●学園長のひとり言

平成22年11月3日(水)

学生達としたいこと!

学生に助けられ、時には迷惑がられながらコンピューターの操作をする。

操作がめんどうでよく分からないからと、出来る人に丸投げしてしまうのは簡単だが、それをしたら、デジタル機器には手も足も出なくなる。例え迷惑がられても教えてもらいながら自分でやったほうが、ボケ防止の一つにもなるだろう。そう考え、ショボショボする目に耐えながら、頑張ってコンピューター操作をする私に、「早苗さん、よくやるわね〜〜」と、のんびりした、でも感心したような言葉か返ってきた。彼女は絶対コンピューターも携帯も持たない、今時珍しい人なのだ。

彼女とは30数年来の付き合いだ。彼女も私と同じ日本語の教師。アルゼンチン、マレーシア、トルコ、モンゴルの大学で教え、現在はロシアの大学で教えている。友達としては、笑いじわが出来るのを心配するほど楽しい人だし、日本語教師としては、一流中の一流だと尊敬しているのだが。

世が世なら絶対友人になれない高貴なご出身のお嬢様だった彼女は、いつもニコニコと穏やかでのんびりしているが、見かけとはちがい、自分の意見はしっかり持っている。コンピューターと携帯電話を絶対持たないというのも、その一つだ。

私の周りで携帯もコンピューターも使わないのは彼女だけだが、古いとはいえ、使えるワープロがあるのだからワープロ用インクリボン入手が困難でも、手に入るうちは絶対古いワープロを使い続けるし、公衆電話数が減ったとはいえ、まだ存在しているので、それがなくなるまでは携帯電話も持たないと決めているのだとか。

そんな彼女を心配した彼女のお知り合いの御嬢さんが「いくら携帯やコンピューターを使わないと言っても、おばさま、CDはご存じよね?」と言われ、「勿論それくらいは知っていますよ。CDって、クリスチャンディオールのことよ!」と澄まして答え、呆れられたとか。

そんな彼女の話に、そこにいた皆で大笑いをしてしまったが、機械に弱い私は、笑いながら「他人事ではないわ!」と冷や汗もかいてしまった。

若いってすごい。
年寄りは、コンピューターを壊したらお金がかかるとか、大切な情報が消えたらと心配して、何かあると手も足も出なくなるが、学生達はお金のことも壊れることも、考えない。情報が消えることもあまり心配していないように見える。どこでも押してみる。何でも試している。だからこそ、ゼロからコンピューターを始めた学生でも習得が早いこと早いこと。その早さに「若いっていいわね」と、抵抗したくなるような言葉が無意識に口をつき、脱帽している。

上田学園には中学3年生の学生がいる。
コンピューターはゲームで使用するだけだったとか。でも学園では情報集めや報告書などに使われるので、少々戸惑い気味。それでなくても学園の授業は義務教育にないのが多く、毎回困ったような顔をして授業を受けている。

「今の君が考えられることを、間違えてもいいから言ってご覧なさい!」と言われても、0点か100点の中で教育を受けてきた彼にとっては、間違ってもいい答えなんて、絶対答えられないようだ。おまけに、どんな経歴や学歴を持った学生でも、まず学園で最初に経験する「何が分からないかも、分からないんです!」状態の段階にいるのだから、仕方がないのだが。

コンピューター操作は、多分私の方がどんなにモタモタしていても、ノートのメモ通りの順番で何とか操作していても、今の彼よりは上手だろう。

モタモタしている彼を見ていると、ちょっと優越感を持って彼の頭をナデナデしたくなる。可愛くなる。でもそんなことを言っていられるのも今のうちだけだろう。ぐんぐん私を追い抜いて、今年中にはきっと上手に使いこなしていくようになるはずだ、今までの学生達と同じように。

若いということは素晴らしい。
訂正したり軌道修正したりする時間も学びになり、将来の自分に役立つ知恵の種にもなるのだから。だからこそ、何も恐れず何でもトライして欲しいと願う。

