上田学園を卒業してから早いものでもうすぐ3ヶ月が経ちます。

ご無沙汰しています。皆さんお元気ですか。

 

2年暮らした東京から離れて、明日で丁度2ヶ月。うぅ〜ん。時間が経つのが本〜当に早く感じる今日この頃です。

昨年の末辺りから悩んでいた「卒業後の進路」。悩んで悩みまくって、先生方、友人、知人に相談しまくっても結局、

東京に居る間には出なかった「進路」が決まったので、今日はそのご報告をしょうと思います。

本当のことを言うと、東京に居る間に殆ど結論は出ていました。でも自信がなかったし、踏ん切りがつかなかったので、

周りには「沖縄に帰って2,3ヶ月ゆっくり考える」と言っていました。

 

沖縄に帰って来てからは、たかだか2年しか東京に住んでいなかったにも関らずいつの間にか東京の生活に馴染んで

いた自分に驚きました。時間の流れの違い。言葉の違い。方言や訛りは別として、同じ日本語だけど、ニュアンスや

意味が微妙に違っている。物価の違い。食べ物が安い!。新聞はマジでビビりました。地方はそうなのかも知れないけど、

記事の完成度の低さ。本当に驚くました。記者が読者に何を伝えたいのかがさっぱり分からない。伝わってこない。

中央の新聞も意味の分からない記事は沢山あったけど、ここまで酷くなかった。色々な意味で中央と地方の違いを

沖縄に居たときには感じられなかった違いを感じられて新鮮な体験でした。特に沖縄なんかは底辺だし。

 

そんな新鮮な体験をしながら20日間が過ぎ、一人でタイに1ヶ月間遊びに行くことにしました。一人で海外に行くのは

初めてだったので不安な気持ちがありながらも、「タイには2回も行ったし彼女も知り合いもいるから大丈夫だろう!」

と思い出発。そして何事もなく無事に楽しい1ヶ月を過ごしてきました。彼女や友達と遊んだりする以外は

言葉も通じないので本当の意味での一人。東京で一人暮らしとをしていた時とは違った意味の一人だったので、

自分と話をする良い機会になりました。将来のこと、昔のこと、お世話になった人たちのこと、友達のこと、家族のこと、

彼女のこと、自分のこと、などを色々考えました。凄く意味のある1ヶ月間になった気がします。

 

沖縄に帰って来て燻っていた気持ちがハッキリしました。年末から悩んでいたこと。そう卒業後のこと。

自分は16,17歳の頃から何となく教育に興味があって、その気持ちが次第に大きくなって「学校を創りたい」

と思うようになっていきました。卒業後の進路も「将来学校を創るには俺は何をしたらいいんだ?」と初めの頃は

悩んでいました。どういう学校を創りたいのか考えてみたり、その学校で何がしたいのか自分なりに色々と考えて見ました。

でも全然、全く1ミリも具体的な考えは出ないし、案さえ出ない始末。それまで以上に悩んでしまいました。「俺は学校を

創りたいと思っていながら具体的な考えが全く出ない。これはどういうことだ?」自分一人で考えていてもらちが

明かなかったので、先生方をはじめ、友達、家族に相談してアドバイスは頂いたものの、はっきりしない。

ある友達からは「お前のやるべきことは他にあるんじゃないの!」と言われて・・・う〜ん。わからん。

 

考えても答えが出ないので考える方向を変えてみました。自分に聞いてみることに。「お前はどうして学校が創りたんだよ?

コラ!答えんかい!」

学校を創りたいと思うきっかけになったのは自分の体験が基になっていました。自分は小、中学校(義務教育)を合計で

3ヶ月程度しか行っていません。横並びであったり、自分の思ったことを言ったら自分勝手とすぐに言われることが嫌で

行きませんでした。(詳しく書くととんでもなく長くなるので簡略します。でもちょっと簡略し過ぎです。)

そのときに友達がもっと欲しかった。(勿論近所に仲の良い友達はいましたが)勉強がしたかった。同年代の中に

居たかった。特に勉強というのが大きかった気がします。小さいときから何にでも興味旺盛で、(子供だから当たり前だけど)

何か分からないことがあるとすぐに「何で?どうして?」と親を度々困らせていたそうです。

中学生の頃に父の仕事を手伝っていて、作業用の建物を造ったときに建築学(数学)に凄く興味が出て楽しくて仕様が

ありませんでした。そのときに周りの大人に分からない事を聞いたのですが答えられる人は残念ながらいませんでした。

「もしあのときに誰か教えてくれる人がいたら俺の人生変わっていただろうな」と年末の頃は思っていました。

 

要は小中学生の頃に自分があまり満たされてこなかったから、そんな思いを他の人にしてほしくない。というちょっと

傲慢な思いから学校を創りたいと思うようになったんだと思います。自分を救えないような奴が他人を救えるハズが

ありません。自分を愛せない人が他人を本当に愛せないのと同じです。第一自分の場合は自分が勉強して欲求が

満たされたら学校を創りたいと思う気持ちが消えてしまいそうでなりません。自分がどうして学校を創りたがっていた

のかが分かったので、気分スッキリ晴々とした気持ちになりました。

 

気持ちが落ち着いて来ると次にやりたい事が向こうの方から不思議なことにやってくるみたいです。

悩みが解決しそうになっていた頃に「農業」というキーワードが浮かんで来ました。「何で今更農業?」

という思いもあって初めのうちは戸惑いましたが次第に「結構面白いじゃん!」と思うようになって行きました。

実家が農家なので、学校に行かない間は畑が学校的な環境で自分は育ってきました。ですから今すぐに

資金さえあれば一人立ち出来る位のノウハウはあります。(マジです) でも、つい3年位前までは農業は

嫌いでした。臭い、汚い、低レベルな職業などなど。世間一般で持たれている様な印象と同じものを持っていました。

でも、今は誇りを感じています。だって人間が生きる上での基礎に成る食べ物を作る仕事ですから、子育てに匹敵する

位いい仕事だと思っています。

 

これから2年間は実家で働いて資金を溜めて、2年後を目処に大学に行きたいと思っています。念願の勉強を本格的に。

出来れば海外で農業に関する事を。勉強と言っても今まで一度もした記憶はなんですが・・・英語も漢字も上田学園に

居た2年間も勉強をしたという気はあまりしません。まあ勉強の定義がよく分かっていないのですが。上田学園に居た

2年間は大変だったけど、自分の中では勉強をしたという気があまりしたい。何故だろう?

このことをある友人に話したら「それは勉強が好きなんだよ!」と言われて驚きました。実際の所どうなんらどう?

自分自身わかりません。

 

農業には生産者ではなく、他の形で関っていけたらと思っています。どんな形になるかは分かりませんが。

いくらでも有り得ると思っています。なければ作ればいいし。

学校を創るころに関しては全然具体化できなかったのに農業に関してはいくらでも具体的になる。

農薬、科学肥料をどうにかしなかればいけないし、BSEだの鳥インフルエンザなどの安全対策。

ユニクロは失敗した通信販売での有機野菜の販売。物流から販売まで。などなど本当に広がりを

持たせたら止まらないくらいです。でも、もっと色々な事を知りたいし、知らなきゃいけないので大学に

行きたいのです。でも俺に大学に行けるだけの学力あるのかなな・・・?(苦笑) ガンバです。

 

長くなってしまいました。以上で報告をおわります。

この先、どんな出会いや出来事があるかわかりません。

それによって自分の向かう方向が変わる事もあると思います。

でも何があっても、その都度自分自身が最善と思える事をしょうと思っています。

 

知花 貫徹

2004年6月7日