2008年7月24日(木)

 

医者に行く

 

最近、私は歯医者に通っている。歯医者に通うのは、小中学生のころ依頼だ。緊張していたせいか、最初先生には、「肩に力が入っていますね」と言われてしまった。

長らく歯医者に行ってはいなかったけれど、自分の歯は悪くなっているんだろうなとは数年前から思っていた。不摂生な生活を送っていて、いつもきちんと歯を磨いていたというわけではなかったからである。そうしたら、今年の春先に、前歯に虫歯らしい黒いものがあるのに気づいた。ほっといて大きくなったら、傍から見ても気づくようになるだろう。これは何とかしないとな、と思ってようやく重い腰を上げたのである。

ところで、東京に出てきてからというもの、ほとんど一人で病院に行ったことがなかった。一度大学生のとき、明らかに熱が会ったのでタクシーを呼んで病院に行ったことくらいである。おととしの冬に食中毒らしきものになった時も、正露丸を飲んで寝て済ましてしまった記憶がある。特別な病気をしなかったという意味では幸いであったが、医者に行くのが嫌だ、という気持ちも心のどこかにあった。現に今回、行く歯医者を決めて最初に電話で予約を入れるというところまでの段取りは、迷いもしたし緊張もした。嫌だけではなく、恐ろしくもあったのだと思う。

その理由というのはおそらく単純なもので、医者に行くというのは身近な社会的行為だからだと思う。自分でその病院なり医院なりのドアを開けなければならない、待合室で他の患者さんと一緒に待たなければならない、先生に自分の症状などについてはなさなかれ場ならない、そういういちいちのことが、とても億劫だったのである。それを思うと、今歯医者に通っていることは、神様が私に与えてくれたリハビリテーションの一つなのかもしれない。

そのリハビリ第二段は、この前の日曜の皮膚科だった。

私は、毎年夏になると、身体のあちこちに汗疹ができる。蒸し暑い真夏の時期は特にひどくて、しょっちゅう掻いているはめになっていた。ここ数年は、ひどいときに残っている塗り薬をつけてどうにかごまかしていた。本当は医者に行って薬をもらって、用法どおりにつけていればいいものを、面倒くさがっていたわけである。それは一種の不信でもあり、かっこつけ(見栄?)でもあったのだと思う。

でもその薬も残り少なくなってきた。というわけで皮膚科に行こうと思い始めたのが今月はじめごろだった。でも躊躇して延ばしていたら本格的な夏になってきて、汗疹もひどくなってきたので、行こうと思いをかためて先週日曜に行ったわけである。診てもらった先生によれば、私の肌は弱いということで、出てしまったところを対処するしかないとのことだった。今はもらった薬も用法どおり塗っていて、消えはしなくても、かゆみは少なくなっている。不信やかっこつけも少しは消えただろうか。

医者に行くことになって改めて気づいたのは、自分の中に巣食う人間不信である。心の中に根深く巣食っている人間不信を、それでも多少は客観視できるようになったわけだ。このリハビリには、社会的生活の訓練のほかに、心の不信を取り除くという意味もあるのだろう。医者通いでも得られることはたくさんあるのだな、と思う今日この頃である。

 

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