●学園長のひとり言

平成19年12月26日
 (週1更新)

黙っていることは、失礼!

 

今年の4月から入学した根もっちゃんが新記録を樹立。毎日学校に来れるようになっている。

心根が優しくて、清楚で素直な、素敵なお嬢さんだが、ちょっと体が丈夫ではない。過呼吸や喘息など色々ある。

千葉の実家を離れて学校の近くに部屋を借りて一人住まいを始めたのだが、1・2週間で実家に戻り、それから体調を見てお母様の車で千葉から通ってくるようになった。でも、常に体調が悪くなるのではという不安があったようで、心配そうだった。そんな彼女に、人生は長いし、焦る必要はないので、まず自分の体調と上手に付き合って、どう社会と接点を持つかを学んで欲しいし、そのために、出席率にこだわることよりもこの1年間で、まずどう自分の体調と向き合い、どう自分の体調と付き合いながら授業に出られるようになるか、それを自分のペースでつかむことを目標にしてやってみるようにと、話をした。

体があまり丈夫でないということは、事実だ。その事実を踏まえて、でも「何が出来るか」「何をしたらいいのか」と考え、しっかり自分らしい何かをつかんで欲しいと願っているし、同時に「お母さんの送り迎えを1日も早く卒業して、素敵な“アッシー君”をみつけなさい」と提案している。そんな提案をするたびに、ニコニコと素敵な笑顔で答えてくれた。そして少しずつ授業に出る回数が何気なく増えてきて、いつの間にかほぼ毎日出席するようになっている。それと同時に自分で気付かずに他の学生から大きな影響を受け、また他の学生にも大きな影響を与えるようになっている。

最近の彼女は分からないことを「分かりません」と言い、先生に一生懸命質問をするようになっている。多分、前の彼女だったら他の学生たちと同様、黙っていただろうと思われるようなどんな小さなことにでもだ。そんな彼女の様子を遠くから眺めていて嬉しくなる。このままやっていけば彼女は“大化け”して、成長をはじめるだろうことが予想できるからだ。

素直な彼女には、いい友達がいるようだ。そんな友達の話をチョクチョク聞かせてくれる。友達に感謝していると言う。そしてその友達から励まされ、刺激を受け、日一日と元気になり、病気をする前の彼女に戻っているようだ。そんな彼女の素直な性格は、人生の大きな応援団。その応援団を大きな味方にして頑張り始めた彼女に、一番変化したなと感じたことを質問してみた「どうして何でも質問出来るようになったの?」と。

彼女の答えはこうだった。「いつだったか、株の先生が他の学生に対して本気で叱って下さっているのを聞いていて気がついたんです。知らないことや分からないことを黙っているのは、こんなに一生懸命教えて下さっている先生に対して、とても失礼なことをしているんだなと。それに自分に対しても。まして分からないことを分からないと声に出さないと、自分は何が分からないのかも、分からないことが分かったんです」と。思わず「すごい、すごい!それに気付けたら大きな第1歩!」と言いながらパチパチと手を叩いた。

彼女の意見は当たり前なことなのだが、それがなかなか言えないことが我が上田学園の学生たちの大きな問題であり、この学校に入ろうか入るまいかと悩んでいる学生たちの大きなハードルのように思う。何しろ学校は勉強が出来て、答えが簡単に解けて、そして先生がほめてくれる。そのために行くところと勘違いをしているからだ。それも親子で。

「うちの子供には無理ですよね、上田学園の授業についていくのは」とか、「うちの子供には無理ですよね、こんな高度な勉強なんか」とか言う親御さんの多いこと。またその言葉を受けて子供自身も上田学園で勉強することを躊躇してしまう。そのたびに「分からないから、勉強するのに」と言いたくなる。

学校は、理解出来ないから、分からないから、学びに行くところだ。だからこそ「理解出来ない」「分からない」ということを先生に伝え、教えを請い、理解できたことを土台にして次の分からない点を、恥をかきながらも「こうじゃないか?ああじゃないか?」と推測して、自分でも答えを見つけられるようにする訓練の場なはずだ。

勉強だけなら家庭で出来る。親や兄弟が教えることができる。事実上田学園でも高校卒業認定資格をとりたい学生に、他の学生が授業の前後に1・2時間ずつ2・3ヶ月教えただけで、合格している。しかし、親や兄弟が出来ないのは、家族以外の社会で通用する人間関係や交流の仕方を学ばせることだ。その学びの場こそが学校だ。その第一歩が、理解できないことを「理解できません」とか、分からないことを「分かりません」と口に出し、教えを請うということだと考えている。

