●学園長のひとり言

平成20年06月17日
 (週1更新)

小さな先生

 

可愛い男の子がお母さんに連れられて学園へやってきた。「正しい日本語を教えて欲しい」という御希望で。

男の子はどうみても日本人。学生の一人、マヤちゃんみたいにお父様のお仕事の関係で外国育ちなのかと思ったが、そうではないという。

小学校2年生になったばかりの彼は、御両親とも日本人。ただ、お医者様だったお父様が、彼が幼稚園のときに亡くなったのだという。それが原因なのか、会話があまり上手に出来ないという。国語がだめだという。学校で苦労しているという。

亡くなられたお父様に似ているとかで、算数はものすごいスピードで答えるが、平仮名もあまり書けない。心が痛んだ。こんな小さな頭で、説明のできないことに苦しんだり考えたりしているのだろうと思うと。

お母様と話し合い、ゆくゆくお母様がお子さんの言葉の訓練をしてあげるということで、日本語の先生の勉強をしていただくことにし、学園から2・3分のところに住んでいる彼には、暇なとき学園に遊びにきてもらうことにした。

毎週水曜日の3時。上田学園の授業が終わる頃「こんちは!」と大きな声で飛び込んできて、ハッチからコンピューターの操作を習いながら1時間くらい遊んでいくようになって2ヶ月たった。

人の顔も見ず、人の話も聞かず一人で話していたのが、少しずつ人の顔を見、人の話を聞くようになってきた。そしてハッチの事が「大好き!」という。ふっと思った。ハッチがコンピューターを教えたりしていても、他の学生は全く無関心。これは「何?」と。

上田学園の学生たちのためにも、学生たちと一緒に彼にもっとちゃんと向き合ってあげたいと考えた。

上田学園の学生たちは、色々なことが原因で不登校になったり、引きこもったり、学校を退学したりしている。そんな彼らの問題と向き合うたびに心底「彼らの小さいときに出会いたかったな」という思いで、切なくなる。「親も先生も一生懸命君たちのことをしたんだよ」と言いたくても、そう思っていない学生たち。そんな親や先生の思いを体験させたいとも考えた。

ありがたいことに、上田学園に入学してから少しずつ自分の問題と向き合い、その問題から逃げ続けていたことをやめ、その問題を正視しながら、根本的な問題を解決していこうと努力を始めている学生たち。しかし、長い間、不登校や引きこもる原因になった根本的な問題を他人の所為にして、問題から目をそむけ、他人の目から自分の問題を隠すことにだけに一生懸命だった結果、表面的な問題解決をやめ、根本的に自分の問題を解決しようと動きだした今なのに、未だに自分のことで精一杯。自分の周りが見えない。他人を思いやる心の余裕がない。例え余裕があっても、それにどう対応していいか分からない。

水曜日の小さな訪問者と学生たちの交流の仕方を見ていて、小さな訪問者の問題と上田学園の学生たちの問題がオーバーラップし、上田学園の学生たちがこの問題と真摯に向き合うことが出来れば、お互いにいい影響を与えあえるのではと考え、実践してみたいと思った。

上田学園の女性陣は人の面倒を見るのが大好きなタイプ。ハッチを除いて、人の世話をするのが大の「苦手!」というより、他人のことが目に入らないような傾向のある男性陣たち。頼まれて人のお世話をするときには、無意識のうちに「優等生」を演じようとする。大人はそれにごまかされるが、子供はそんな大人の小手先行動をしっかり見抜く。だからこそ、今回は男性陣が主に小さな訪問者の担当をし、女性陣たちにはそのサポートをしてもらうことにし、ストレートに彼らの悪いところ、みっともないと思える行動について男性陣達と話し合った。

