文学や芸術が救いになることもある。それを私は、ここ数日で実感することとなった。
一つは、前回書いた漫画の「のだめカンタービレ」であった。
でも、作品全体が救いになるということばかりでなく、作品のある一文に救われるということもある。
ある穏やかな秋の夜。
私は読んでいた文庫本を閉じ、寝ようと思ってベッドの中へ入った。そして眠るまでの間、頭に浮かんでくる思いに心をめぐらした。
その日は、昼間学校にいる時に沸き起こった感情について考えた。それは色にすればどす黒く、黒い地とか石油とかがイメージに沸いてくるような感情であった。その心の根底には怒りや反発心があるけれど、それだけにも思えず、まだ自分でも言葉にすることのできないものである。
はじめてその感情をはっきりと感じたのは、高校のときだった。
高校の先生が、体育館の朝会か何かで訓令をたれていたときに感じた。その時は、もっとはっきり怒りや憤りを感じたけれども。
そうしたら、ある映画のシーンが浮かんできた。「フルメタル・ジャケット」で、アメリカ軍の教官が新兵を教育するために、辛らつな言葉で罵倒するシーンである。かなり極端で残酷な玲であるけれども、その心の元は、同じようなものだろう。
それにしても、18のときに感じたことと25になった今感じたことが同じだとすれば、それは私の中の一部ということである。とすれば、これからもその気持ちを抱えたまま生きていくことになる。
すると今度は、ついこの前文学の授業でやった太宰治の「御伽草子ー舌切雀ー」で、雀を助けたお爺さんが「おれは、さうさな、本当の事を言うために生れてきた」という言葉だった。
黒を想像するくらいのその気持ちに対して、私はやはり後ろめたさがある。それに、その気持ちに共感してくれる人もどれだけいるだろうか?でも、嘘をつきたくはない…。そんなことを思っていたら、この言葉を思い出した。そして、少し気分が楽になった。こういう風に言葉に励まされることもあるのだな、と思った。
自分をさらけ出しながら書く人を尊敬する。そして、友達の少ない私にとって、そういった人の作品に励まされることもあるのを知ったのは、うれしいことであった。、