●学園長のひとり言 |
平成19年11月22日 初体験
創立11年目にして初めてフリースクールやサポート校の集まりに参加した。これはある出版社の呼びかけによるものだった。 不登校、ひきこもりなどに対応する高校、大学、塾、フリースクール、サポート校、留学センター、カウンセリング関係の39団体40数名の方が一同に集まったのだ。 正直、出席するまで「私が参加していいのだろうか?」と考えた。それは「団結して子供の権利を勝ち取ろう!」などという集まりになったら「どうしよう?」とチョッと考えたからだ。随分前なので正確には思いだせないが、今回と同じような会への参加を呼びかけられた。 その会は、不登校になるような子供が生まれるのは、社会や先生や学校が悪いのだから、子供たちには「貴方たちはそのままでいい。社会が悪いし、大人が悪いから、社会のいうことは聴かなくていい」と言い、「不登校の子供たちを社会は認めるべきだし、不登校の子供の権利を守るために団結しましょう」という趣旨だったように思うが、当時私も同じように「貴方たちはそのままでいい」と言っていたはずなのに、この集会の趣旨に何とも抵抗を感じ、学生たちに私の意見を聞いてもらい、皆で話し合い、参加を取りやめたいきさつがあったからだ。 学生たちに常に望むことは、立ち止まって考えてばかりいないで欲しい。歩きながら考えて欲しいということだ。勿論立ち止まってじっくり考えなければいけないときは長い人生の中に必ずあるが、しかし彼らの年齢は、じっくり考える基礎的材料がないのだから、今はタダタダ一生懸命考えた結論を一生懸命実践していれば、次のステップに自然に行くようになる。そのときは、軌道修正をおおいにしたらいいと思う。よかれと思って実践した結果、それが自分に合わないと知ったからこそ、それをやめて次のステップに行こうとするし、行かなければと思うのであり、それが自然なことだと思う。 世の中が貴方たちを認めてくれなかったからといって、世の中を怨むのはお門違い。世の中が、貴方たちを認めたくなる人間になればいいだけだのことだから、立ち止まって空想の世界や、人を悪くいうことで自分を維持するようなそんな無駄な時間の過ごし方だけはして欲しくないと、ずっと考えている。 上田学園でやってきたことには自信がある。「やっぱりこれでよかった」ということが度々ある。とは言っても100%とはいえない。何しろ個々の学生は全員違う人間だからだ。全員に同じことが出来るかというとそれは出来ないし、全員を同じ考えで理解していいかというと、個々で全く違うから個々に標準を合わせて、悩み、苦しみ、考え、相談し、情報を集めなおし、探り探りしながらしか答えが出せないことが多いからだ。むしろ答えがみつかればラッキーと思えることがたくさんあるのが現実だ。ただ有難いことに、今のところその結果、それぞれの学生が自分で考え始め、フリーターになることもなく大学に就職にと、自分の進路を自分で見つけ、卒業していっている。それは、おのおのが自分のレベルで納得する人生をスタートさせているということだろう。 今回の集まりは、名刺交換会であり、情報交換会だということで参加させていただいた。 参加した皆さん、とてもいい方たちで一生懸命なのだが、私はこういう会がどうも苦手なようだ。 参加した皆さんが自己紹介を兼ねて5分間くらいのスピーチ。どの方もどの方も、どれだけ自分の学校が素晴らしく、高校認定資格や大卒の資格をとらせることがどれだけ有益で、日本の学校を選択させるより留学させることが最高にいいことで、英語で教育することがどれだけ素晴らしく、それが社会からどれだけ評価され、本を出したりテレビに取り上げられたりしていることなどを、一生懸命お話くださった。そんな中、ドキドキと自分の話す番がくるのを待っていた私は、何時ものように上田学園の設立理由、自分の人生を終えるとき、人はどうであれ「自分は一生懸命やった、満足だった」と言って自分の人生を終えて欲しいと願って設立したこと。教師陣は全員社会人で、教育をするのでなく体感させる即ち、自分の皮膚で感触をつかみ、自分の頭で考えられるようにして欲しい。そのために先生の生き様を見せてくださいとお願いして授業を受け持って頂いていること等をお話した。 外から見たらそこらへんにいる単なる小母さんであり、一フリースクールの主催者でしかないのに、他の関係者の間ではなんの根拠もないのに異邦人に思えるのは何故なのだろうかと、自分の気持ちを一生懸命見つめながら他の方々のお話を伺っていた。そしてふっと思った「これなのかもしれない、学生たちが色々な所で何かその場に入り込めないと思う感じは」と。この違和感を払拭するにはどうしたらいいのかと、考えた。もしかして私は「スノッブ?」。でも何を根拠に「自分はそう思うのだろうか?」もしかして「自信がないのかな?」などと、色々考えていた。 やたらに疲れて帰途についた私は、ずっと学校に戻るまで考えていた「どうしてあんな気持ちになっていたのだろうか」と。そしてとっくに授業の終わったクラスで宿題をしている学生たちの様子に、何ともホットした気持ちにさせられた。そして気付いた「ああ、そうか!」と。 人間は親子であっても同一人間ではない。それが示すように万人にぴったり当てはまる学校は、ない。