ここまで努力してきた今だからこそ辛いかもしれないが、根本的な自分の問題ともう一度向き合い、もう一歩前進させ、今以上にしっかり自分が鍛えられたら、生きていくことがもっと楽になるだろうという思いと、今頑張れば、いつかまたどこかで嫌なこと、嫌な人、嫌な問題、恥ずかしいと思える問題に出会っても、逃げ出すことはもうしなくなるだろうと考えたからだ。

独断と偏見の私の意見。きつい言い方の私の話を聞いても、今回は一度も顔を曇らせることもなく、気持ちよく「やります!」と言ってくれた学生たち。その声の中に、今までに感じられなかったほど彼らが堂々と彼らの過去と向き合っていることが分かり、嬉しくなると同時に、思わず小さな訪問者に心の中で感謝した「ありがとう!」と。そして授業をするにあたり決めたことは、

1) 国語が苦手で一番困っているということで、国語をメインにし、国語と算数の文章題の勉強 を見てあげる。

2) 彼の勉強を見てあげるという理由で、自分の授業がおろそかにならないようにする。また補講授業や不定期授業を優先するため、そのことを小さな訪問者に前もって理解してもらう。キャンセルの授業は、できるだけ前日にもう一度彼に直接電話をして、再度授業がないことを確認する。

3) 授業は慣れるまで1時間とし、だらだらと勉強をさせないようにする。そのために、あきさせないでどう1時間の授業を楽しく効果的にすることができるか、工夫をして授業に臨む。

4) この授業で一番大切にすることは、勉強よりも彼を心から可愛がってあげること。男性陣は男同士の付き合いをしっかりすること。

5) 女性陣は男性陣のサポーター。あくまでも小さな生徒の応援団。小さな生徒が慣れてきたら、出来ないためにいじめられている英語の勉強を帰国子女のマヤちゃんを中心に、30分間と時間を区切ってやる。教材はゲーム。


先生役の学生たちとこんな取り決めをして、水曜日と金曜日に小さな生徒が正式に上田学園の生徒になり、第一回の授業が行われた。

男性陣の中の二人が小さな生徒を間に神妙に座って計算問題をやらせた。それを女性陣たちが心配そうに、自分の勉強をしながら見ていた。

堅い空気が流れている。その流れをとめるために、全員で可愛い生徒と同じ勉強をし、競争をし、そして誰の答えが正しいのかのチェックを、小さい生徒に頼むことを提案してみた。

堅い空気が消えていった。皆で競争しながら計算を解く。そして出来上がると可愛い生徒にチェックをしてもらう。大きな笑い声があがり、そして楽しく1時間が過ぎていった。その後、庭の草取りにも参加してくれた小さい生徒、一生懸命手伝ってくれた。

「お疲れ様でした!」と、草取りを終え、手を洗っている私たちに向かって小さな生徒がねぎらいの言葉をかけてくれた。余りの可愛らしさに、思わず笑い声があがり、疲れが消えていくような暖かい雰囲気に皆の心が和んだ。そして皆でアイスクリームを食べながら色々な話をしたあと、小さな生徒は元気に帰って行った。

そんな彼の後姿を目で追いながら「自分の小さいときにそっくりだと思います」と、照れくさそうに話すヒラノッチ。彼の小さいときの姿を想像して思わず他の学生から笑い声があがる。そして反省として、小さな生徒の苦手な国語をまず最初にやる。そのとき、今日のように彼にだけ勉強をさせるのではなく、皆で一緒に平仮名から綺麗に書く練習をする。その後、算数も全員でやるが答えのチェックは小さい生徒にやってもらう。


第一回目の授業は無事終わり、小さな生徒はいつの間にか小さな先生になっていた。そして「どうやって褒めたり話しかけたりしたらいいんですか?マニュアル、ありますか?」と、マニュアル育ちで、コミュニケーションをとるのが大の苦手な現代っ子の代表のようなヒラノッチの想定外の、でも彼らしい質問も、心配の種になるまえに、次回の授業を楽しみにしてニコニコしながら帰っていった小さな生徒の後姿とともに、いつの間にか消えていった。

 

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