●学園長のひとり言

平成21年10月30日
 

  
心が動きますように


いつものように慌しく毎日が過ぎ、後2ヶ月もするとクリスマス。改めて「時間を大切にしないといけない」と自分に言い聞かせながらも、時間に振り回されないようにしたいとも考えております。しかし現実は時間に振り回されてアタフタとしており、ここ五ヶ月間「園長の独り言」の更新をせず「ご病気ですか?」というご心配のお電話やお手紙を頂き、申し訳なく思っております。

この五ヶ月間、いつものように在校生や卒業生の誕生日に子供のようにケーキに舌鼓を打ち、色々工夫しながら仕事をしている卒業生の話にウキウキと耳を傾け、日1日と目が輝き、自分らしい自分を取り戻していく学園生に「頑張れ!」とエールを送ったりと、楽しいこと、嬉しいこと、そして心配なことなに囲まれて、毎日違った1日を送っておりました。

そんな中で一番心配し、悩み、考えさせられていたことが「心が動かない」学生や「会話の成立しない」学生のことでした。

 「せっかく上田学園に入学したのだから」。「せっかくご縁があったのだから」。「せっかく素晴らしい先生たちに囲まれているのだから」。「せっかく」、「せっかく」、そして「せっかく・・・・」と。そんな「せっかく」という思いが、学生たちとの間を空回りし、学生たちに関係なく「悩む」という状態がいつの間にか続くようになっておりました。

「どうして生きているということを実感しないのだろうか」、「どうして興味をもったり、感動したり、楽しんだり、悲しんだりしないのだろうか」という思いで、注意したり、諭したり。

「痛み」や「悲しみ」を感じ、ほんの少しでいいから周りの人間に心を配ることが出来ないだろうか。「君のことが大好き」「君が必要」「君に助けてもらいたい」「君と一緒にいたい」など、周りの人間が発信する信号を読み取らないまでも、気付いてくれないだろうか、感じてくれないだろうか。あるようでないのが卒業までの時間。だから「焦って!」という思いだけが、カラカラとむなしい音をあげながら空回りしていきました。

何をしても何を言っても手ごたえのない毎日。いつの間にか夏休みも終わり、日本語の後期の授業が始まり、新しいクラスの打ち合わせなどを終え、すべり出した日本語クラスを各担当教師に任せ、上田学園の学生の「日本語研修」でタイの国立ナレースワン大学へ。

大学では1・2・3年生の日本語クラスを担当させて頂いた学園生たち。途中私を含む3人が食あたりで2日間ダウン。しかし、そんなハプニングもなんのその、一生懸命日本語の授業を受けてくれたタイの大学生達に助けられ、日本語教師として学生たちの指導をしている卒業生の宍戸や現地の先生方のサポートのお陰で、何とか実習が終えられ、帰国。そして翌日から上田学園の後期授業が何時ものようにスタートしました。

この半年近く、今まで以上に考えさせられる出来事ばかりでした。そして、過去の上田学園の学生たちと違う今の学生たちを前にして「時代とは?」、「教育とは?」、「親とは?」、「子供を大切にするとは?」、「年齢とは?」、「希望とは?」、「欲とは?」、「興味とは?」、「モンスターペアレンツとは?」など等、色々な「何?」「どうして?」が洪水のように押し寄せ、考えさせられ、反省させられ続けました。

目をキラキラ輝かせて一生懸命日本語の勉強をするタイの大学生たちの前では、日本にいた時以上に精彩を欠き、かすんで見える学園生たち。そんな彼らを見ながら「上田学園はこれでいいのだろうか?」と自分に問いかけたり、「10年後、20年後、確実に日本はアジアからおいていかれる」という確信のような思いにとらわれたりしました。そして、日本にとっても世界にとっても、大切な大切な学生達。近視眼的に学生たちを見るのではなく、彼らの未来も見据えながら、もう一度距離をおいて彼らを見ることで、上田学園がしなければいけないことを再確認したいと思いました。

久しぶりに芯から疲れました。書くことも話すことも嫌になるくらい、この五ヶ月間のエネルギー消耗量は大変なものがありました。それもただ、心を動かさず、日本人なのに日本語の通じない学生達の問題に対応しようとするだけで。そして今、つくづく思います。こんな時代だからこそ、人間として生まれた証とでもいえる感情豊かな人間に学生達を育てていければと。そのためにも、自分をどうやって愛し、慈しめばいいのかも全く分からない学生たちの無気力、無感動、無関心とどう関わりあえばいいのか、その答えを何とか見つけ、実践していきたいと考えております。

若い時代の私たちも形こそ違え、そうやって先人たちに育てられてきたお陰で今があり、そして色々な方々に助けられてここまで何とかやってこられたことを思うと、学生達の未来を信じ、チャレンジをしていくべきだという思いに突き動かされるのです。

「欲の多い人間だったら、その欲をセイブさせ、ターゲットを絞って前進させることは出来ても、何の欲も持たない人間に、欲をもたせるのは難しいと思うけど」と、アルバイトをしながら舞台俳優の勉強をしている卒業生のオギッチが、ボソボソと自分の意見を言ってくれました。

「今日は休みだけど面白い本屋さんがあると聞いたので、いくつかリサーチしてきたんです。また企画書を書いて会社に提出していこうと思います」と、調べ物をしながら、仕事をしている中で気付いたことを楽しそうに話してくれる卒業生のナルチェリン。

日本語の教師として、タイで大学生たちを相手に頑張るシーシーや金谷。今以上に納得のいくドキュメンタリーを制作したいと頑張っているタッチ。二人の子供の父親になり、作家の勉強も続けながら「どうしたら彼らがもっと人間らしく生きられるのか」と心を砕いて身障者施設の職員として頑張っているノロタ。

何があっても、ギブアップもせず学生たちと向き合って授業をしてくださる先生方。

高齢のうえ、3本足になっても生きる尊厳を忘れず、犬として犬らしく格好良く生きる学園の先生の相棒、アイク。そんな彼らの生き方や頑張る姿に、萎える心に活が入れられ、自然に顔がほころんできます。そして「頑張らなくちゃ!」という思いが挫けそうになる心を支えてくれます。

片道2時間近くかけて毎日通ってくる日本語の生徒、東チモールからの女子学生が、学園生の代わりに率先して学園の周りの落ち葉を履いてくれたり、トイレ掃除をしてくたりします。そんな彼女に「ありがとう!」と声をかけると、ニコニコしながら「私も生徒ですから。私の本当の先生は金谷先生や上田先生たちですが、学園の生徒さんからも色々教えてもらっています。学園の生徒さんも私の日本語の先生です。私が『ありがとう!』です」と、当たり前のように掃除をしてくれます。

 心が温かくなります。嬉しくなります。楽しくなります。こんな気持ちをどうしたら無気力、無関心、無感動の学生に伝えられるか、もう一度彼らの心の扉を叩いてみようと思います。扉を叩いている人間がいることに気付くまで、何度でもたたき続けようと思うのです。こんなに素敵な人たちに囲まれていることを気付いてもらえるためにも、こんな素敵な人たちの側で仕事をしていられる幸福の御裾分けが少しでも出来るように。

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