引き篭もっている間のことは、結構忘れてしまったということは前にも書いた。けれど、あの頃は、結果的に今の自分を形作る上での重要な時期でもあったと思う。
一例を挙げると、「必要な時以外、悪い事やマイナスに思う(思われる)ことを言うまい」と思うようになったことだ。引き篭もっていた時を振り返ると、まるで重箱の隅をつつくように、少しでもマイナスのことを見つけるとそっちのことを指して口に出す、といった感じだった。
そんな風に考えていると、楽しんでいたものも楽しめなくなってくるらしい。その意味で印象的だったのは、「ロード・オブ・ザ・リング」の第一章を映画館に見に行った時のことだった。映画を見ながら頭に思い浮かんでくるのは、「あのシーンはもうちょっと良くなるよなー」とか、「このシーンにはこんな意味があるんでは?」とか、とにかく斜に見ちゃって、見終わった後は楽しむどころか「ふーむ、何か煮え切らない」という気持ちになった。作品の出来がどうというよりは、その時の私は映画を見るという行為に「楽しさ」を失っていたことを思い出す。アラを探すために映画を見に行ったようなもんだった。
そういう日々を過ごした後、悪く言っていることは自分にも跳ね返ってフィードバックされて取り込まれ、ますます自分が悪く、暗くなっていくという悪循環にいたことに気づいた。それを最初に思ったのは、上田学園に入ることになった頃だったと思う。
上田学園に入ってしばらくして1年くらいはたった後、今度気づいたのは、「俺って他人の言うことやることに影響を受けやすいんだな。」ということだった。それは毎日接している人たちの反応がダイレクトに返ってくる環境に身をおいたからこそ、気づいたってことだったのだと思う。気づいてからおそらくは1年ほどたったとはいえ、今でもこの問題では苦しんでいる最中である。
引き篭もっていた頃がつらく、苦しかったのは確かだ。でも振り返れば、それは当たり前のように思える。今だってまだまだつらかったり苦しかったりすることはあるし、苦しまないで生きることも無理だ。でもその苦しんでいたことからは何か学べるものはあるし、自分の弱さと向き合うことができれば、自分がつかめるようになってくる。そうやって生きていく中で糧にしていければ、それだけでも十分だ。引き篭もっているから、ネクラな奴だから、「悪い」なんてことはない。