2008年11月13日(木)

 

色即是空、空即是色

 

「色即是空、空即是色」「幸運流水」「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」…

最近、読んでほっとするのは、次のような仏教の言葉である。ちょっと元気がない時は、心の中で「行雲流水」などとつぶやいて、自分を励ましている。

もちろん、それらの言葉を完全に把握しているとは思えない。「行雲流水」は行く雲のように、流れる水のように、という意味だからまだイメージし易いけれど、「色即是空」は、意味はわかっても、まだ理解はできてないのだと思う。

というわけで、「色即是空」を検索してみると、禅僧の方が一般の人に説明しているサイトを見つけた。(http://www.bukkyo-kikaku.com/no_89_11.htm

読んでみると、なるほど、なんとなくイメージできた。すべてのものは根本的には一つであって、それが花や猿や人間となって現れているということか。とはいえ、ここで一般の方が話しておられるように、私も実感としてはわかってはいないと思う。


今度は学校にある「広辞苑」をひいてみた。

色即是空(しきそくぜくう) − [般若心経]色(しき)とは有形の万物を言い、これら万物の本性は空しい存在であるとの意。

空即是色(くうそくぜしき) − [般若心経]現象界の本質である空は、現象界を離れてあるのではなく、そのまま現象界に顕現しているということ。


うーん、なんだかこっちの方がわからない。辞書を作っている人達だってお坊さんとは限らないわけだから、僧侶の人に意味を聞いているのかもしれない。普段からそのことに接している部分の差だろうか。ということは、ここを書くの大変だったのだろうなあ、と思う。

とはいえ、そのサイトで「色即是空」を説明していたお坊さんも、「おかげさまです。元気です。きょうもニコニコありがとう」と毎日お唱えしているらしい。

こんなお坊さんでもそうなのだから、悟りの道はさぞかし険しいものなのだな、と思わされた。

 

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