●学園長のひとり言

平成22年6月26日

人生の師は親の背中

上田学園の学生達の問題が噴出するたびに、親の仕事はなんだろうと思うことが度々ある。しかし、親の仕事にも角度を変えてみれば色々。だからこそ一概には「これだ!」と言いきれないものもあるとは思いながらも、個人的見解としての意見があり、それを親御さんと子供たちの問題を話し合うときの基準にしてきた。

♪咲いた〜咲いた〜チューリップの花が〜♪
母のひ孫、3歳になるナツキが嬉しそうに歌い、歌い終わると母のベットに走りより、笑みを浮かべながら横になっている母に誇らしげにそして嬉しそうに声をかける「おばあちゃん!」と。そのたびに姉や兄たちから「なっちゃん上手だね。おばあちゃんが喜んでるよ」と言われ、また歌いだす♪咲いた〜咲いた〜チューリップの花が〜♪と。その歌に見送られるように母はこの世の最後のお仕事、「献体」に出かけて行った。

この世の最後のお仕事に出かけて行く前日も当日も、少食にはなっていたがそれでもいつものようにしっかりとご飯を食べ、新聞を読み、テレビを見ながら色々な話をしていた。そして数時間前の夕食は「動かないのでお腹が空かないから、食べなくてもいいくらいよ」と言い、野菜ジュースを飲みフルーツ入りのヨーグルトを少し食べ、トイレにも一人で行き、そして母にとっては義兄になる同じように医者だった伯父そっくりな先生に「上田さん、98年間の生き方と同じように逝きましたね。感服です。立派です」と褒められて、母の望みどおり自宅で人生を終えていった。

母がこの世の最後のお仕事に出かけている間、留守番を頼まれた私達兄妹は、目の前から居なくなった母から改めて色々なことに気付かされ、教えられている。それも母の周りに居た方々を通して、まるで側にいてくれたときと同じように。

「今日、おばあちゃんはどうなさったんですか?」集金人の方が聞いてくださる。そして今にもこぼれ落ちそうな涙をこらえて「ここの家に集金に来ると、いつもおばあちゃんから『寒くて暗いから自動車に気をつけてお帰りになってね』とか『暑いから体に気をつけて』とか、色々注意をしてくれて、そして何時も『ご苦労様、コーヒーでも飲んでいって下さい』と言って500円下さるんです。お金を下さるとかではなく、本当に心からお礼を言ってくださるし、だからお宅には集金に来るのを誰も嫌がらないんです。何かありましたらお手伝いに来ますからここにお電話ください。おばあちゃんに『ありがとう』と言います」と言って下さった。

私のいないときに時々母を訪ねて下さるご近所の方にも、ご連絡をした。

「私達夫婦は上田さんのおじいちゃんやおばあちゃんみたいになろうと何時も話していました。お悔やみは言いません。『ありがとう!』と言います。世界に向かって『こんな善い方が自分たちの近所に住んでいました!』と大声で言いたいです。『本当にありがとうございました』」と感謝してくださった。

母に会ったことのある学園の卒業生のノロタやタッチも、「特別なことを言われたわけじゃないけれど、おばあちゃんの言葉は心にズンと入ってきた。おばあちゃんに『有難う!』と言いたいです。」と。

会う人会う人、母と会えたことを感謝してくださる。そして母との思い出話を色々して下さる。それを聞きながら改めて母を尊敬し、そして襟を正して生きていこうと思わされる。

一人暮らしをすることになった私を心配して兄達が、「『学園の子供たちのために頑張りなさい!』と、お母さんがくれた大切な時間。お母さんにもっと色々なことをやって上げればよかった等と、後悔することは何もないから。それより、こんなすごい親に育てられたのだから、親に感謝して、親に負けないように俺達も人のために生きような」と励ましてくれる。

2日間だけお休みを頂いた。
雑務をこなしながらこの2日間、自分の仕事について反省し、考え、ここ数年「私、どうしたのかしら?」と不思議に思うほど、明確に描けなかった未来の上田学園図が、「この方向に持って行きたい」というビジョンとともに、見えてきた。そんな中で改めて確認させられたことは、昔からの言い伝え通り「親の仕事は、子供に親の背中で教育する」。即ち、親は「自分の生き様」、「生き方」を子供に見せることが子供に対する教育だと。そして何処の大学がいいとか、就職が有利だとか、そんなことは子供に任せればいいことで、余計なことだと。その余計なことを親の仕事として一生懸命やりすぎる反面、しっかりと子供に見せない「親の背中」。それが子供を駄目にしていると。

親子であっても人格は別なように、幸福か不幸かの考え方も個々で違う。だからこそ親の仕事は、どんな時代になってもどんな状況になっても、一人で生きていけるように毎日の生活を通して親の生き様、親の生き方を子供に見せて育てることだと。子供が育っていくために必要なサンプルの一人として。

親の行動を大人のように理解させようと、子供を大人扱いにし、友達のように対応しようとする親が多いように思うが、親と子は幾つになっても、どんなに仲が良くても、親と子であり、友達みたいにはなれるが、絶対友達ではない。だからこそ、親の生き方を言葉で理解させようと努力することは、無意味。それ以上に「納得してもらおう」「理解してもらおう」と、子供に説明しなければいけないような生き方は、するべきではないと考えている。

親になることを選択したその時から、選択した事実に対し発生した責任。その責任を全うするために、ただただ真っ直ぐに人として生きる。それは親が親として子供に出来る、またするべき一番の教育だと信じている。

教師も親と同じだ。
教師は教えることは当たり前のこと。当たり前のことを重要視することは、ない。教師という仕事を選択したら、当然としてついてくる条件だからだ。

教師として最も重要なことは、各教師が自分の「生き様」「生き方」を生徒に真正面から「ぶつけられるか?」だ。そのぶつけられた先生の「生き様」「生き方」から何を学び、どう自分の人生の糧にするか。それが各学生に課せられた学びであり、学びの結果でもある。そのために、何に対しても興味を持ち、自分の頭で考え、どんなことにも臆することなくチャレンジ出来るように指導していく。上田学園の仕事の一つでもあると考えている。

「親の背中を見て子供は育つ」と昔から言われていることは、誰でも知っていることだ。それと同じように、答えの正否を教えることだけが教師の重要な仕事ではないということも。

学生は「教師の背中を見て教育される」のだが、それを上田学園の卒業生が証明してくれている。だからこそ今まで以上に自分の「生き様」や「生き方」を考え、何があっても真正面から学生達の問題と向き合っていくつもりだ。先人の親達や教師たちの「生き方」「生き様」を参考にさせてもらいながら、彼らが子供だった私達にしてくれていたように。


 

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