そして父親が電話に出ると「オヤジ、早苗ちゃんにいじめられているか?」と言い「頑張れよ!」とヘンなエールを送っていた。

父親が亡くなり、父親の遺言どおり「献体をする」という段になったとき、泣きながら最後まで「オヤジがかわいそうだから」と嫌がっていたのも次兄だった。そして献体の車が遠くに走りさるのを大きな声で「オヤジ、頑張ってこいよ!」と泣きながら手を振って車のテールランプが見えなくなるまで見送っていたのも次兄だった。

タッツーも同じなのだろう。きっといつかタッツーの気持ちが通じるし、お父様の気持ちもタッツーに通じるだろうと信じている。

誰にでも支えが必要だ。それは誰が誰をではないのだろう。お互いに支えになれるのだろう。そのためにも、私はもう一度上田学園を原点に戻し、頑張るつもりだ。先生や学生たちに助けてもらいながら。そしてそんな気持ちにさせてくれた今回の色々な問題に、今は心から感謝している。再び、お腹に力がみなぎってくるのをじっと待ちながら。

 

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