マハトマと呼ばれたヲトコ

しく生きられないのなら、

うしてきなけれらない

                                     byガンジー

@ガンジーの弁明


1922年。53歳のときに、ガンジーは公民不服従運動の指導者として、治安妨害のかどで逮捕されました。
小さな法廷で公判が開かれ、やせた小柄なガンジーが入って行くと、法廷じゅうの人々が敬意を表して立ち上がりました。そしてガンジーはイギリスの法律に失望したことを堂々と申したてました。


「わたしはインドがイギリスとの関係によって、残念ながら政治的にも経済的にも、かつてより無力になってしまったと認めずにいられません。武器をもたないインドの国民は、武器をもって侵入者に立ち向かうことはできないのです。・・・・インドの大衆は貧しく、食べる物さえろくにないというのに、都市に住む人々は、彼らから吸い上げた富によって、ぜいたくな暮らしを送っています。インドの大衆がどんなに苦しい生活をしているかも知らず、法の名のもとにインドを支配しているイギリス政府が、彼らの生活をいかにみじめなものにしているかも知らずに・・・・」


ガンジーのこの陳述は、今日、古典的な名演説とされています。

 

さて、ここで問題です。演説を終えたガンジーは、そのあと、判事になんと弁明をしたでしょうか?

 

1、イギリスの罰を受けない代わりに、断食します。
2、よろこんで最大の罰を受けます。

 

           kotae   

Aガンディーは、自分に万一のことがあったばあい、遺された妻子の面倒を父代わりである兄に託さなければならなかったので、生命保険に加入していました。
しかし、神に見放された土地(くに)、南アフリカで三度目の滞在と聖戦(たたかい)をしていたとき、あることに気がついて、保険を解約すると同時に、これまでの兄への仕送りもやめてしまいました。
兄はそれを、金銭の問題以上に家族への義務の放棄とみなして、激怒し、事実上弟を見捨て、ほとんど兄弟の交さいを断ってしまいました。
 さて、そのガンディーが気づいたあることとは、いったい何だったのでしょう?

1、結局のところ、真の保護者はガンディーでも兄でもなく「自分自身」ということ。
2、結局のところ、真の保護者はガンディーでも兄でもなく、「神」であるということ。

        

                        kotae