●学園長のひとり言 |
平成20年07月04日 みんな大切な上田学園の学生
「貴方も大切な上田学園の卒業生。困ったことや、疲れたときはかならず上田学園によって、コーヒーでも飲んで気分転換してね。いつでも待っているからね」と、久しぶりに来園した卒業生の天ノッチ言ったことがある。そんな私に現在の上田学園は昔と違って皆が真剣に勉強しているので、「気おくれする」という。自分だけが「置いていかれているような気がする」と言う。 在校生は、決して卒業生たちと能力的に差があるわけでは、ない。ただ「やらなきゃ!」という気持ちが、彼が在学していたころの学生たちより強いようだ。以前の学生たちのほうがどこかのんびりしていた。しかし、今は違う。「いやだ」といいながら、仕方なくか、渋々かは分からないが、どちらにしても、それなりに一生懸命なのだ。そしてその一生懸命が卒業生を通して、卒業生の上に実を結んでいることを確認しているから頑張れるのだろう。 私もそうだった。学校時代に気付いて頑張る子供と、卒業して色々なことを体験して初めて「勉強しておけばよかった!」と気付く学生がいるのは仕方がないことだ。彼は後者のほうのようだ。同じように中学のとき在学していたモッチが言ったそうだ。「俺たち、こんなにすごい先生たちに囲まれていたのに、どうして上田学園のいたとき勉強しなかったんだろう?失敗したな」と。そして「出来ることならもう一度上田学園で勉強したい」と。 在校生の一人ひとりをとても心配するが、卒業生の一人ひとりも心配している。それは皆大切な上田学園の学生たちだからだ。 在校生と話をしているとよく「この子はあの学生に似ている」とか、「あの学生はこの学生に似ている」と思うことがある。そんなことを考えながら、まるでモデルさんのように170センチ以上の長身に、日本人形のように綺麗だった彼女が、大学卒業後結婚して地方に住んでいるというが「どうしたかしら?」とか、1年かけて色々な大学を調べ、そして大学生になっていった彼の大学生活は「どうだろうか?」とか、この6月にイギリスの大学を卒業する彼は「日本で就職するのだろうか?」とか、今年タイの大学を卒業した彼が、大学院にすすみながら大学で教えることが決まり新学期も始まった今、100名の学生に「上手に日本語が教えられているのだろうか?」とか、雑誌社に入社してたった半年で営業成績が上位になり特別賞与をもらったと聞いた彼が、そんな時だからこそ「謙虚に仕事をしてくれたらいいな」とか、自分の企画が3つも通って、そのロケでブラジルに出かけるという彼が、「体に気をつけてくれたらいい」とか、10月に舞台にのぼるということが決まった彼が、「どんなことを体験し、どの方面に自分の人生をすすめていくのだろうか?」と、色々心配しながら応援をしたりと、卒業生の一人一人の顔を思いうかべながら事あるごとに気にかけている。 卒業生も在校生も大切な大切な上田学園の学生。在校生は勿論だが、卒業生には、楽しくて順調な時よりも、困ったり、つらかったり、悲しかったりした時にこそ、上田学園があることを思い出し、学園に顔を出して欲しいと願っている。 悲しい事件が続く今、若者が起こす大きな事件のときの定番。教育熱心な親と、お勉強の良く出来る素直でおとなしくて優秀な子供。でも、友達も仲間もなく、自分の弱み、悲しさ、辛さなどを訴える場所が家庭にも外にもないという。 他人に自分を理解してもらうことは、難しい。自分を理解してもらう前に、自分が他人を理解しなければならないのだが、それが出来ない。小さいときから親から子供へという一方通行のコミュニケーションしか体験してこなかった結果、基本的なコミュニケーションのとり方を知らないし、どうしていいか分からないのだろう。 コミュニケーション、即ち、相手を思いやって発する言葉。 今の幼稚園生に「将来何になりたいですか」と聞くと、「ペットになりたい」と言うそうだ。「お花屋さん」とか「ケーキ屋さん」とか「お医者さん」とか「パイロット」とかいう答えを期待していた幼稚園の先生は、ショックで言葉が出なかったと聞く。 「塾だ!」「お稽古事だ!」と母親から追い立てられ、忙しく生活をしている現代の幼稚園生。そんな彼らのそばで、母親の腕に抱かれたペットのワンちゃんが気持ちよさそうにしている。それを見て子供たちは、ペットになって「ママから可愛がられたい」とか、ペットになって「ママに甘えたい」とか、ペットのように「ママに抱いてもらいたい」と考えているようだ。 世の中、何かが間違っている。そしてその根本的な間違いを直さず、表面的なことばかりに政治家も教育者も大人も親も心を砕き、一見複雑な問題でもあるかのように一億「総困った顔(?)」で原因を分析し、実を結ばない議論をしている。 どんなに大きな問題でも、人間が起こす問題だ。根本的な問題の原因はもっと単純なことだろう。それは、たとえ親子であっても他人だという意識と、他人に対する思いやりの欠如によるコミュニケーションの発育不全によるものだろう。 上田学園は、生き様のすてきな先生方と一緒に楽しい時間を共有しながら、在校生には、心を癒す中で自分本来の自分に戻り、将来に向かって生きていくうえで必要な「ものを自分の頭で考えるときに必要な道具の使い方を身につける場所」として。卒業生には、疲れた心を癒し、また元気になって自分の未来に向かって歩いていくときの「エネルギー補給場所」として存在していきたいと常に願っている。それが上田学園の存在理由だと確信しているからだ。そのために門戸を大きく開き、笑い声の絶えない楽しい上田学園でありたいと心がけている。 |