●学園長のひとり言

平成20年04月18日
 (週1更新)

やんちゃな子供たち

問題のなにもない、おとなしくて聞き分けがよくてお勉強の出来る親にとって「良い子供」や、大人の手に負えないような「暴れる子供」の話は良く聞くが、「やんちゃな子供」の話を聞かなくなって久しいような気がするが、あの「やんちゃ君たち」は何処へ行ったのだろうか。そう、あの可愛い「やんちゃな子供たち」は。


日本人補習学校の小学校で教えていた私の担当クラスは、小学校の1年生と2年生。親の転勤や親の都合でスイスに住み、スイス人の通う現地校(ドイツ語を話す学校)か、色々な国の子供たちが通うインターナショナルスクール(英語を話す学校)へ通い、週三回午後4時から補習校で国語と、隔週で算数の勉強をしていた子供たち。言葉の通じない現地校でドイツ語に苦しめられ、英語の分からないインターナショナルスクールで英語に苦しめられながらも親の言いつけとはいえ、子供たちが一生懸命日本人補習学校へ通ってきたのは、思い切り日本語が使え、思い切り野球が出来たからだった。そんな彼らではあっても、時々目をパチクリし始めたり、頭に10円玉の大きさのハゲが出来ると、要注意。お友達をいじめだしたら危険信号。彼らがストレスで疲れ始めている証拠なのだ。

そんな証拠を見つけると、宿題を免除したり、反対にたくさん宿題を出して「僕はバカじゃないんだ」と思えるように日本語づけにしてホットさせてあげたり、たくさん褒めてあげたり、スキンシップを普段以上にしながら外国に住むことの大変なこと、外国語を取得することの大変なこと、それをどうやって解決していったか、また解決しようと努力しているかなど、自分の体験談を話したりと、普段以上に気をつけて見守っていたものだ。そしてそんな彼らが「元気になった!」と確認できるのが、やんちゃないたずらをし始めたときだ。

やんちゃないたずらは、けっして人を傷つけない。勿論いたずらされたほうは、傷ついたり、時々泣いたりはするが、それでもそれが不登校のきっかけになったり、大きな問題になることは、ない。むしろ、ちょっと時間がたてば子供たちの間で笑えるいたずらだ。だからか「やんちゃな子供」というと、どこか「憎めないのよね」とか「だから可愛いのよね」とかいう言葉が続きそうな、なんともほほえましいのだが、「あの子は悪戯で」とかいうと、なんだか「だから困っているのよ」というマイナスイメージが続いて浮かんでしまう。

最近本当にやんちゃな子供に出会えなくなった。やんちゃな子供らしい子供に会えないことがちょっと淋しい気がするのだが、でも何故やんちゃな子供がいなくなったんだろうと、考えてします。

やんちゃな子供が育つのは、やんちゃな子供がいても大丈夫な余裕のある社会がなければ、やんちゃな子供は育たない。そのためには家庭も学校教も本来の機能が果たせる場であるべきだと思うのだが・・・。

しつけは家庭で、知識と集団生活で学ぶマナーは学校で。そこには、能力的に入れない学校へ無理やり入れようと、その子供の人格を無視したような、まるで調教をするような教育は存在せず、その代わりに、その子供がその子供として存在する理由が明確になるような生き方を応援するように、子供時代を謳歌できる、それも不足、過不足、全て子供を取り巻く条件をも味方にして、その中で生きる知恵がつくような環境を与えるべきだろう。

考えても仕方がないことだが、上田学園の学生たちとは、彼らの子供時代に会いたかったと心から思う。

どんな“やんちゃ”をし、どんな“やんちゃさん”だったかと、想像すると嬉しくなる。でも、やんちゃな時代をすっとばしてきたのではないかと思えるような出来事に出会うと、心が痛くなることも多々ある。だからこそ出会えた今に感謝し、出会えていることを大切に、ただただ彼らを愛でる。学生たちが大きな深呼吸とともに心を伸び伸びと伸ばせ、やんちゃな子供時代を取り戻し、楽しいやんちゃをしながら前進していってもらいたいと、心から願っている。そのためにも、学生たちのまわりにいる大人の一人として、自分の人生を大いに楽しみ、彼らにとって素敵な生き方をしている彼らの先輩の学園の先生たちと一緒に、彼らに色々なことを考えさせる一教材になりたいと、心から願っている。

そんな思いでいるなか、上田学園の新学期が始まった。

「能力=考え方×スキル×知識。スキルと知識は入社後の努力でなんとでもなるので一切考慮しない。大切なことは「考え方」で、「考え方」は教えられない。」
「人はなりたい自分と、あるべき自分と実際の自分は違う。」「なりたい自分はシャットアウトさせる」こんな言葉を新学期の数日前に偶然目にした。これはリッツカールトンホテルの人材採用の考え方だそうだが、正にこれこそ私が学生たちに理解して欲しいと願っていることなのだ。

リッツカールトンでは人材採用にあたり、能力は考え方×スキル×知識だが、スキルと知識は入社後の努力でなんとでもなるが、考え方は教育できないので「考え方」を重視して採用するというのだ。但し採用試験にあたり、「自分はこうなりたい」という「なりたい自分」と、「あるべき自分」と「実際の自分」は違うので、それを見抜くために「なりたい自分」をシャットアウトさせて「自分の考え方」を「人が見ていなくともやる行動」がその人の資質と考え、色々な日常的な事例から「考え方」を見抜いて、採用するそうだ。

「1+1=2という答えを出すだけなら、他の学校でもやれる。上田学園では答えの出し方ではなく、『何故2?』という考え方を学んで欲しい。自分の頭で考えて答えを出せる人間になって欲しい。そして人を思いやる心。人のために軽やかに動き、それを当たり前と思える人間になって欲しい。そのために生きかたの素敵な方たち。考え方の素敵な方たちに先生をお願いしているのだから」と言い続けているつもりでいるが、舌足らずの説明のためか、学んで欲しいことが明確に伝えられずもどかしく思っていたが、新学期にあたり生徒たちにこのリッツカールトンの採用試験の話をし、皆で話し合った。その結果、素敵な生き様で素敵に仕事をしている先生方の「考え方を学ぶ」ために、自分たちで考えることが自然に出来るよう、自分たちで色々なことに疑問が持てるようにしようということになった。そして授業も今までにない教科を入れ、その教科に関しては全員で一つ一つ手作りで勉強していくことにした。

18歳の女の子が入り、上田学園も何となく華やいできた。そんな中「Be 動詞のBeは何の意味なのかしら」「どうしてこの単語にこの漢字が用いられているのかしら」などと、今まで「当然」と思っていた身近なことから「なぜ?」「どうして?」を合言葉に、今の彼らの年齢で出来る“やんちゃな遊び”を、学びを相手に実践させ、楽しませたいと考えている。

 

バックナンバーはこちらからどうぞ