●学園長のひとり言 |
平成20年05月29日 劣等生はいいもんだ!
熊本の崇城大学(旧熊本工業大学)の教養講座で講演をさせて頂いた。テーマは「フリースクールの現状」。副題で「自分の存在価値」。 人生60年以上やっていると、フリースクールを開校するきっかけをお話するところまでたどり着くのに結構時間がかかってしまう。そのうえおしゃべりときている。あれもこれも話したくてうずうずするが、時間が足りない。学生たちに伝えたいこともたくさんある。講演内容をまとめたレポートを書かなければならない学生のために、頂戴した時間内で話をまとめて講演を終えなければならない。講演を聴いてくださる皆さんの表情をみながら少々時間オーバーしたが無事に講演を終えることが出来た。 今回の講演がきっかけで、久しぶりに自分の歴史を振り返らせてもらった。その中にはすっかり忘れていたこともあった。 大学を卒業後、教職免許の単位不足の履修と、古文書をもっと読んでみたいと考えて一年間聴講生になったこと。混雑している電車を考え、乗り換えのいらない会社を捜して就職するつもりが、面接試験のときに会社側から、他の大手の企業と一緒に共同経営している会社で働くことを勧められ、「忙しい」と聞いたので、乗り換えが“あり”でも働くことを決めたこと。給料より残業手当の方が多いその会社。仕事は面白かったが「いつか生活のために働かなければならなくなるから」ともう少し自分の勉強時間が欲しくて辞めさせてもらい、米軍の新聞社へ転職。 「3枚洋服があったら、3枚の洋服を毎日取り替えて来ること」と言われて入社した新聞社。資生堂のポスターから抜け出したようなおしゃれをして、シャナリシャナリと社内を優雅に移動しながらスマートに仕事をするスタッフ。そんな中、新しく出来た事務所で書類のフォームもまだ決まっておらず、おまけに上司の外国人の名前が、どちらが苗字でどちらが名前か分からないほど英語が出来ず、ただただ先輩たちに助けて頂きながらする仕事。なんとか間違えずに御迷惑をおかけしないですむようにと、なりふり構わず会社中をばたばたと走り回って仕事をしていた異分子的存在だった私。が、それがかえって目立ち、外国人スタッフの間で評判になっていたとかで、社内でヘッドハンティングされ他の部署へ。 仕事も面白く給料もよかったその部署で頑張った私は、お金を貯めその後2年間イギリスに遊学。親切にしてくださるイギリス人にお返しがしたいと始めたボランティア。そのボランティアで知り合ったイギリス人から自分の人生に大きな意味を持つことになる「日本語」という言葉が飛び出し、「日本語を外国人に教えるってどうやるんだろうか?」という疑問が潜在意識の中にインプット。 帰国後、スウェーデンの会社でスウェーデン人のパーチェスマネージャーの秘書に。その秘書という仕事を通して、日本語の重要性に気付かされ、日本語の教師へ転職。それがきっかけで、日本語の教師として長い海外生活がスタート。そんな前半の人生。苦しかったことより楽しかったこと、頑張ったことが昨日の出来事のように頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え、思わず笑いが止まらなくなったりした。そして改めて気付かされた「私の人生は苦手なことで生きているんだ」と。 英語の必要な仕事場で、英語の得意な人たちに囲まれ、英語が出来ないからこそ、英語は最低限でいいように書類をグラフにしたりと、外国人の上司たちが一目で仕事の内容が分かるように工夫したり。それでも英語が必要になると周りにいる英語の得意な同僚や先輩たちに助けて頂くために、書類はいちいち説明しなくてもすぐ理解出来、通訳しやすいように作成し、誰でもが取り出しやすく見やすいようにと、キャビネットの中も書類にあわせて常に整理整頓。結果、過分な評価を頂いていたことなどを懐かしく思い出されるのと同時に、あのころの同僚たちの多くが英語を使わなくなっているのに、英語が一番苦手だった私が未だに英語を使って仕事をしているという事実に、自分で驚かされた。 改めて思う。仕事をするとき、好きなことを仕事に出来ることもあるが、単に仕事をするチャンスがあったから自分なりに工夫して仕事をし、結果、仕事が好きになり、それを自分がしたかった「好きな仕事」にまで成長させることも“あり”だと。 上田学園の学生たちをはじめ、若い人たちは「好きなことを仕事にしたい」と願うが、好きな仕事には表裏一体のように嫌いなこと、やりたくないことも含まれているということを認識することなく、表面的なことだけで仕事を選択。そのためか最後までやりぬく前に何か問題が起こると「こんなはずじゃなかった」と簡単に仕事をやめる人も多いように思う。またそれを助長させるように、彼らの周りの大人たちも「好きなことを捜しなさい」「やりたい仕事をしなさい」というが、好きなことをしている間に嫌いなこと、苦手なことも出てくるが、それに我慢して努力しているうちに、嫌なこと、苦手なことが薬味になり、仕事に美味しさが増し、磨きもかかり、好きな仕事になるということは、誰も教えない。 テレビ・DVD・携帯電話・コンピューターの所為か、はたまた漫画ばかりで本を読まなくなった所為か、想像力、推測力が乏しくなった若い人たち。「好きな仕事をするには・・・」の「・・・」が想像できず、「いい大学を出ていないから」とか、「環境が許さないから」とか、「人と話すのが苦手だから」とか、色々な理屈こねて、好きなことも嫌いなことも「貴方の考え方次第だ」ということに気付こうとも、認めようともしないのが、残念に思われる。 「成功は大きな不安に打ち勝って勝ち取るもの」という言葉がある。大好きな言葉だ。確かNECの社長だった方の言葉だ。 自分のしたい仕事、したい生き方を貫くには大きな不安があるし、大きな挫折もある。大嫌いなこともしなければいけないこともある。おまけに知識やスキルなど、色々な面で不足しているものもあるだろう。その不足していることを行動に移さない言い訳にし、どこかで「時期がきたらやるから」とか、仕事をする完全な状態になったら「やれるよ」と暢気に構えているうちに、いつの間にか0%と1%の差。どこまでいっても平行線の無限大の差の中であがき、苦しみ、自分のしたい仕事やしたい生き方は「成就不可能!」になってしまう。 勉強も仕事も、出来ることからやるといいと思う。それをしながら、出来ないことが見つかれば、それが学ぶ正当な理由になり、人より劣っていることが分かれば、それをマイナスと考えず、マイナスをマイナスでかけてプラスにすることを考え、工夫し、周りの方々に助けて頂きながら自分を振り返り、自分を成長させる美味しい材料にしたらいいと思う。 上田学園でも過去の学生の中にも在校生の中にも、自分の苦手なことから逃げ出す理由に「学ぶ理由がない」とか言って、親を煙に巻いて卒業する前に上田学園から逃げ出したり、逃げ出そうとあがいている学生がいる。そんな学生だからこそ「学ぶ大きな理由があるのに」と思わずにはいられない。それを証明するかのように、嫌々でも不満たらたらでも我慢して最後まで学び卒業していった学生たちは、「我慢して最後まで頑張ってよかった」と言いながら、学びや仕事で自分の人生を生き生きとエンジョイしていることでも分かることだ。 皆で喜びたいものだ、人より劣っているところがあったら「あ、学ぶ正当な理由みつけた!学校に行く理由みつけった!」と。そして毎日を自分のテンポで学んでいきたいものだ。今という自分の時間が自分の未来を作っていくという現実と真摯に向かい合いながら、自分が納得した人生を送るために。 |