●学園長のひとり言

平成22年5月20日


思わず笑ってしまいました!

思わず笑ってしまいました。変な日本になったとはずっと思っていましたが
「大学生 高校で補習」という新聞記事を読んで。

大学生の高校化。高校生の中学化などと言われるほど、大学生の基礎学力低下が問題となっているが、高校生が大学で授業を受けるなど「高大連携」が行われる中ある大学が、提携先の高校へ学力の劣る学生を高校生と一緒に授業を受けさせて、大学で勉強するのに必要な最低限の学力をつけさせようという試みをするそうだ。教授たちの歓迎ムードに対し、学生からは「恥ずかしくて通えない」という声もあがっているとか。

大学が独自で在校生の学力不足を補うため、補習授業をしている大学が文部科学省の調べによると、1996年度は572校中、約9%の52校。2007年度は742校中、約33%の244校に上っているとか。この数字から想像すると2010年には半数近くの大学が、大学の授業についていかれるように補習授業をやっていることになる。

自分の大学の授業についていかれるかいかれないかの区別をするために入学試験を実施するのだと、何の疑問も持たずにずっとそう信じていたので、入学後に、授業についていけるように高校レベルの学力をつけるために補習授業をしていると聞いて「え!?そこまでするの?」「授業についていかれなかったら自分で勉強し、授業についていかれるように予習をするなり何なりするのが当たり前じゃないの?」と思っていたが、一億「総親切」の塊のような日本。またまた親切=超不親切という答えが導き出せそうな方程式を採用してしまったようだ。

教育って何なのだろうか。何の疑問も持たずに、恥ずかしくもなく、自分の大学の学生のレベルがどれだけ低いかを証明していることにも気付かず、高校へ行って学力不足を補わせるということを平気で公言する大学に、思わず声を出して笑ってしまったのだ。それも「高校に通うのは少し恥ずかしい。友達にも言えない」という普通の神経を持った学生さんのコメントに、「あぁ、大学当局よりマトモナ神経の学生さんもいるんだ」と、妙にほっとする気分と一緒に。


上田学園を始めた10数年前。登校拒否児という名前で呼ばれる学生がいることが少し問題になり、その学生が不登校児という名前に変化し、そして出席日数に関係なくても中学までは卒業させてくれるようになり、その上、今年からは、全く勉強に興味がなくても、「高校ぐらい出ておかなければみっともないから」とか、「とりあえず高校にでも」という「みっともない」や「とりあえず」レベルで、好きな時間に行き、好きなことだけやって帰るだけという高校生に対しても、授業料を無償にすることが決まった。それも脱税やなんやらの怪しい“裏金”からその資金が捻出されるのではなく、真面目に一生懸命働いた人から徴収した税金から。

社会を円滑に運営していくために最低必要な社会で通じる常識力もなく、まして学力のつかない、暇つぶしに行くだけの学生を、政府一丸になって今まで以上に製造し続けるという。

新聞記事を読みながら2年前に亡くなった上田学園の先生の言葉を思い出していた。「今の親は子供の学歴の買い支えと、問題の先送りばかりする。子供の根本問題を解決させずに、有名大学に入ったからとか、大手企業に就職したからと安心しているが、先送りにした問題はいつかかならず今以上に大きな問題になって、親の元に戻ってくることに気が付いていない」という言葉を。

家が貧しく本当に勉強がしたい学生達はいくら授業料を無償にしても、高校へは行かないだろう。毎日の生活に窮している間は勉強どころではなく、生活費を稼がなければならないからだ。高校を無償化できるほどの財力があれば、本当に勉強したい学生に学費は勿論、生活費の面倒も見て学校へ行けるようにしたほうが、税金が生き金になっていいと思うのだが。

馬鹿な政治家や知識人が、馬鹿の一つ覚えのように唱える「格差社会」と「平等」という言葉に踊らされ、学びたくもない学生にまでもお金を出すという。
私も含め、学校も親も社会も、「何のために何をするべきなのか」。それをしっかり考えるべきだろう。

