●学園長のひとり言

平成22年9月16日

上田学園大家族圏構想

東京大学より日本大学の方が上だと信じるアジアからの留学生や、教師の出身大学はどこでもいいから「日本語がうまくなるように教えて!」と実を取るヨーロッパやアメリカ人の学生相手に、顧問には「有名な大学教授をお迎えし、学歴の高い先生を揃えて」と、現場を担当する教師と研究者は違うと思うのだが、そんなことに躍起になる日本語学校に違和感を感じ、学生に役立つ日本語教育を実践する場所として、平成4年にレッツ日本語教育センターを設立。

そろそろ両親のどちらかが外国人の子供の日本語教育を開始しようかと考えていた平成9年、日本語教師養成に出向いたロンドンで日本人の若年留学生の問題を目の当たりにし、お金があるからと言ってどうして日本人の子供の問題をイギリスの皆さんに押し付けていいものかという思いで、フリースクール上田学園の設立を思い立った。

外国人の日本語教育にはそれなりに自信はあったが、学校をつくることには全く自信がない中、「子供が大好き」と言う理由と、10年、20年前の日本のような国や、10年、20年後の日本を想像できるような色々な国に住み、その中で外国人という立場で、教養も考え方も全く違う国籍の異なる人たちと接し、また、日本語を教えている学生達を通して考えさせられていた「教育」「国際人」「社会」「国」「思いやり」「愛情」「家族」などを基に、これからますます身近になる国際社会で、価値観も複雑になるだろうことが予想されのに、隣の人と同じにすることで安心を得がちな日本人だからこそ、変化をとげていくこれからの社会では、自分の立ち位置がしっかり確保できなければ苦しいだけの人生になるのではと考え、自分の人生を終えるとき、「自分は一生懸命生きた、満足だった!」と、納得して人生が終えられるようになって欲しいと願い、年齢・経歴・職歴の全く異にする先生方に助けて頂き、上田学園を設立した。

その上田学園もこの10月で設立14年目に入る。
12年を一巡りとするのであれば、その一巡りの12年を終えるころからの2年間は、公私共に、次にステップアップしていくための時間だったと思えるほど、心が萎えたり高揚したりしながら上田学園の継続も含め、色々考えさせられたり反省させられたりの連続だった。

その間、卒業生たちは彼らなりに着実に社会人として成長し「先生頑張れ!」と応援してくれていた。

彼らの話を頼もしく聞きながら、彼らの先輩の社会人としても、人生終えるときに「一生懸命やった、満足だった!」と言えるようにと願って育てた卒業生達に対する責任者としても、改めて、自分の人生を納得して完結したいという思いで、「同じところに留まってなどいられない!!」と次のステップへの模索を始め出したときに母親の死にざまを目にし、また「大切なお子さんたちをお預かり出来る幸せに、感謝をしなさい」という母からのメッセージを聞き、学園の先生の「年を取ると経験値が高くなるそのぶん、経験値にしがみつき『だから、それは不可能!』と、子供の夢をつぶす人が多いよね。教育者にも多いパターンで、『あの時の学生はこうだった』とか言うけれど、今の学生を基準に考えるべきだと思う」というご意見に、美貌(?)が崩れて煤けたようになっても仕方がないけれど、心にたまった煤払いをしなければ、心がぼけて“心が年取る”と、思わず反省をしてしまった。

時間のたつのはありがたい。この間まで生徒だった卒業生たちまでもが、先生達と同じような力強いアドバイスをしてくれる。彼らのアドバイスを聞いているうちに、説明できないワクワクした気持になり、上田学園を設立した当初からずっと持ち続けていた“上田学園構想”を学生達のアイディアを元に、実現したいという気持ちが大きくなっていった。同時に不思議なほど、会う人会う人からも色々な気づきを頂き、頭の中で考えていることが、じょじょに具体的な言葉になって出てくるようになった。

そして今、日本語を勉強に来る外国人の学生や営業マン、昔の先生など、色々な方々までもが頭にたまった煤を払ってくれようとでもするかのように、思いがけない刺激を与えて下さる。その度に感謝の一言が、心の底から湧きあがってくる「ありがとうございます!」と。

人、場所、お金。色々な難問が考えれば考えるほど、ブレーンストーミングをすればするほど、大きな問題としてのしかかってくる。しかし、実現をすることが難しいから「夢」で、その難しいことをなんとか打ち破って実現した夢だからこそ実現したときの嬉しさは何よりも心を満たすのだということは分かっていても、思わず大きなため息をつきたくなることも、しばしばだ。そんな時に、在学していた時と同じように「日本の首相になりたいという夢を持つ日本人より、アメリカの大統領になりたいという夢を持っている日本人の方が、俺はすごいと思う」と、ひょうひょうと話す成チェリンの言葉に、背中を押されたような気持ちになり、私のテーマソング「♪ガンバラナクチャ〜、ガンバラナクチャ〜♪」と、思わず歌ってしまった。

上田学園最初の12年間は手探りをしながら色々学び、体験し、考えさせられた12年間だった。

一般的な方々にとっても「不登校」とか「ひきこもり」の問題は、まだまだ「対岸の火事」的な時代だったと思う。しかし、それがいつの間にか“不登校”も“引きこもり”も社会的に認知され「困ったわね・・・?」と言いながらも、どこかで「赤信号、皆で渡れば恐くない!」という状態に変わっていった。しかし、気づけば50%近くが30代という70万人の“ひきこもり”と、その予備群が155万人という調査結果が出るほど、目に見えてひきこもる若者が増え、「困ったものだ」などと悠長なことは言っていられない時代になった。

これからの上田学園の12年間はこの最初の12年間の上に、新しく作られる。それも、この12年間を支えて下さった先生方や卒業生たちと一緒に。

嬉しいことに、卒業生が理想とする“未来の上田学園図”と、私が考える“未来の上田学園構想”は、ほとんど同じだ。卒業生の成チェリンの言葉を借りれば「上田学園大家族圏構想」の実現に向かって、頭の中にたまった役に立たない煤を払いながら素直な心で、先生方・卒業生・その他の皆さんのお知恵を拝借し、夢の実現に向かって作戦を練りあげていこうと思う。

学生、先生、卒業生、そして学園を応援して下さる方々、皆さんにご協力頂きながらつくる“未来の上田学園”。
世界中が今まで以上に予測不可能と思えるような流れの中、また、どう変化していくか想像も出来ない日本の社会。そんな条件下にあっても、学生には今まで以上に納得した人生を送って欲しいという願いを込めて、例え、行きつ戻りつであっても、夢の実現のために最後まで努力を惜しまず歩き続けて行こうと考えている。

 

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