怒ったこと

「何なのー!」
私が小学校3年の時の男の担任は言った。いつも怒ると吐き出す言葉。こっちが「何なのー」とつっこみたくなる言葉。
「何なのー」を吐き出された生徒には、頬っぺたを引っ張られるという体罰が、おまけに付く。
これけっこう痛い。 ほっぺた引っ張りを連続でくらうとあざができる。私も一度あざができたことがある。
あざができたことで言えば、宿題を忘れたり、物を忘れ続け、頭に机を叩きつけられた人もいた。普段も、宿題をやってこなければほっぺたを引っ張られるか、ぽっぺたをいじくられて変な顔にされていたずらされる。この教師は今で言ったら、体罰教師かもしれない。
しかし、担任は一見すると、それほど悪い教師には見えない。遊べる時間が多いからだ。担任はいつも授業の課題を出し、それをみんなはやる。一番早く課題が終わった人は、体育館、校庭が授業で使われていないかを確認しに行く。体育館、校庭が授業で使われていなかったら、遊びに行っていた。やることをやれば、遊びにいけるなんて、こんないいことはないと思い一生懸命にやる。1年間ずっとこの形を通した。
私は常に早く課題を終わらせなかった。課題を早く終わらせられなかったのか、若しくはやろうしなかったのかどっちかはわからない。
ただこの教師に対する反発があったのだろうと思う。反面、自分も一緒に遊びたい気持ちもあった。やはり学校全体が授業しているさなかに遊ぶという格別な心地よさがあったからだと思う。そもそも純粋に授業を受けるより遊びたいという気持ちの方が強いのだから、そうなってしまった。
課題を早く終わらせられない人は教室で課題をやることになっていた。いつも課題が終わらずに教室に残っていたのは私を含め4、5人。決まったメンバーといってもいい。みんなが体育館、校庭に遊びに行くと、担任の教師も同行していった。残った私たちは当然の如く、課題なんかやるはずもなく、話をしたり、私たちなりの遊びをしていた。
みんなが校庭、体育館で遊んでいる時は平安だった。校庭、体育館で遊んでいる人も、教室に残っている人もお互いのテリトリーの中で楽しめるというメリットがあったからだ。だが、体育館で遊んでいる人も、教室に残っている人が一緒になると最悪になる。
雨が降っていた日だった。当然校庭は雨で使えない。さらに体育館も使えなかった。生徒は不満だった。せっかくやることが終わったのに、教室にいるしかないからだ。
「ビデオを見よう。風の谷のナウシカの続きを」
まさにこの教室の空気を察知したかのようにタイミングがよかった。風の谷のナウシカの続きというのは時々、私たちのクラスだけ昼食の時間を使ってビデオを観ていたのだ。その続きを観るため担任は提案した。
「観たい!」「観よう!」すぐに生徒は反応を示した。こういうときの行動はとにかく早い。みんなすぐに机、椅子をテレビが観やすい方向に並べた。担任もそれに合わせて、テレビのスイッチを入れ、ビデオデッキにビデオを入れた。この素早い行動が生徒に人気の秘訣に思えた。居残りメンバーの私たちもテレビが見やすい方向に机、椅子を並べた。それが終わったら担任がやって来た。
「お前たちは、だめだ」担任は机、椅子を動かした。???。困惑した。
これじゃテレビが見られない。テレビの見える方向とは反対なのだから。
「お前たちは課題が終わっていないだろう」(それはそうなんですけど・・・)
担任は私たちから去って校庭、体育館のメンバーと一緒にビデオを見始めた。
「こんな状況でも課題をやれ?」と担任に対しての怒り、雨に対しての怒りがあった。でもどうすることも出来ない自分に対しても怒りがあった。今ここで、怒ったところで何ができるのだろう。かといって、テレビを観るのにテレビを観る方向とは反対にされても、怒ることも、これに対して何も言えないでいた。そんな状況の中に聞こえてくるナウシカの音声。ビデオデッキを破壊しても、他のビデオデッキを使えばいいし。でも壊したところで校庭、体育館のメンバーから恨まれるだけ。本当に何もできない。やることといえば、課題をやっているふりをするだけだった。
こんなことは1度だけで結構だと思っていたら、後にもおこった。今度はビーチバレー。私たちが課題をやっているときボールが飛びかってくる。ボールが頭にあたろうが、体に当たろうが怒れなかった。今にして思えば当時の自分に対してWHY?と言いたくなるが、言えなかったのだろう。屈辱であるのだが、怒ったところで、笑われると思ったのだろうか。それとも茶化されると思ったのだろうか。
この時ばかりは校庭、体育館のメンバーもさすがにまずいと思っていたのか、いまいち盛り上がりに欠けていた。もちろんその中には楽しんでいた人もいたが。その一人に担任が入っていたのは当然だった。なにしろ担任が考え出したことなのだから。
担任に対しては、もし今会うことになっても怒ることはないだろう。10年前だったら怒ったが。当時担任にされたことへの怒りは今も自分の中にある。ただその怒りを担任にぶちまけたとしても、担任と同じことになってしまうので、その怒りのエネルギーを当時の状況にならないための知恵に変えたほうがいいと思っている。

おぎわらべや目次に行く

生徒の部屋に戻る