タイ語も英語も喋れないタイツアー

新しい学生を募集するため、パンフレットを作った(ほとんどおっチャンだが)。そのパンフレットを何百枚か印刷して、不登校情報センターというところに100枚持っていったが、他に何処に何処へ持っていけばいいのかと思っていたが、その間に、11日間、タイツアー下見に行ってる間に忘れてしまった。タイに行ってる間はそのことはどうでもいいわけではないのだが、タイに行ってまでこのことは考えたくなかったからだと思う。良くも悪くも、タイにいる間は、不登校の考えても馬鹿馬鹿しいのだ。タイには、小学校だけで中学校に行けない子供がいっぱいいるからだ。一生、マイホームどころか、車も買えない人々だっていっぱいいるのだ。日本だったら、節約したり、なにか、ひとつ我慢すれば、高級車だって買えなくないもない。例えば、家買うのをあきらめたり、衣類を削減したり、食費を減らしたりすればけ買えると思う。タイでは、そういうことが出来ないギリギリの生活だからだ。もちろんそれと逆に、毎晩、高級車に乗って、遊びまわっているお金持ちもいるのだ。こちらの想像を上回るほどの。要するにものすごい格差がごくごく当たり前のようにタイにはあるのだ。別に、不登校に限らず、他の事でも一緒で、タイにいたら、どうでもよくなる。暑さと旅行の疲れもあったからでもある。でも9月に行ったので東京とそれほど気候は変わらなかったと思うが湿気は今回行った場所、何処でも東京以上に高かった。特に最初に行ったチェンマイでトレッキングツアーに参加した時が1番体に堪えたと思う。それが帰国までずっと尾を引いたと思う。
チェンマイはタイの北部(観光地)にあり、おまけに山岳地帯だから、多少涼しいと思っていたが、そんなはことは無く,兎に角暑かった。でも夜になると、山の方は当たり前だが冷え込む。その落差に、4人共やられたと思う。
だが、トッレキングで体調以上に参らされたのは言葉だった。それもタイ語ではなく英語だ。英語が使えない喋れないことがこれほど不便で、ひょっとしたら、言い過ぎかもしれないが喋れないことが、罪に思えた。(こんなこと思うのは、私だけかもしれないが。)詰まりトレッキングの参加者(13人)が私たち2人以外、みんな欧米系だったのだ。米、豪、英、スェーデン。その中に混じって、俺と成瀬は一緒にトレッキングに参加した。
トレッキング(タイ北部のチェンマイ)は主に山道というか、ジャングルに近いとこをひたすら歩く。その途中で、きれいな景色を観たり、滝で泳いだり、村に泊まったりする。さらにそこにタイならではの、像乗り、バンブーラフティング、などが加わる。タイ北部のトレッキングはこんな感じだ。コースも半日、1泊2日、2泊3日がある。私たち4人は、せっかくチェンマイまで行ってトレッキングに参加するのだから、2泊3日しようと決めた。4人一緒に参加するのではなく、2人、2人に分かれようというこで、おっちゃん、ヒロポンの2人と成瀬、俺の2人に別れた。行き先も変えた、俺たち2人参加するトレッキングの方がおっチャン達より行呈がきついところを選んだ。ツアーではどっちが使えるかわからないためだ。それに、2種類にしたほうがリサーチをするには合理的だからだ。この選択が結果的には、良かったと思う。
さて俺たち2人は初日から英語に参らされ、3日目(最終日)も変わることはなかった。兎に角、欧米人達が、集団で会話をしていると何を言っているのかほとんどわからないのだ。たまに昔学校で習った単語が聞こえるだけで、内容はおぼろげに分かる程度だ。1対1、1対2ぐらいになると会話は出来るが、こちらが聞けること言えば、何処からきたんだ?年は?名前は?タイには、チェンマイにはどのくらい滞在するのか?学生か働いているのか?このくらいのことだ。あとは、聞いたことについて、もう少し深く突っ込むのが精一杯だ。成瀬が何とか今までの習った英語を活用して喋ったが、それでも長く続かなかった。俺は全くだめだった。成瀬に日本語で、これを聞いてくれと言ってばかりいた。トレッキング参加者、俺たち2人を含めて13人いる、11人が欧米人だ。やっぱり、英語が出来ない日本人よりも英語が出来る欧米人のほうが方がいいのだ。詰まり必然的に相手にされにくくなる。決して、欧米圏の人は私達を相手にしたくないわけではなかったと思うが結果的にはそうなってしまった。さらにもう一つは私達2人の姿勢が受身だったのもまずかった。当たり前だが待っているだけでは、欧米人どころか、同じ日本人だって相手にしてくれない。そのことが2人共、解ってなかった。普段の学校での授業姿勢、人間関係でやっていること事がもろに出てしまった。言い訳がましいが、他の学生5人も同じだと思う。他の5人学生はこう思っていないが、これは上田学園学生の弱点なのだと思う。すぐに自体が改善すると思えないが、まずはこのことを認めることだ。それから、このことを学べばいいと思う。
結局、私達2人はトレッキングが終わるころに何となく解りかけた。英語が達者でなくても、こちらが聞きたいことをポジティブに聞けば相手も、問に答えてくれるし、こっちにも、質問してくれるし、最終的にはむこうからから話しかけられる。そのことにようやく気づいた。しかしそれでも不思議とトレッキングは面白かったし、ひょっとしたら、日本人同士で行くよりも良かったかもと私だけはそう思っている。英語が出来ないと、こんなにも、孤独や疎外感を味わったが、英語が出来るとものすごく楽しくなるのではないか、このように対極に思ったのは初めてだった。またこのような状態が半年以上続けば、英語を使える、喋れるようになるかもしれないと余計なことが頭に思い浮かんだ。
それにしても、次回は集団ではなく、一人で参加したいと思うのは何故だろうか?

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