しかし、コンピューター等の操作には強い彼らも、実際に行動させようとすると、出来ない。そして「メンドッチイ!」とか「めんどくさい!」とか「気が向いたら、やります!」等といいながら、動かない。

そんな彼らを見ていて気が付いた。「メンドッチイ」「めんどくさい」「気が向いたら、やります」等という言葉をコンピューターの“スペルチェックと文章校正”にかけると全部、「見本がないから、出来ません。」「出来ないと知られたら恥ずかしいので、行動に移せません。」等に、訂正されるだろうと。

若者の特権は、成長していく過程で間違いをすることが次のステップにつながる“学びだ”ということであり、それが世間に認識されていて、何か問題を起こしても許される許容範囲が大きいことだろう。そんな“過程”を歩いている人間が、まるで成熟し、何でも知っているように振る舞う必要はない。そんな振る舞いは若さを否定しているとしか思えないし、恰好悪いことこの上ない。

「知ったかぶり」も、「ええ恰好しい」も若者がしたがるのは確かだし、誰でもがその時代を通りこして大人に成長していくのだが。

「これは個人の自由ですから」と、“個人”を連呼し、権利を主張するが「若者の特権」を行使せず、むしろ否定し「穏やかな老後を!!」みたいな人生を送ろうとする若者の考えには、出来るものなら「穏やかな老後を送りたい」年齢に入ってきた者からすると、理解できないのだが。

世の中は広い。世界は本当に、広い。
学校の中の小さな教室で、まるで暗記競争のような勉強で「成績が上がった!」と満足して終わるのではなく、何にでもチャレンジして欲しいと願っている。それも、計算外のハプニングにも対応できるような、柔軟な頭と心を持って。

今の若者は可哀そうだとよく言われている。何しろ「就職は氷河期」で、どんな大企業に入っても、昔のような保障がもらえないからと。

でも見方をかえれば、こんなに自由で面白い時代はないし、こんなにチャンスがたくさんある時代はないと思うのだが。それが信じられない人は、例えば、ファッション一つとっても、現代がいかに「何でもあり!」の時代かを理解するだろう。

男は男らしい紺色かダーク色の背広と白のワイシャツにネクタイ。髪は清潔に短く等と言われて、全員が同じ格好をしていた数十年前。今は男性でも女性のような花柄を着、髪の毛を伸ばしたり、ピアスをしたりする。

女性もしかりだ。
呼び名こそ今風で恰好いいが、やっているスタイルはズボンの上にワンピース。シャギーカットは、貧しい長屋のおばさんや子供達がしていた散切り頭。マニキュアが無くなり、買えないので、持っている残りのマニキュアを「捨てるのが勿体ないので、塗ってみました!」状態の、爪など等。昔だったら、絶対「あの人、頭がすこし変じゃない?」と、白い眼で見られるようなファッションが、現代では一番新しいファッションなのだ。

そんな自由なファッションを楽しんでいるのに、それが大学や就職になると、昔のような古い考え方になり、「大学→いい会社に就職→安定した生活=理想の人生」というパターンから抜け出せないでいる。

ちょっと視点を変え、皆と同じ方向からではない自由な見方をしたら色々なチャンスが見つけられるのに、何故か全員同じ方向から同じものを狙う。まるで変化が起こることを受け入れたくない老人のように。

若いということは、素晴らしい。
例え見本がなくても、チャレンジする精神。若くて周りが見えないから出来る強みで、がむしゃらに前進してはひっくり返り、そしてまた起き上がって前進する。そんな正当なる「若者の特権」を謳歌して欲しい。

若者らしく、でも柔軟な頭と心で色々な体験をしていって欲しいと願う。だからこそ、学園の中で起こることは全部学びにかえ、そしてたくさん失敗をし、その失敗をただ「失敗!」とするのではなく貴重な経験として、知恵にかえていって欲しい。

整備されすぎた環境ではない上田学園。いいことも悪いことも全部学生達にぶつけ、学生と一緒に解決していきたいと、考えている。

 

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