ミッキーマウスの誕生
1928年

3月、ウォルトディズニー氏は当時制作していたオズワルドというウサギのキャラクターの著作権を奪われ、がっかりしてNYからLAに向かう帰りの汽車のなかでミッキーマウスを思いついたといわれています。ミッキーマウスはチャーリーチャップリンを意識して作られたキャラクターで、最初はモティマーマウスという名前だったのをウォルトの妻がミッキーマウスに変えました。アニメーター・アブアイワークスによってズボンが付け加えられその他のディテールが加わりました。


幸せウサギのオズワルド

5月15日「飛行機狂」という映画が上映されました。ミッキーマウスのデビュー作品ですが多くの配給会社に全く無視されました。最初のミッキーマウスは酒を飲み、歯を剥き出しにしてタバコを吸い、ライバルに対しては猛然と殴りかかるネズミで、現在のミッキーマウスからは考えられないくらいかけ離れています。



「飛行機狂」でのミッキー

11月18日ニューヨーク・コロニー劇場にてミッキーの3作目「蒸気船ウィリー」が上映されました。またしても多くの配給会社が相手にしなかったのですが、ニューヨークのコロンビアピクチャーだけがウォルトと契約を結びました。このコロンビアの社長は「相手の胃に胃潰瘍を作る」ことを自慢にしているくらい恐ろしい人物だったのですが、ウォルトはそんなことはお構い無しに堂々と交渉しました。


これはバスターキートンの映画「海底王キートン」を下敷きに作られたアニメでした。トーキーという声を入れる技術をアニメに応用し、ウォルトディズニー自身がミッキーの声を吹き込みました。そしてこの映画でミッキーマウスは大人気を得てしまいました!多くの配給会社が慌てて契約を取り付けに戻ってきたということです。


「蒸気船ウィリー」でのミッキー

ミッキーマウスの変化
1930年

ミッキーマウスの制作チーフ・アブアイワークスが他の会社に引き抜かれてしまったことがきっかけでパート・ジレットという新しいアニメーターが入り、ミッキーマウスのキャラを見直す機会となりました。ミッキーが大人気になったため、子供が真似するので変なことはさせないでくれと親から苦情がたくさん増えていました。


ついに人間の印である「白い手袋」がはめられた・・・。

その結果ウォルトの指示によって、ミッキーは優等生で礼儀正しく正義感も強い、ネズミの格好をした人間として描かれるようになります。もう酒もタバコも禁止になってしまいました。更にミッキーは身体に関節を持つようになり、以前にもましてもっとおしゃべりになりました。

3代目ミッキーの誕生とその存在
1934年

またしても今度はジレットが他の会社に引き抜かれたため、ミッキーマウスはキャラクターチェンジをすることになりました。以前にもまして丸みを帯び、いっそう人間的で豊かな表情をするように描かれました。

というのは、ドナルドやグーフィや他のキャラクターが増えるにつれてミッキーのアニメキャラクターとしての影が薄くなっていったことがあります。ミッキーは主人公と言うよりも脇役か、案内役として登場するようになり、キャラクターと言うよりはディズニーのシンボル的な存在になっていきました。



1940年

映画「ファンタジア」ではミッキーマウスの目がそれまでの黒目だけの目から白目の入った目に変化しています。これは体の動きよりも目の動きや表情によって、よりアクションを抑えることができたからです。アクションは、他のキャラクターに任せておけばよかったのです。こうして現在わたしたちが知っているミッキーマウスが出来上がってきたのでした。