それは学校だけではない。仕事も結婚相手も、洋服もだ。だからこそ、それに味付けし、自分流にアレンジして自分にフィットするように作り変える力が必要になってくる。それを学ぶのが上田学園だ。 上田学園は留学を勧める学校でもなければ、英語が話せれば人生がばら色とも考えていないし、資格がとれれば全て問題が解決するとも思っていない。どこの学校を選択したとしても、どんな企業に入ろうとも、どんな社会で生きていこうとも、自分に100%ぴったりするところはない。それを自覚した上で、個々が選択し、選択した責任として個々で自分流に微調整していかなければならないし、その力がなければ、英語が出来ようと、資格があろうと、学ぶ場所を海外にしようと他の職場にしようと、例え一時的に問題が解決したように見えても、“問題の先送り”が出来ただけで、実際はなんの問題も解決できてはおらず、どこかでその問題が再燃する可能性があると考えている。 だからこそ上田学園では、自分の来し方を振り返りながら、「生きる」ということへの根本的な考えや問題をどう解決するのかを、株・日本語・異文化コミュニケーション・リサーチ・ライティング・旅行企画・表現などの授業を通して学んで欲しいと願っているのだ。結果、自分の生き方が決まり、それに沿って大学へ、就職へと学生たち自身で自分の人生の選択を始めたときに、上田学園の授業で学んだことが実践の場で大きなサポートになるのは、グリコの“おまけ”みたいなものだと考えていている。“おまけ”はあくまでも“おまけ”であって、決して“おまけ”がメインに昇格することはありえない。だからこそ出来たら近い将来、教授と学生が丁々発止と渡り合えるような“おまけ”がメインになる大学を創りたいと考えているのだが。 全体的には参加者の皆様のお話が理解できたが、なんとも理屈ではない感覚で違和感を覚えた初体験のこの集い。だからと言って無駄ではなく、色々な方たちを知り、色々なお話が聞け、そして中には「面白い」と思える考えを持つ方たちや学校にも出会えた。そして一番よかったことは、高校認定資格がとれたり、海外の高校や大学に入れるという保障がある団体には、無条件で学生が集まってくるということも再確認させられた。だからこそ、大きな団体は「資格」をセールスポイントにしているのも、改めてよく理解できた。が、上田学園ではそれをせず、資格を欲しい学生たちには今までどおり、資格がとれる学校にお願いしようと改めて思ったことだった。 つくづく思う。私は気が強い人間なのかもしれないし、天邪鬼な人間なのかもしれないと。そんな自分に気付いたのは本当に最近なのだが。 上田学園を設立するとき、色々考え、色々特長のある学校を調べたりしたが、その中で最後の最後まで変わらなかった考えは、学校は就職を有利にするために行く場所ではなく、人生を豊かに過ごすためのものであり、自分の人生を終えるとき、「一生懸命やった、満足だった」と言って、人生を終えられる人になって欲しいということだった。それと同時に、学生集めのために例えば、実力の伴わない紙の上だけの“資格”だとか、使いこなせない立派なコンピューターや色々な機材を揃えて、学校を豪華に見せることだけは「しない!」ということだった。 21世紀は年齢・学歴・経歴などに関係なく、生まれてはじめて体験している世紀だ。せいぜい21世紀の先輩としては、人間でいったら5・6歳の体験しかない。先人の知恵は20世紀以前のことで、それをどう自分に役立てるかは、その力がない人間には役立てられないだろう。 21世紀がどのような世紀に育っていくのかの予想は出来ても、「こうなります」とは100%断言することは誰にもできない。それだけに、どんな世の中になっても、どんな環境になっても、自分の頭で考え、判断し、納得した行動がとれる人間になってもらいたいと思うし、そのために、自分で問題を見つけ、自分で考え、自分で問題を解決するだけの力をつけて欲しいと考えている。またその解決した問題から何かを学び、応用し、次のステップに役立たせることの出来る力が育つことを願っている。そのために上田学園が出来ることは、失礼とは重々承知で、先生たちの人選に重点を置くことであり、スポンサーである親の意向も大切だがそれ以上に大切な学生たちと、まず真摯に付き合うことを第一にしているのだ。 経営者としては、自他共に認める落第生だろう。だけど、上田学園は学園らしく資格や豪華さで競う学校ではなく、学生たちが自分の頭で考え、しっかり社会人として巣立っていくことを、従来どおり応援していく学校として運営していこうと思う。 ハイリスク・ハイリターン。ノーリスク・ノーリターン。ハイリスクを選択している上田学園。でも毎日学生たちから返ってくるハイリターンに泣いたり笑ったり。生きていることを実感させてくれ、年をとることをストップさせてくれ、枯れそうな脳みそを使い残しがないようフル回転させてくれている。これぞ正に学生たちがプレゼントしてくれている今流行りの“高級アンチエイジの無料クリーム”。初体験を済ませた今、「頑張ります!」いつまでも若くいられるように。
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