●学園長のひとり言

平成20年03月24日
 (週1更新)

自給率40%

 

喧々諤々いろいろ議論された食品輸入問題も、予定通りに根本的な問題を解決せず、何となく沈静しそうな様子を見せている。しかしこの問題は予想通りに収めてはいけない問題だと考えているのは、私だけだろうか。

こんなことを言うとお叱りをうけるだろうが、何か問題が起きるたびの定番通り、日本政府は日本人のために納得のいくような動きをしない。「人道的立場で」とか「穏便に」とか、日本人独特の言い回しで「世界から非難されないように」と、日本国内の出来事と同じような扱いで曖昧に処理しようとする。その曖昧さが一番海外から顰蹙を買い、軽んじられる原因になっていることも気付かない。

相手が日本人ではなく、言葉も考え方も、価値基準も違うということをどこかで置き忘れたように、まるで日本人相手のように「貴方も私も善い人」という前提のもとに対応する。立場によって「善い人」の基準も、考え方も変わるのに。もうそろそろ日本政府も日本の利益のために是非、諸外国の政府と丁々発止、議論できるきちんとした考えで政治を動かして欲しいと願わずにはいられないし、また、それが出来る政治家を日本人は育てなければいけないと痛感している。

ふっと思う、「義務教育も40%の自給率だ」と。
60%は塾だとか家庭教師だとか海外の学校だとかに依存している。もしかするともっとかも知れない。先進国の中で日本の教育の自給率は最低だろう。

学校が終わったら塾に行くのが「当たり前」。そんな「当たり前」に、担任教師は何も言えない。学校も「学校の勉強をきちんとしていたら、受験でも何でも大丈夫だよ」とは言えないことを容認する。普通に小学校や中学校で学んだことだけでは受験に対応できないからだ。だから、塾とタイアップするような学校が出てくるのだろう、まるで「我が校の先生は無能なんです」とでも言っているのかと勘違いしたくなるように。そのために、その年齢で考え、自分で学んでいくという姿勢をすっとばして何しろ受験に間に合うようにと、暗記競争のような授業を進める。それだけでは終わらず、塾で受験のテクニックを磨かせる。そのどこに、もどうあがいても一生涯で唯一回しか経験できない大切なその年齢を謳歌し、その年齢で一生懸命考え、悩み、そして答を出すような「教育」は、しない。そんな教育をしないことに、教育者が疑問を持たない。例え持ったとしても「受験、命!」の先生や親に潰されてしまう。

色々な理由で上田学園を選択して入学してきた上田学園の生徒たちにも、自給率40%の功罪が目に付く。

暗記や教師が欲しい答を出すのは上手だ。暗記物は、このページの右にあったこんな絵の黄色の部分のチョッと下の何行目に答えがあったと、ビジュアルで覚えている。「こうやれば、この答えがでます」と言われると、簡単に出す。しかし、自分の頭で考えさせられていないから「どうしてこの問題が起きたのか」「どうしてこれが問題になっているのか」「どうしてこういう答えが出たのか」など、「どうして」と「何故」は考えられない。だから、「どうして」と「何故」を追求される授業は「どう答えを出していいか分からない」と、新入生ほど、嫌がる。

普段から自分で考える癖のついていない学生たちは、不満もやりたいことも正確に相手に伝えられない。伝えられなくて、「じゃ、それを伝えてみたら」という助言に後押しされ実行してみても、相手から何か答えが帰ってくると不満があっても納得しなくても、「一応言ってみました。問題解決です!」と終わらせてしまう。返ってきた答えを自分なりに料理して食することは、しない。答えをもらいっぱなしにすることに慣らされているので、もらいっぱなしをしていることに気付いてもいない。でも、なんとなくもやもやして、そのもやもやに何となく慣れることに、慣れている。

「世界で一番子供に勉強をさせる国、ニッポン」また「社会で一番役に立たない勉強をさせている国、ニッポン」。そんなタイトルを諸外国から頂戴して久しいが、学校法人を選択しなかったフリースクール上田学園だけは「実になる教育を」と考えているのだが、これがなかなか難しい。

「あの先生は、自分たちに何を学ばせたいのか理解できません」という不満が生徒たちから出た。それを聞いて、上田学園の先生たちは普通の学校の先生とは違い仕事をしている先生方。色々な経験も雑学もある。世の中の動きもしっかりつかまえていて、どんな問題も単なる“机上の空論”では終わらせないだけの力のある先生方。だから「しっかり質問しなさい」。「知りたいことをぶつけなさい」。「学ばせて頂けるものは何でも学ばせて頂き、自分のものにしなさい!」と、叱咤激励した。

