第九回目は「まだ人間と動物が対等だった時代に…」です。

こんにちは!

土曜のトリビアの司会を務めておりますタッチであります。

今日は亀になってみたくて、丸いゾウガメの姿で登場いたします。
そしてまだ人間と動物が対等だった時代のことを発表しようと思います。

中沢新一の「カイエ・ソバージュ」によると、
仏陀やキリストが生まれるよりも前の時代。
その頃にはまだ人間と動物は対等であると考えられていたと言います。

その頃にはまだ「クニ」はありませんでした。
いくつかの部族が世界中に点在し、マンモスやシカを追ったり、シャケを捕ったり…。
毛皮を着て、火をおこして、言葉をしゃべる…うんぬん。

教科書で最初に習う、石器時代の頃ですね。
僕の小学校では5分ほどで終わってしまうような情報量しかありませんでしたが、
実はこの時代には人類に最初の「革命」が起きていたらしいのです。

それは何かと言うと、火、言葉、道具を手にした人類の
次のステップへの進化だったのですが、
人間の脳内の機能として「芸術」が生まれたらしいのです。

芸術、つまり物事を象徴的に考えられる思考能力です。
そしてネアンデルタール人と僕らの直接の祖先との違いがなんと「芸術」なんです。

その後、人類は暗い洞窟の中に入り、動物の絵を書いたり、
神話を紡ぎだしたりできるようになったようです。
神話と動物を調べているうちに、こんな情報に出くわしたのですが、
僕自身ちょっとこの話には驚かされました。

神話の中では、これまで紹介したような様々な動物たちが登場しますが
僕がカメに変身しているように、神話の中では簡単に熊になったり、
熊が人格を持って人間となったりするような「対等」の関係が描かれました。

ある狩人が森に迷い込んだまま冬を迎えた。
食料もなくフラフラになりながらさまようと、ほら穴を見つけた。
中に入ると大きな男が眠っていた。
わたしの横に来なさいと男は言った。
狩人は男の横に寝そべり、休息を取った。
咽喉が渇いたり、お腹が空いたとき、男の指を吸った。
すると空腹は収まるのだった。
冬を越し、狩人が外に出ようとすると、男は言った。
村に戻ったら犬を3頭縛ってよこしなさい。
男は犬を3頭縛ってほら穴に持っていった。
男に渡すために、犬を3頭渡した。

などという話が山のようにあり、熊が人間を助けてくれたり、
人間が狩りの対象であるシカから「正しい狩りの方法」を
教えてもらったりするのだった。

雌鹿と子鹿は殺してはならない。だが、雄鹿は持ち帰ってよい。
それは貴方の義兄弟だからだ。

そんな話が出てきます。

まだ人間がテクノロジーを手にしていなかった頃、
自然への畏敬は今よりもとてつもなく深く、
人間は動物に謙虚だったようです。

動物を食べたら、その骨や毛皮は丁重に扱われ、
骨はきれいなまま川に流されないと駄目で、
そうしないと動物が死んで霊の世界に行ったとき、
人間たちの行いを祖先に報告して、
人間たちへの恵みを与えないようにしてしまうと考えられていました。

ところが、人間がテクノロジーを開発し始めたときから
この謙虚さが崩れ、人間と動物は対等ではなくなってしまいます。

シャチという動物が神話の世界に出てくる頃です。

シャチは海の中では最強の動物です。
その攻撃力は凄まじく、クジラでさえ、シャチからは逃げ出してしまうほど。

異様にグルメで子クジラの下顎の肉が好きで、
シャチの通った海には、子クジラの顎が無い死体が浮いていたり、
異様に殺戮が好きで、アザラシの赤ちゃんを捕らえると、
すぐには食べずに、赤ちゃんをボール代わりにして、
海から空中50mほどにほうり投げて遊ぶのです。

本来動物は無駄な殺戮はしないものですが、シャチたちは特別です。
自然というものを逸脱するほど、強烈な力をもってしまっています。

シャチは神話の中で「近海の人」と呼ばれていました。
近海の人は刀を持っていました。 刀はテクノロジーです。
人が手にした「鉄」というものから、刀は作られました。

アラスカには「日本刀」の神話が残っているようです。
日本で刀が作られ、その圧倒的な力は、シャチにたとえられ、
シャチからもらった刀を手にした人間は、熊を尊敬せず恐れず、ただ無邪気に殺すのです。

動物たちはここで人間と対等ではなくなり、「野蛮」なものとなってしまいました。
これはつまり現代にそのまま繋がっています。
動物が野蛮であり遅れており、文明こそが人間だという歴史が始まります。

しかし、神話の本を読むほど、実は文明のほうが野蛮なのだと分かってくるのです。
動物園とは、そうした文明の野蛮によって出来上がった牢獄なのかもしれません。

 

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