「西太后とドラゴンの髪飾り」の答え

答えは@の「生の姿を世にさらすことが忌むべきこととされた慣習を破り、外国人にポートレートを描かせ、カメラで自分の写真を撮った。」です。

 

 

そう、西太后の写真や絵がいくつか残っていますね。しかし、若い頃の写真などはありません。西太后は若い頃、西洋の文化が大嫌いでした。晩年、清の王朝の勢いがなくなり、これではいけないと見直し始めた頃、写真やポートレートを残したりしたのです。

Aの「日本のものが蔑まされた時代」とありますが、西太后の甥で後に皇帝になった光緒帝は日本の明治維新を見て、日本がどうして西洋に追いつくことに成功したのか、そのことに興味を持ち、伊藤博文と会合したりしています。日清戦争で日本に負け、「あんな小さな国が・・」という驚きがあったのでしょう。

もちろんこうした掟破りは、西太后に強大な権力と、「王朝のことなんか関係ない!自分の好きなようにやる!」という意志があったからこそ出来たことなのでしょう。