●学園長コラム

平成22年12 月8日(水)

卒業生がイグアナになりました。

いえいえ、決して本当のイグアナではない。演劇の勉強をしている卒業生が舞台でイグアナになったのだ。

頭の回転と行動と言葉がばらばらで、何を言いたいのか分からなかった。聞く側がつねに彼仕様の翻訳機械を頭の中に用意して、しっかり話しを聞きながら話を組み立て直し、不足しているだろう語彙をその行間に埋め込む。それから理解するという器用な方法でしか彼とは話が出来なかった。

勿論入学した当初よりは随分頭の回転と行動、そして話が一致しだしていたはいたが、それでも彼の話が前より理解できるようになったのは“慣れ”もあったと思う。

心根は本当に綺麗な学生だった。それがなかなか他の人に分かってもらえない。むしろ言葉数が少ない、その少ない言葉が余りにも真実をつくため、刃物のように感じる人も多かったと思う。

心配した。特別視しなくてもいい、彼の本質を見抜いて愛でてくれる人の間で生きて欲しいと願っていた。

仕事は何でもいい。だが頑固な彼は、納得のいく仕事が見つからないと・・・。だからどんな仕事をしてもいいから・・・・。でも「難しいかな?」と、 本音で思っていた。

上学園は3月31日まで授業がある。それまでは就職活動が出来る状況ではない。また、一生のうち勉強が出来るのは学生時代だけ。おまけに上田学園を選択した時点で、いわゆる一般的には普通の路線から外れたのだから、1・2年就職が遅くなってもあまり変わらないと考え、「勉強を最後までする。就職の話は4月1日からしか殆どしない」というスタンスでいる。

しかし、卒業が近づくにつれ心配はしていた「考えはいいけれど、通じるように話せないからなあ・・・」と。

無事卒業した彼は映画の配給会社などへの就職を希望していたようだが、教師間では服装のセンスがいいので、アパレル関係への就職かな?という話も。

そんな先生たちの意見を聞きながら、営業は「無理!」、言葉で。事務職も多分「無理!」。鉛筆だろうがペンだろうが、「筆記用具を持ってする仕事は苦手だろうし・・・」等と勝手に考えていた。

卒業する学生達の進路に関しては「神様が存在する」と思うほど、不思議な縁が出来、不思議なことも重なり、学生達の人生で一度として考えも、想像も、思いもしなかった方向に進んでいくが、彼も先輩達と同じように思いがけず“演技をする”という道に縁を見つけた。それも海のものとも山のものとも分からない最初から、演出家の山崎哲氏は彼の純粋な心根を愛でてくれ、厳しくも大切にして育ててくれた。

そして無事2年が過ぎ、学生時代より勉強をし、たくさんの本も読み、ビデオをも見る。

役に対しても、演劇一般のことも、彼なりに本当に研究している。
その様子は頼もしい限りだ。

舞台の彼は本当に自然体。だが舞台から降りると相変わらず頭の回転、行動、話が時間差でずれていることは、まだある。そんな彼がイグアナになっていた、舞台の上で。

彼の舞台を見ながら色々考えさせられた。上田学園の授業は生徒にとって「正解!」という思いと共に。

卒業してそれなりに自分の納得のいく仕事をしている卒業生たちを見てみると、全員、在学中に何回もバトルを繰り返した学生達だ。そう、バトルを。

彼らの思う通りにならない授業・先生・時間割り、などなど。普通の学校のようにお膳立てされているものは、殆どない。あるのは、問題もふくめその時の現実と事実だけだ。その中で、学生達はある時はガッカイリし、ある時は思った以上に評価され、ある時は、好きなものが好きではないと気付かされたりしながら、学校や先生とバトルを繰り返しながら学んでいく。

気持ちをアップダウンさせられながら自分の思う通りにならない社会や、思い通りにならない自分との闘いを強いられるのは普通のこと。だからこそ今苦労してでも、社会に出てからしっかり闘える力を育んで欲しいという思いで、彼らを見守る。

自分の思惑と実際の評価の差を自分で調整出来る力をつけていけたら、実社会に出てから同じ大変でも“楽しい大変”であり、未来につながる“価値ある大変”になるだろう。だからこそ学生をお客様扱いにはしない。一緒に問題を見つけ解決しながら、学んでいきたいと考えている。

最近、お手伝いの卒業生ナルチェリンに薦められて読んだ「おせっかい教育論」の中に、教育がビジネスになり、「オレにとって気分のいい教育はどうあるべきか」という問いばかりが語られる。また、ビジネスになった教育は「消費者の言い分を聞く」。それは、消費者のニーズに配慮しなければ商品が売れないからだと。

その本を読みながら、「そうだ、そうだ!」と何度頷いたことか。

教育が1+2+3=6などと、計算式通りの答えが出ればいいが、そうはいかない。なぜならば教育は人間相手だからだ。

人間はどんなに似ていても非なる者だからだ。いくら詳細に計算し、消費者である学生や親のニーズに100%答えよとしても無理なのは、そのためだ。それを消費者の学生も親もしっかり認識していないと、現実からも時代からもおいて行かれるだろう。

これからの時代、日本も世界もどの方向に向かうのかは分からない。読めない。その読めないものに一喜一憂するよりも、どんな時代になっても、どんな状況になっても、自分のやるべきこと、自分がやらなければならないことを責任持って出来る人間になることが、これからを生きて行く上での強い武器、強い味方の一つになるだろう。そのための学びが上田学園の授業なのだ。

上田学園は学生達に寄り添って応援していく。でも学生達の思う通りには、ならないだろう。なぜならば、上田学園で学んだことを武器にし、一人で上田学園の壁を乗り越え、社会の壁も乗り越え、自分の夢に向かって前進して欲しいと願うからだ。納得した人生を送って欲しいと思うからだ。

イグアナになった卒業生は次のステップに向かって駒をすすめていくようだ。
そんな彼を見ながら、改めて上田学園の役目を再確認している。

 

 

 

 

 

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