今の小中学校は学校の機能を果たしていないとよく言われるが、確かに義務教育は基礎学力を身につける過程で起こる色々なことを通して人との交流の仕方、学ぶ姿勢、教えを請う姿勢、助け合う姿勢などを学びながら、自分の頭で考え解決する姿勢を身につける場のはずが、それを学ばせる以前に、学校の勉強が分からなければ「塾で聞くからいいや」となり、人間関係は「メンドクサイ!」になる環境を学校も教師も容認しているように見えるので、頑張って一生懸命教育をしている先生たちには申し訳ないが、「学校の機能を果たしていない」と批判されても仕方がないように思う。

現在の子供たちは大学で勉強がしたいかしたくないかに関係なく、小・中学校へ通う感覚で、単に「行くところ」と考えている。そして大学さえ出れば就職が出来ると考えている。それも自分の理想とする就職が何なのかも分からないのに、ただ大人が考えた漠然とした理想通りの仕事ならぬ“会社”。即ち、見てくれのよい有名な会社で、給料がよくて、有給休暇がたくさんあり、人間関係もうるさくないという会社。そんな子供たちの考えに拍車をかけているのが、親達だ。

例え経済的に親が大変でも、大学さえ出てくれればその後の子供の人生は何とかなると考え、そのためにも大学へは行くのが“当たり前”。勉強する意欲がなくても、大学で勉強する目的がなくても、なんの疑問も持たず、「とりあえず」を合言葉に、偏差値から逆算し、入れる大学の中で一番名前の知られている学校の、一番入学可能な学部の選択を勧め、その後押しをする。

世の中、恵まれた人たちばかりではない。色々な人たちがいる。色々な理由で義務教育を終えたら働きに行く人もいる。そんな人たちは学校の中では聞いたこともないような言葉や状況に出くわし戸惑い、その中で社会を教師にして怒鳴られ、叱られ、注意されながら、それらを薬味にして、一生懸命学んで美味しい大人になっていく。まさに実践練習だ。そのとき親が「うちの子には無理ですよね、こんな仕事」とか「うちの子には無理ですよね、こんな高度な仕事」などと言うことは出来ない。仕事をしている年齢・学歴・経歴・性別、そして育った環境も全く異にする人たちと一緒に、同じ仕事を自分の出来る範囲から始めて、覚えて行くしかないのだ。理解できてないことや、分からないことを「出来ません」「分かりません」「教えてください」ということを口に出さずに仕事などは、出来ない。それこそ、一生懸命仕事をしている人に失礼になるし、果ては他の方たちの生活まで壊すこともある。

分からないことを「分からない」と伝えて教えを請わないことは、一生懸命教えて下さっている先生に「申し訳ないし、自分にも申し訳ない」と気付いた根もっちゃん。日毎に元気になり、若いお嬢さんらしくはつらつと輝きだしている。そんな彼女を見て他の学生たちも素直に分からないことを「分からない」と言い、「ここからどうやっていいのかしら・・・?」と戸惑う彼女に「俺もそうだったから、大丈夫だよ」と励ましあいながら、彼女が毎日授業に出られるようになったことを喜び、忘年会に大掃除にと身体を動かすことをいとわず、むしろ率先して働いてくれる様子に「裏表なく真剣にやってくれますね」と感嘆している。

学生たちは日々、自分のことを通してまた他の学生たちを通して色々なことを気付かされている。学んでいる。考えさせられている。そして不思議なほど変化を遂げていく。それもある時は大変化を。ある時は気付いたら変化を始め、気付いたらその変化が加速しはじめて、あれよあれよと変わっていく。正にどの一日も重要な一日であり、意味のある一日が確実に過ぎていく。

今年最後の授業が昨日終わった。皆でしゃぶしゃぶを食べながら今年の授業納めを笑いすぎて(多分)、鼻血を出す学生までいる中で終えた。そして今日、12月26日。学生たちは色々意味で御迷惑をおかけしたり、お世話になっている御近所に御挨拶に行き、それを以って上田学園の今年が終了する。その後、アルバイトに行く者、帰郷する者、1月8日からのヨーロッパ添乗員のアシスタント研修の準備で先生の事務所に行く者と、それぞれがそれぞれの冬休みの活動を開始する。たった10日間の休みだが、その10日間でどんな体験をしてくるのか、どんな人たちとの出会いがあるのか、2008年最初の授業日の1月8日に会うのを今から楽しみにしている。

 

 

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