上田早苗×村上龍
対談「子育てと自立」
1.
上田 最近お書きになられた『最後の家族』はちょっと淋しいお話ですね。みんなでご飯食べながらにこにこして笑っているのがいい家族だと家族自身が思っていた。でもそれは表面を繕っていた幻想だと気が付く。そのときには、既にみんなバラバラになっていて、違うところに行っていたというように。その中で、家族とは何か、家族に依存しない自立とはどういうものなのか、考えさせられました。
村上 うーん。あれはお父さんがちょっと問題あるんですよね。結局自分すべてを会社に依存しているわけだから。それが一番大きな問題で、だから救えないんですよ。あの人が家族を、引きこもりの息子を救うと嘘になっちゃうんですよ。
上田 それはそうですね。会社のために働いていると信じているけれど、本人が気付いてないだけで、それは嘘ですよね。それは、自分のために働いているはず。
村上 昔は会社のために働けば会社が保護してくれるっていう約束事がありましたが。
上田 でも今はそういう時代じゃないですよね。
村上 ええ、もう全然違います。
上田 それをみんな気が付かないっていうのは……。
村上 いや、気が付いているんでしょうけど、恐くて認めたくないんでしょうね。
上田 そうでしょうね。読んだ後でみんなそれぞれ違う道に進んで行ったんだけど、何か時代に取り残されたのがお父さんっていう感じがしました。
村上 ただあれは僕はハッピーエンドだと思って書いています。作者から言えば。
上田 私は読んだ後に子供達がそれぞれ出ていって、お母さんも自分の生き方を見つけて、でもあれほど家族一緒の食事を望んでいたお父さんは故郷へ帰ってコーヒーショップを開店し、後ればせながらの自立。ひとりで生きていくんだなあって、そこが切ないなあと。
それに結婚した後の女性の生き方も日本ではまだまだ夫に依存しているのかもしれないな、と思いました。小説でもありましたよね、お母さんがそう思う場面が。
「昭子は、延江と知り合ってから、どうして若いときに好きな職業を探さなかったのだろうと悔やむようになった。短大を出てすぐに秀吉と結婚し、すぐに子供を作ったのは、自分が何を実現したいのかを考えることから逃げるためじゃなかっただろうか」と。
先日タイに仕事で行ったときに、女性と自立の問題を改めて考えさせられました。タイの女性達は家庭に入るって感覚がないんです。一緒に仕事をしていて家庭のにおいが全然しない。それで、「どうしてかなあ」って思っていたんですけれど、彼女たちは私の人生の50%は夫婦、家庭人としてであって、残りの50%は自分のためだから、その部分で仕事をしているので、そこには家族は関係ないんだと言うんです。
村上 それは都会で仕事を持っている女性ですよね。
上田 ええ、そうです。一概には言えないかも知れませんが、そういう話を聞いたとき、日本よりも何かすごいなあって思いましたね。タイで仕事をしている女性は、日本より進んでいるのではないかと。
前回JMMで取材していただいてから、2年くらい経つのでしょうか。あのときからずっと疑問に思っていたのですが、村上龍さんは若い頃学校に順応しない、反抗していたと聞きますが、どうして不登校にならなかったのでしょうか。
村上 あの頃不登校ってなかったんですよ。
上田 なかったですね。
村上 逆に家が非常に貧しくて、なかなか学校に出て来られない子がいましたね。小学校の頃は、まだ高度成長の昭和30年代、中学生の頃は昭和40年代でしたか。学校に行く理由にはいろんなファクターがあると思うんですけど、まず学校に行かないと友達がいないから、学校に行かずに何しろって言われてもひとりで裏山で遊ぶわけにもいかないし。夏休みは40日くらいあったんですけどもう途中であきちゃって、2週間くらいで学校行きたいなとか、友達に会いたいって思いましたよ。
上田 そうですか。夏休み、今の子供もそう感じているのでしょうか。
村上 まず僕の中学校の時よりも、今の中学生の方がストレスを多く感じていますよ。
上田 そうですね。でもそれは何でだと思いますか。
村上 それはどう生きればいいのか、大人の社会が示していないからじゃないですかね。
上田 確かにね。なんか本当に人の顔色ばかり見てるようなところがあります。
村上 ただ、僕はしょうがないと思いますけどね。どう生きればいいのか教えてもらってないわけですから、大人の社会の側から。メディアを通じても、社会はどう生きれば有利なのかってことをまったく伝えていないですよ。学校の先生やお父さんやお母さんも99%分かっていないでしょう。要するにこれからどう生きれば有利なのか、どうやって自由に選択するのか、それが概念としてないからです。
僕は去年のちょうど今頃、NHKの教育大特集があって、7時間生番組に出たんですけれど、僕の企画が取り入れられて、「あなたは自分の子供にどういう人生を望みますか?」っていうタイトルになりました。でも、一切そんなこと考えてる人がいないんです。僕は子供にどういう人生を望むのかっていうことを考えていない限り、教育はできないと思うんですが。
上田 そうですね。
村上 父兄の側は「学校が」とか「学校の締め付けが」とか言って、教師の側はほとんど授業にならないと言うわけですね。で、僕がある定時制の高校の先生に「授業にならないんだったら、どういう生徒になってほしいんだ」ってことを聞いたんですよ。そしたら「教師と認めて欲しい」とか訳のわからないこと言い出して。
お母さん方、父兄にもどういう子供になってほしいのかって聞いたんです。そしたら、それは私が決めることじゃありません。子供が決めることですって。それは子供が決めるのは当たり前だけど、自分としてはどう生きてほしいのかって聞いたんですよ。そうしたら答えはない。もちろんそういう社会で育ったら子供達は混乱しますよ。
上田 私もフリースクールという形で子供達と関ってきて5年目になるんですけど、ほんとに何を指針にして生きてるのか見えてこないときがあります。だけど、子供達は自身の生きる指針を見つけなくても、それを誤魔化す時間をつぶすものだけはたくさん氾濫している。
フリースクールに来る子供達だけではなく、いろんな子供達の実情を知りたいと思って、様々な中学生1600人へアンケートをされている村上龍さんの『「教育の崩壊」という嘘』を読みました。そこで、コミュニケーション前提の整備を、とおっしゃっていますが、村上龍さんのいうコミュニケーションってどういうことを言っているんでしょうか。
村上 もう単純な意味です。思ってることを正確に相手に分かるように伝えるということです。ただ、思ってることがない人の方が多いんで、結局伝えられないんです。結局コミュニケーションスキルがない以前の問題です。非常に多くの父兄と先生が伝えることがないわけですよ。どう生きたらいいかというアイディアが自分の中にないわけだから。
ただ「どう生きるか」とか「人生の指針」というのは、イデオロギーとか思想とか大げさなことじゃないと思うんです。それは非常に単純で、何で食っていくかということです。
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