そんな話し合いの中で、先生に質問したいとき、先生が質問をスルーするという話になった。そして彼らが「質問したいとき、レットカードかイエローカードを出そう」という提案がなされていた。そんな彼らの話を聞いていて「うん?」と思い「中学校や高校のとき、先生に質問するとき手をあげて『すみません、質問があるんです』とか『ハイ!』と手を上げて質問するということがなかったの」と聞いてみた。

一人の生徒を除いて「なかった」という。その理由は、質問すると授業時間(?)が少なくなるから、授業中の質問は禁止。例え質問禁止をしない先生のクラスでも、他の学生が「俺の時間を盗るのかよ?」と言って嫌がったので、質問はしなくなったというのだ。

生徒たちの話を聞いていて、「これじゃ授業を外注したくなるわけだ」と、変に納得してしまった。でも、もったいなさ過ぎる。せっかくの学びのチャンスを「時間が足りない」と潰してしまう今の教育現場。その時間があったら「答えを暗記しなさい」と言う先生方に、異論を唱えたくなる。答えのあるものは、先生がいなくても自分で学べる。先生がいるからこそ学べることを学べてはじめて、学校に行く理由や、先生の存在価値があるのにと。

答えを暗記するより、質問をするときの仕方、聞き方などに人間社会で,生きるうえで,大切な学びがそこにはたくさんある。また、生きていくうえで大いに役立つ知恵の種が、そこにはいっぱい落ちている。それをわざわざ踏み潰してしまう。

直接注意されたり教えられたりするより、他の学生が注意されたり教えられたりするのを見ている方が、不思議に自分の分からないこと、至らなさに気付かされたりと、それが貴重な学びになるのにと思うのだが。

教育現場は、受験に関係しないことを安易にとらえすぎていると考えるのは、私だけだろうか。学校だからできること。他の人がいるからこそ出来ること。それをするのが教育現場だと思うのだが。「先生から生徒」という一方通行の授業に何の疑問も持たない先生や親たち。勉強をさせる意味をもう一度考える必要があると、考えている。

ここ数週間。色々な意味で世界の中の日本を意識していたが、つくづく思う、日本人はもっと賢くならなければいけないと。そしてせめて生きる糧の食料と知恵は自分でまかなえるようにしないといけないと。それをしないと、出生率の関係で労働人口が減少するのは既成の事実であり、そのために単純労働に関しては外国人労働者が入ってくるだろうし、人間と同じ働きをする精巧なロボットが造られ、そのロボットに働く場所をとられるだろう。そのときに日本人が生き残れる方法としては、長年英国の大学や専門学校のAO入試を担当しているロンドン在住の佐藤先生の御意見ではないが、Craftはもちろんだが、今まで以上にIdeaで勝負することだろう。そのためにも、今以上に基礎学力をつけ、想像性豊かな応用力のある学生を育てることが、教育の一番重要な課題になるだろう。

応用力は、頭でっかちの知識だけでは決して育たない。人の話を聞く能力と、自分の話を聞いてもらう能力。即ちコミュニケーション能力が大きく影響する。そのコミュニケーション能力は人間社会で息をさせ、感じさせる。即ち他者に興味をもてる人間。本当の意味で自分を心から愛しめることの出来る人間に育てることが、家庭教育、学校教育の現場に求められる本当の意味での、一番の課題だろう。

私たち大人は今何をしなければいけないのかを、きっちり見極めたい。それは今の教育は過去の教育の上に成り立っている。その教育で育った人達が日本の未来を作ろうとしている。そのリーダー役の政治家の人達は、お互いの揚げ足とりをするだけで、何の発展性も議論にもならないことに時間をかけ、自分たちの利益ばかりを優先しているようにとしか思えない。そんな政治家しか選べない自分たちの責任をしっかり自覚し、個々の第一歩から日本の流れを変えていく努力をしなければいけないと、心から思う。それが子供たちの未来を左右するからだ。

上田学園も今日で一応終了する。卒業式ではなく「旅立ちの会」のパーティーが在校生の手で今晩行われる。そして来週から新学期の準備開始だ。

新しい先生も増え、また超多忙な新しい先生候補者の方々とのスケジュール調整も始める。そんな先生方から大きな影響を受けながら、上田学園の学生たちが自分の頭で考え、自分の頭で答えを出すそんなことが今以上に出来るように、色々なことをもう一度、しっかり検討していきたいと考えている。いつか学生たちが社会に旅立つときに、上田学園で勉強してよかったと実感してもらえるように。

 

 

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