●学園長コラム

平成23年12月09日(金)

心の悲鳴、過去からの卒業

 


7年前のある日、学園卒業生である弟に紹介されて、引きこもって3年経つという27歳になる男の子(?)が入学してきました。

頭はぼさぼさ。上目使いで人を見上げるその目は、不信感と不安感の交じったとても悲しそうな目をしていました。しかし話をすると、確かに落ち着きはありませんでしたが、敬語を使い丁寧に話をする学生でした。

頭も決して悪くなく、心根もとてもいいまっすぐな性格の学生でしたが、午前中の授業が終わると、飛んでどこかに行ってしまったり、まだ授業が終わっていないのに、「失礼します!」と、さっさと家に帰ってしまうので「大丈夫かな?」と心配することもありました。しかし授業や友達に慣れるに従い、少しずつ学校にいる時間も長くなっていくように思え、「何とかなるかな?」と考えていた矢先、突然何の説明もなく学校から逃げるように故郷に戻って行きました。

上田学園に在籍したのは実質7・8か月位でしたが、その後は年に2・3回、1週間くらい学園に遊びに来てくれ、一緒に食事をしたり、授業を受けたりしておりました。時々電話やメールで近況報告をしてくれたりもしておりました。

そんな彼から、今年も例年通りに東京に来るという連絡が入りました。が、今年はちょっと例年とは違っておりました。卒業生の成瀬君が学園を手伝っていたように、彼も何かお手伝いをしたいというのです。そして、新しい学生の役に立つかもしれないので、自分の過去から今までの話をしたいので60分位でいいので、時間が欲しいと言うのです。

彼の申し出には正直、驚きました。確かに、ここ数年間は年に数回会うだけでしたが、会うたびに、彼の心が落ち着き、穏やかになってゆくのが分かり、とても嬉しく思っておりました。しかし、学園のために何かをしたいという申し出をしてくれるとは、全く考えたこともありませんでした。

話の内容は、どんな経緯で上田学園に入学し、そして現在何をやっているのかという「自分の過去から今まで史」でした。

34歳になった彼は、準備してきたメモを見ながら一生懸命語ってくれました。
小学校から高校までいじめられていたこと。そのピークは中学2年生。親も周りも誰も気づいてくれず、理解してくれない。ただただ殴られ、罵倒され、そして無視され続けたと。

芸術系の短大に入ってからは、いじめられることは無くなったが、在校生の90%が女子学生。相変わらず誰からも相手にされなかったが、そうでなくても10%しかいない男子学生は肩身がせまい。絵を描いていると幸福だったので、居心地が悪いとはあまり思わなかったと。

短大を終え、専科を出、そして仕事へ。
人付き合いは相変わらず苦手。そして「自分が悪いのだから仕方がなかったのですが」と言いながら、口のきき方が気に入らないと上司に怒鳴られていたこと。

つらくて、つらくて辞めたくても「そのくらいで辞めてどうする!!」と父親に恫喝されていたこと。ある時、我慢の限界に達し、東京へ家出。でも行くところがなく、数日で実家へ。戻った実家では、思いがけず両親の離婚問題。
そのことが原因で、折り合いが悪かった父親との仲がますますこじれてしまったこと。そして父親と大喧嘩のあと、離婚した母親と一緒に母親の実家へ。
おばあさんと3人での生活を始めると同時に、工場へアルバイトにも行き始めたこと。

2年間働いたその工場でも上司にいつもいじめられ続け、最後は土下座までさせられたこと。人間不信から、ひきこもったこと。ひきこもっているのを心配した弟の勧めで、上田学園へ。

上田先生が良くしゃべるので驚いたこと。でも、何かが他と違うと思ったこと。
今まで出会ったことがなかった人達だと思ったこと。そして上田学園の学生に。

1年弱で、心配をかけ続けたおばあさんが認知症になったことを知り、介護をしたくて家に戻ったこと。その後、お母さんも仕事で独立。おばあさんも亡くなり、一人残され、どうしていいか分らなかったこと。その後、弟の仲裁で父親と和解し、7年ぶりに実家へ。

悩みも心配ごともたくさんあるが、実家の商売を手伝って数年経つ今は幸せだと。そんなことを洗いざらい真摯に語ってくれました。

彼の話を聞きながら、彼のことが全く分かっていなかったことが分かり、自分の“おごり”と、理解してあげられなかった彼の“心の痛み”。本当に申し訳なく思いました。

いじめの問題が言われ始めてから久しくなります。他の学園生からもいろいろ聞いておりましたが、でも、彼は家の中でも一人、外でも一人。どんなにつらかったかと、胸が締め付けられ思いがしました。

そんなにいじめられていた彼でしたが小・中・高と皆勤賞をもらっていたと聞いておりましたので、質問してみました「よく休まず頑張って学校に行ったのね」と。

「友達に怪我をさせてしまったことがあって、そんな自分、人からどんなにいじめられても我慢しなければと思ったんです」と。

怪我の内容は擦り傷程度だったそうですが、それでも彼はそれを申し訳なく思い、一生懸命学校に通っていたようです。そして、おばあさんが認知症のようになり、お風呂から出ることも忘れるようになったと聞いて、介護をするために家に戻り、弟からもお母さんからも「よく世話をしてくれた」と言われるほど一生懸命お世話をしたようですが、それでも迷惑かけどうしだったのに介護が十分出来なかったと、「今でも心が痛みます」と話してくれました。

人を一度も悪く言いません。むしろ自分が悪いのだからと言い、一生懸命我慢をし、そしてやっと自分を支えていたようです。そして、年に数回遊びに来てくれるようになった最初の数年間、帰るときにいつも「先生ありがとう!」と大泣きしながら帰って行ったあれが、彼にとっての過去から卒業する準備だったのだと気づき、もっと早くに彼の心の悲鳴を聞き取ってあげられていたらと、後悔ばかりです。

まだまだ発展途中の彼です。でも心の優しさ、綺麗さは誰にも負けません。
7年もかかりましたが、彼は彼の悲しい過去を後輩に話すことで、過去から完全に卒業出来たのではと思います。そんな彼だからこそ、彼は彼の歩幅で、今までよりもっともっと彼らしく生きて行って欲しい。今まで以上に幸福になって欲しい。その為に、私はずっと彼の応援団をしていくし、その為に、上田学園があるのだと考えております。

改めて思います。生き方も考え方も職業も異にする先生方の生きざまに触れながら、年齢、性別、経験、学歴の全く異にする上田学園の学生達。
お互いを反面教師として学んでいく。それがどんな人生になろうと、自分で自分の道をたくましく切り開いていき、人生終える時「一生懸命生きた、満足だった」と言えるようになるため、学園生が学園で学ぶ学び方の一つでもあると。


上田学園 学園長  
上田早苗



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