●学園長のひとり言
平成21年11月28日

  先生は、子供たち!

封筒に曲がって貼り付けられた80円の切手。よく見るとその切手の下にスマイルマークと一緒に小さく「ハルがはりました」と書かれてあり、中の手紙の裏面には藹春(あいはる)君の小さな手形が青い鉛筆でなぞられてある。その可愛い小さな手形を見ながら、「藹春くんは何歳になったのかな?3歳かな?4歳になるのかな?」と手紙を表に返す。

二人目の子供の誕生と、お兄ちゃんになったハル君(藹春君)が「ママ、どうしたの?いじめられたの?ハル、抱っこしてあげるね」と、少しでも疲れた顔をしていると、心配してママである昭子さんを慰めてくれるようになったことや、身障者の施設で働きながら作家をめざしているご主人である卒業生のノロタが頑張っていることなど、野呂田家の日常が目に浮かぶように書かれた手紙。4ヶ月目の次男の礼君。「ぷくぷくのお手手とあんよで、可愛い盛りです。ニコッと笑ってくれるだけで幸せです。子供のお陰で私たちは少しずつ家族になっていっている気がします。」と、手紙は結ばれていた。

彼女からの手紙はいつも心を打たれ、頭が下がる。「今どき、どこにも浮ついたところがなく、こんなに賢くて良いお譲さんがいるのね」と、結婚式に学園代表で出席していた卒業生のタッチと話し合ったのが昨日のような気がするほど、毎回お手紙をもらう度に同じ言葉が口をつく。

子育てを心から楽しんでいる。ウエブデザイナーとして働けなくてもいいと考えているようだ。子育てを心から楽しみ、家計のやりくりも一生懸命楽しんでいることが彼女から送られて来る手紙でわかる。

包装紙の裏紙や広告の紙を利用しての可愛い手作りの封筒や、便箋。なんとも楽しいオリジナルの封筒や便箋に書かれる野呂田家の日常。そして私や97歳の母を気遣ってくれる何気ない優しい言葉遣い。彼女の暖かい人柄と、そんな彼女に支えられながら彼女と一緒に二人の子供の父親として、でも独身時代と同じようにゆったりとしたノロタ流を貫く。そんな二人が醸し出す穏やかな雰囲気が、手紙の内容以上に手作りの封筒や便箋、そしてちょっとした隅に書かれた小さなメモからも、伝わってくる。

若いカップルだ。経験不足や知識不足から起こる問題も多々あるだろう。でもこの若いカップルは、子供を真ん中にして、楽しそうに家庭を営んでいる。

「自分の時間がなくなる」「自分の時間をとられる」「自分が自分らしく生きられない」「他の人のようにもっと楽な生活をしたい」「自由な時間が欲しい」等など、そんな考えは今の二人の中にはないようだ。

夫婦二人でよく話し合い、お互いが無理せず、お互いを大切に尊重しあい、今という時間は今しかないと、今しなければならないことの優先順位のトップに、一人では何も出来ない幼い子供たちと楽しい時間を過ごすことであり、親子4人であることも含め、今の環境を精一杯楽しむことをあげているようだ。そんな二人の生き方のモデルになっているのは、二人の親御さんたちが作っていた家庭なのだろう。

彼女の手紙は赤外線ヒーターのようにじわっと心を芯から暖めてくれる。読めば読むほど心が和み、楽しくなってくる。

手紙の中から飛び出す優しい言葉は、彼女の普段の言葉だ。プラス要素もマイナス要素も楽しみの一つにし、色々工夫しながら営む毎日の生活全てが、遊びのようだ。その遊びを通して、何でも家族皆で協力し実践する親の元で育つ子供たち、将来が楽しみだ。

この若い夫婦を見ていると改めて思う。二人が言うように親を育てているのは子供たちだが、その親が気付かない親の一挙一動を子供は子供の中に映し出し、それが彼らの人間として生きる土台、「三つ子の魂百まで」になっていることを。

「ママ、どうしたの?いじめられたの?ハル抱っこしてあげるね」と、小さな頭でママを心配し、ママを何とか助けてあげたいという気持ちを言葉に表す藹春君の中に、両親の行動を通してすでに学んでいる「他に対する思いやり」が形として現れている。

親が子供にしなければいけない最初の教育の一つである「思いやり教育」がしっかり根付き始めているのが、分る。二人に拍手を送りたくなる「いい親をやっているね。」「いい先輩をやっているね。」と。

彼女の手紙を読みながら、ここ数ヶ月の自分のことを振り返り、改めて恥ずかしくなる。

私の子供は学生たちだ。だから、私の先生は学生だ。その学生から何も学ばず、自分のことがしっかり映し出されている学生の鏡に向かって、ここ数ヶ月一人でジタバタとあがいていた。そんな私に、学園の先生のお一人が「先生、もう少しゆっくり呼吸したら?」と注意して下さった。

本当にそうだ。生きていれば問題があるのがあたりまえ。自分の思うとおりにならないのが自然。分っていたはずなのに、いつの間にか分らなくなっていたことが、分る。

学生に対して申し訳なく思う。世の親や大人のように、いつのまにか自分の思い通りの答えを要求して焦っていた。しかし、世の中も上田学園もこんなご時勢だから尚更、何かを要求する前に、ゆったりとした気持ちで今という今を学生たちと楽しんだほうが「楽しい」。学校の問題も学生たちの問題も全部ひっくるめて、学生たちや先生たちと「楽しみたい」。そんなこと改めて思う。

手作りの封筒に貼られた斜めの切手。その下に「ハルが貼りました」と、幼い息子の幼い出来事に親としてのあふれるような誇りと嬉しさの気持ちが、小さく書かれた字から伝わってくる。その小さな字に心が暖かくなり、何度も何度も斜めに貼られた切手に目がいく。

私もまた、学生達と小さな出来事を「楽しんでいく」。それを通して「喜んでいく」。それが、私がしなければいけないことの優先順位のトップであり、それが一番したいことだからだ。

大小さまざまな問題はあっても、個々の学生にはその学生にしかない良いところがある。それを見つけるたびに嬉しくなるようなほのぼのとしたものが。そして、数えたらきりないほど問題はあったが、この不況下でも、学園の先生方から色々なことを学んだ卒業生たち。当たり前のように努力を惜しまず、自分らしい成果を出しながら日々成長していることからでも分るように、例え休み休みであっても、学園から理由をつけて逃げ出さずきちんと卒業していった学生には、不思議に「その日が来る」という事実を大切にしていきたいと思う。

人生の基礎は三歳までだと言われている。その3年間をどんな環境で、どのように親から愛されたかで子供の人生が決まっていくという。

入学理由は色々な学生達。学園で過ごす時間は3年間。その3年間で学生達は自分の納得した人生を送るための土台をどう築くか、その築き方を学んでいく。それも築いては崩れ、崩れては築きなおしながら。

一歩一歩、止まることなくほんの少しの歩みでも続けていこうとする学生達。美味しい空気を十分体に吸い込みながら、ゆったりとした気持ちで学べるように、彼らと上手に距離を置きながら今まで以上に彼らを大切に思い、本音で付き合っていこうと思う。応援団に徹していこうと思う。それが親と同じように私を育ててくれ、幸福な気持や、「今を生きているんだ」と実感させてくれ、同時に、忙しさにかまけて自分を省みることもしなくなり、時には動脈硬化で心が固まりそうになるのを、「それじゃ駄目ジャン!」と反省をうながし、心を揺さぶってくれる学生達に対する素直な感謝の気持ちとして。

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