●学園長のひとり言

平成21年1月30日
 

  
先輩に、バンザイ!


「家のことは何も心配しなくていいから。お預かりしているお子さんたちのために一生懸命お仕事をしていらっしゃい。帰りが遅くなっても電話はいらないから。冷蔵庫にあるものを頂くから食事のことは心配しないで。帰宅があまり遅くなるようなら、おかしな時代だからタクシーで帰っていらっしゃい。」こんな言葉で毎朝送り出してくれる自称100歳の母。それも私が歩きで出勤するときは南側のベランダから、自転車のときは北側のベランダから手を振りながら「いいお仕事が出来るように祈っているから!」と大きな声で見送ってくれる。

母の生き方を見ていると、頑固で大変なときはあるが学ばされることも多い。あらゆることに前向きだ。新聞を読んでも本を読んでも分からないことはすぐ辞書で調べる。それでも分からないと分からないところに赤丸をして、必ず聞いてくる。年齢だからと分からないままにしないで努力をしている。そして老いていく身体で出来ることは何でもする。

年齢を考え、体調を考え、心配すると、長い間使ってきて年をとっているのだから、どこか調子が悪いのは当たり前。だからといって何もしなかったら本当に動けなくなる。だからこそ自分でよく考え、自分に出来ることをしているのだからほっておいて欲しい。ほっておいてくれることが一番の親孝行であり、年寄りには一番の健康法だと言う。それを証明するかのように、洗濯でも食器洗いでも何でもしてくれる。

とはいえ、テレビに夢中になりお風呂のお湯が沸騰しすぎたり、洗濯機をかけていたのを忘れ、夜まで洗った衣類が洗濯機の中で丸まっていたりと、失敗も多くなっている。それだけに、例えば、お風呂には常に水をはっておくとか、色々考えて、母の一生懸命さに水をささないようなサポートを心がけるようにしている。

御隠居さんでノンビリしていてもいい年齢だが、頭をつかい、子供に心配させないよう気を使って生きている年老いた母を、内心誇らしく思う。しかし、最近もっとすごい人(?)に出会い色々考えさせられ、学ばされている。そのすごい人(?)とは、リサーチの先生の愛犬である。彼の話を聞くたびに、同じ生き物の後輩として、頭が下がり、なんだか泣けてくる。

先生の愛犬は人間の年齢で80歳になる。彼の名前はアイク。年齢による内臓疾患で昨年のクリスマスイブから入院し、そして内臓の手術と壊死した足の切断手術を最近受けたばかりだ。

獣医さんたちは彼の年齢や病状を考え手術に踏み切れず、随分心を砕いたようだ。色々な意見が出る中、最終的に手術が施されたのはアイクの「生きる」ということへの前向きな姿勢だったという。それでもさすがに足が一本なくなると獣医さんから告げられたとき、アイクは前足で頭を抱えて落ち込んでいたという。そんな彼を励ましたのは「三本脚のアイクとの生活を楽しもう」と考えていらした飼い主であるリサーチの先生の気持ちだっただろう。

3本足になって家に戻ってきたアイクは、4本足のときと同じように行動しようとして苦労しているそうだ。そして出来ないことがあると、情けない表情をするそうだ。トイレなども3本足のため間に合わなくて粗相してしまうと、それを隠そうと粗相した上に腹ばいになって情けない表情をするそうだ。そんな状態でもアイクなりに一生懸命考え、工夫をし、努力しているという。

親殺し。自殺。子供が起こす生命に関する問題が多発し、「何とかしなければ」という思いは誰にでもあるのだが、未だに子供たちを取り巻く環境は、勉強が好きな子供ではなく、勉強の出来る子供を育てることに総力が費やされ、生きることの素晴らしさや命のすごさは誰も教えようとしない。

小手先だけの生き方と、勘違いのプライドの中で教育を受けた結果の子供たちと生きる今、授業の合間や帰宅する道すがらのほんの少しの間で聞くアイクの生きようと努力する様に、いつも頭がさがる。人間として、動物の一員として、頭でっかちで自分のことしか考えない自分たちの全てが恥ずかしくもなる。そして大変なとき、大変な時代と言われる今だからこそ、年齢を超越したところで今の状態を受け入れ、前向きに生きるアイクのような生き物の先輩たちからも私たちは何かを学ばなければならないと、心から思わずにはいられない。

アイクの話を聞いていてつくづく思う。
当たり前のことなのだが、自由とは好き勝手に行動することでも、好きなことだけをすることでもないと。自由とは、心の中で誰の規制も受けることなく、感じたり、考えたり、反省したり、学んだりということが出来ることだと。その自由に刺激を与えたり、影響を与えたりする材料として先輩になるために老いがあるのだろうと。

生きるって素敵だ。年を重ねるって素敵だ。例え12歳から13歳になるだけでも年を重ねれば後輩ができる。生きているだけで、「お手本になろう!」などと思わなくても後輩たちが勝手にお手本にしてくれる。お手本に「するな!」と拒否してもそれは拒否できない。でも後輩たちに何かが伝わり、生きている価値が自然に発生する。

後輩たちは大いに何かを感じ、考えさせられ、それを味わい、そこから学ぶことが出来る。それが誰にもコントロールや規制のできない本当の意味での「自由」であり、「自由を謳歌することだ」と思う。

アイクの話を通して「学びの場は学校だけではない」「教育は学校だけでするものではない」「学力は社会でもつけられる」「学びは死ぬまで続く」など等、昔から言われていることの意味、即ち学びの材料は自分たちの毎日の生活、他人との生活の中にあるということを、改めて確認させられている。

上田学園の学生たちには是非本当の自由を謳歌して欲しい。
せっかく遭遇している「100年に一度」といわれる経済恐慌の中に身を置ける幸運に感謝し、その環境を学びに変えて欲しい。

恵まれていることに上田学園の学生たちのすぐそばには、どんな困難もどんな問題も知恵を持って楽しみに変え、自分らしく生きている先生方がいらっしゃる。そんな先生方から、知識とそれを知恵に変える方法をもっと真剣に学んで欲しい。本当の自由を行使して欲しい。何の役にも立たない小さなプライドや思い入れ思い込みに頼る生き方から距離を置き、それから完全に卒業できるように、今をしっかり生きて欲しい。

一匹のワンちゃんのことを知れば知るほど「前向きで生きなければ」と思うと同時に、生き様をしっかり見せて学ばせてくれる彼に感謝とエールを送りたい。

「アイクありがとう!」そして、一生懸命に「バンザイ!」

 

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