梅毒にまけたシャルル8世

 1494年フランス王シャルル8世は、ナポリの王女と結婚していた父親の遺産を相続し、ナポリを支配すのは当然だと考え1495年2月ナポリに進軍し、ナポリを制圧しました。征服軍は制圧した事をいいことに遊び呆けて、コロンブスの持ち帰ったとされている「新種の梅毒」に感染しました。この病気で征服軍は力を失い、スペインのフェルディナンド5世、ローマ教皇アレクサンデル6世、バイエルンのマクシミリアン1世、そしてベニスとミラノからの多少の同盟軍の前にほとんど戦いらしい戦いも出来ずに敗北したのです。シャルルS8世の軍隊はフランス人だけではなく、友好関係にあった国の兵からなる多国籍軍でした。ナポリ戦争の後、この多国籍軍は各地に散り10年後にはヨーロッパ全土に梅毒を広めることになりました。
 そして、航海士で有名なバスコ・ダ・ガマは1498年の世界一周航海でインドに梅毒を持ち込んだと考えられています。
 

ここで問題です。「新種の梅毒」の当時の呼び名は次の二つの内どれでしょう?答えはここ!
ヒント:梅毒の流行の地はイタリアです。

1:イタリア病
2:フランス病