上田学園は大学でも高校でもない。「じゃ、なんの学校ですか」と聞かれたら、「社会で生きていくときに必要な、問題をみつけ、考え、答えを出す等の方法を、教科や先生方の生き様を通して学ぶ。社会に出ていくExit. 即ち『社会への出口のような学校です』」と、答えるだろう。だから年齢、学歴、学力、経歴、性別は全く問わない。何しろ社会で生きるときには、年齢制限も学歴制限も、学力制限も何もない。あるのは「貴方は誰?」「何が出来るの?」だけだと思うからだ。その「誰」に、自分が納得のいく「誰?」になるための基礎的な考え方を学ぶ場所が上田学園なのだ。

今年の新入生は現役中学生。色々な理由があり、学校へ行きたがらず引きこもっているのを心配したお母様が、ネットで上田学園と出会ったという。

フリースクールといっても上田学園は義務教育機関ではないので、なんでも自由ではないこと。

誰に強制されたわけでもなく、自分で自由に上田学園を選択したのだから、上田学園の教育方針に従って頂く。つまり、「好きな時間に好きなことだけをすればいい」のではなく、授業は朝から晩まで毎日きっちりあること。時には朝まで授業が続くこともあり、その授業内容も「株」「リサーチ」「旅行」「外国人に日本語を教える」等という教科を通して、「生き方」「考え方」を学ぶところ。「これが正しい答えです」という決まった答えに向かって授業が進められていないので、今までの学校との学び方の違いに戸惑うことがたくさん出てくるだろうこと。またその戸惑いこそが学園での学びの第一歩であり、その戸惑いから学びが開始されること。

自分でも納得し、その上社会で通じる人間として「どうやって生きるか」を学ぶことにより、誰にでも平等に与えられ「実社会で生きる権利」を謳歌する。そのことには「資格」は存在せず、あるのは権利を行使する自由に対する対価として、義務を選択する権利があり、その権利をどう自分らしく自由に選択するかを重要視しているだけなので、紙の上だけの「資格」に関しても全く無縁な学校だということを説明。

背が180センチ。上田学園ではなくジャニーズ事務所に行ったほうがいいと思うほど、プロゴルファーの石川遼にも通じる、言葉遣いの丁寧な清潔でハンサムな現役中学3年生。一緒にいるだけで楽しくなる学生。

上田学園の入学条件の15歳は数週間前にクリアーし、その上「親が希望するのではなく、本人が入りたいと望んだ場合のみ」の条件もクリアーしていたので、中学校の校長先生に許可を頂き、当学園で勉強をすることになったのだ。

若い彼がどの方向へ伸びていくのか分からないが、今までの卒業生のように進学しようと社会人になろうと、個々のもっている本領が発揮できるよう、頭がやわらかく育ってくれることを願いながら、見守り始めたところだ。

例年行く田植え、今年は5月4日。その田植えで初めてご一緒させて頂いた方の甥っ子さんという現役の高校3年生も見学に来てくれた。

高校は楽しいという彼は、「伯父から聞いておりましたが」と、授業内容が高校と全く違うのでびっくりしたようだが、時間と共に体ごと授業にのめりこんで行くのがよく分かり、「見学してくれた時間が無駄になっていなくて、よかった」とホットした。

ボソボソと話す彼に、何を言っているのか最初はよく分からずちょっと心配したが、「受験」という大義名分の中で「自分で考える」という思考回路を絶たれ、暗記で育った一方通行の学生ではなく、自分で考えることの出来る頭の柔らかい、これまた素敵な学生さんだった。

こんなタイプの学生さんが上田学園で学んだら、本人にとっても、また社会にあっても、納得した人生が送れて楽しいのではと思うと同時に、「大学生 高校で補習」にはならないだろうという思いがふっと頭を横切っていった。

またまた新しい風とともに上田学園の春学期が始まりました。
「劇団の月謝、安すぎると思うほどいい勉強をさせてもらっています。」
全く演劇に無縁だった人生から、二つのアルバイトを掛け持ちしながらも演出家「山崎哲」の劇団で演技の勉強をしている卒業生のオギッチのように、自分の人生、自分でしっかり納得して生きていくためのスタートが切れるように、在校生には、答えの準備されていない人生に向かって、逞しく、でも楽しく貪欲に立ち向かっていけるように育って欲しいと願っております。

 

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